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会社は誰のもの

 会社は誰のものか、という話が話題になった時期があった。株主のものか、社員のものか、経営者のものか、はたまた社会のものか。
 当時はかなり議論されたものだが、最近はあまり聞かなくなった。

 この話、今思えば質問自体が間違っている。
 会社は誰のものという質問には誤った2つの前提がある。ひとつは会社がものである、あるいはものと呼べるものであるということ。もう一つが、会社は誰かに所有されるものであるということ。

 まず、会社がものであるかどうか。
 会社はものではなくて機能だ。もっと言えば会社は概念だ。当然ながら社屋が会社な訳では無い。誰のものという質問が物かどうかを問うのではなく、誰の│ための《・・・》ものかと問うのであれば、物かどうかは問題にはならないが、そうなると今度は、「誰の」という部分が引っ掛かる。特定の誰かのための機能ではないからだ。
 会社にはいろいろな機能がある。その一つが誰かのためになっていることはあっても、会社の全てが誰か特定の人のためではない。会社での仕事は会社そのものの為でもあるが社員の為でもある。つまり仕事場を提供するという機能だ。会社で造って販売しているものや提供しているサービスは社会のためだ。そして会社の利益は株主のためだ。働いてもいないのに出資しただけで利益の一部を貰えるなんて株主はズルいという見方は残念ながら根強そうだが、資本がなければ会社が成り立たないし、出資した金は戻ってくる保証は無い。そのリスクの報酬が配当なのだから別にズルいものではない。

 もう一つの誤った前提は、会社が所有されているかどうか、ということ。
 所有という言葉からは何か専有だとか自由に出来るといったイメージが湧くが、会社は実質的に誰も自由には出来ないし、特定の誰かに専有されるものでもない。
 だから会社は所有される類のものではないし、所有されることもない。

 会社は誰のものかという議論がされた時、その質問には暗黙の次の質問が隠されている。
 つまり、会社の収益は誰に配分されるべきものか、という質問だ。会社の提供する物やサービスが社会のためになっているというのは自明だから(もちろん公害のように社会のためにならないことを同時にしてしまう可能性はあるが)、会社を誰かのものと定義したい人々にとっては収益の配分の仕方こそが重大な関心事になる。

 利益を内部留保するのではなく設備投資や研究開発に注げという意見もあれば、社員や株主に還元しろという意見もある。利益を巡ってのこの三つ巴こそが会社は誰のもの議論の根本だ。それぞれの立場で自分に有利になるための発言をするだけなのだから、この議論は何も生み出さない。
 会社は会社自身のためにあるとでも思うことにしてはどうだろうか。

おわり


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