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ボクがいるのは君がいるから ー バイアスと煩悩

 先入観などによって物事の判断が非合理的になる心理現象のことを認知バイアスという。

 自分を正当化する証拠だけに目が行ったり、異常事態にも関わらず正常な範囲と判断してしまったり、因果関係が無いところに関係性を見てしまったり、うまくいかないことを人のせいにしてしまったりするのは全て認知バイアスによるものと言われている。

 この他にも認知バイアスには沢山あり、人間というのは正しく認識することがとても困難な生き物なのだなと思ってしまう。

 仮に、人間が正しく判断することが出来る生き物だとしても、認識を間違ってしまうのだから結局は間違った判断となってしまうということになる。全ての認知バイアスに引っ掛からないようにするためには、常にあらゆる方向性で自らを疑って掛かる必要があることになるから、そのうちに人間不信ならぬ自分不信に陥るのではないかと不安になる。

 ドイツやスペインを撃破したサッカー日本代表チームが無敵に思えたりしたのもバイアスが働いていたことになる。
 たまたま勝っただけとは思えなくなってしまう。

 最初に買ってみた株が全て値上がりすると、自分は投資の神様ではないかと思い込んでしまうこともある。自分が投資の神であるということよりも、ビギナーズ・ラックという言葉を信じた方が良い。
 逆に、必要以上に自分が不幸でアンラッキーと思い込んでしまったり、周囲の人に自分の内面を見られていると感じたりするのもバイアスだ。

 自分の世界認識が正しくないとしたら、私たちは一体何を見ているのだろうか。 

 例えば時間という認識。

 私たちは、時間というものが私たちからは独立した形で、過去から未来に向かって進んでいると思っている。そして現在は過去と未来の中間にあると思っている。このような時間認識は、私たちの世界認識のひとつの方法論であるが、実際の世界とは違っている。もしあなたが、時間は確かにそこにあるじゃないか、と思ったとしたら、その認識を疑ってみた方が良い。そして、自分に問い直してみよう。

 時間はどこにあるか、と。

 過去や未来はどこにあって、それらはどうやってつながっているのか。

 人から聞いた言葉や知った言葉で説明するのではなく、自分の感覚に基づいて、自分の言葉で説明してみよう。

 君たちがいて、ぼくがいる。

 そんな哲学的な言葉を投げかけた吉本新喜劇があったが、これは言い得て妙だ。
 つまり、「ぼく」は相対的なものだと言っている。

 私たちは普段、自分自身でイメージする「ぼく」を演じている。その「ぼく」は自分の認識に基づくものであるが故に、間違った認識によって形作られている間違った虚像だ。だから、あなたが思う「ぼく」と、他の人がおもう「ボク」は違っているし、あなたを取り巻く世界に実際に存在するのは「ぼく」ではなくて「ボク」の方なのだ。

 そして、「ボク」は「君たち」がいなければ存在しない。

 私たちが思っている「ぼく」がまやかしだとすれば、あなたがしようとしている自分探しになど意味がない。
 探し当てたものがあったとしてもそれは虚像でしかなく、したがって何の意味も持たない。

 周囲の人があなたに向けて「君って傲慢ごうまんだよね」と言ったとしたら、たとえあなたがそうではない思っていたとしても、あなたが「傲慢な人」であるという認識の方が正しいということだ。それはあなたにとって不満なことかも知れないが、それが世の真実だ。

 いや、待てよ。

 あなたのことを傲慢だと言う人の認識が誤っているとしたら、あなたが傲慢かどうかは分からない。傲慢ではないとまでは言い切れないにしても、傲慢かどうかの決め手はない。

 では、ひとりだけではなく多くの人があなたを傲慢と言ったとすればそれが真実と言えるだろうか。
 いや、みんながみんな認識が間違っているのだから、たとえみんながあなたは傲慢だと言ったところであなたが傲慢かどうかは分からない。

 要するに、大切なことは世界や他人を認識したつもりにならないことだ。まかり間違ってもあなたの判断が正しいと思わないことだ。
 世界を認識することが出来ないのが世界であり、他人のことを分かるようにはならないし、分かり合えるようになるというのはただの妄想だということだ。

 そして、このような認識は私が勝手に書いていることだから、当然当てにはならない。

 これを読んだあなたが考えたことも同様に、当てになんかならない。 

 唯一このバイアスから逃れられる手段があるとすれば、それは言葉によって理解しようとすることを諦め、世界を感じることだ。

 つまり、凡人にとっては不可能に近いことではあるが、禅僧が言うように世界をあるがままに見ることが出来た時に初めて、バイアスから開放された世界に触れることが出来る。もちろん、煩悩とも無縁になっておかなければならない。 

 108つもある煩悩は簡単にはなくならない。

おわり

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