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映画『BABYLON』
その時には目の前のことに夢中で分からない。時代の変遷の荒波の只中にいることを思い知った時、自分の時代が終わったことに愕然とするだろう。押し寄せる新しい波は得体が知れず理解不能で、自分たちが忘れ去られていくことに恐怖さえ覚えるだろう。
第一線からも第二線からも遠ざかり、残り物を充てがわれるようになってもしがみついていれば、気づくものも気づかないままに、道を見失うこともある。
あの時を振り返るには遠くに行くしかない。懐かしむには時間が必要だ。気がつけば随分遠くに来たと立ち止まった時に初めてあの日々が輝いていたことに気がつく。裏通りで鈍色にくすんでいたと思っていたものが眩しい光に溢れる時、眼前の苦悩が淡くじんわりと溶けていくことを知るだろう。
映画のノスタルジーをこれでもかと言うほど刻み込むには、観客の足元をすくう他無い。リッチでハイコントラストな世界は、埃にまみれていても夢を語るにはお似合いの舞台だ。狭い世界のカオスの中で情熱と勢いがあれば光り輝くチャンスが得られる。そんな充実した時間を実感出来るのはしかし、長くはない。時代はサイレントからトーキーへと大きく舵を切ることになったのだ。
今の映画しか知らない人にとってはこの3時間は苦痛でしか無いかも知れない。ただ昔を懐かしむだけならこんなストーリや尺は必要無い。でも、客観的な視点で昔を俯瞰するのではなく、現実から飛び立ってあの時代に身をおき、観客自身があの時を生きるためには必要な長さなのだろう。
スクリーンの中だけにある世界がいつまでも私達の心を捉えてやまないのは、そこでしか得られない体験があるからだ。その世界がどんなに現実離れしていても、投射されるまばゆい光の中では許される。
映画はあの時がフィルム上に固定されていて、映写すればいつでも呼び戻せる。しかしそれは、子供の頃に撮られた動画の中の自分を見る時のように、懐かしいというよりもただの記録を見ている感覚だ。
もし親の視点で子供の過去動画を見るが如くに生きた時代のフィルムを見る時は、その時だけはタイムスリップしてあの時を生き直すことが出来る。
この映画を見終えた時、昔ながらのギシギシいう椅子が並んだ映画館にいる錯覚を覚えたのは偶然ではないのだろう。そこにいる自分は間違いなく、映画に夢中になった頃の高校生の私だった。
おわり
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