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映画『グリーンランド ―地球最後の2日間―』

 万が一にも起こる可能性が無いと思われることが起きたとしたらどうするか。
  それを考えて対策をしておくのが本当のリスク・マネジメントだ。
 今まで遭遇したことが無いから自分の身にそんなことは起こらないと人は思いがちだが、これまで遭遇したことが無い分だけ、あなたにとってみれば、これから遭遇する確率は上がっているのだとも言える。もし、それがいつかは起こることなのだとしたらだ。

 いわゆるディザスタームービーは、日常から突然危機状態に放り込まれた主人公たちがどうやってそれを切り抜けていくか、そこでどんな人間模様が起こるかを描く映画だ。
 ディザスターつまり災害の多くは局地的なものだからその意味で救いの余地がある。異星人の侵略や世界規模の感染症、ゾンビの大量発生ということでも無ければ地球全体が危機に陥るということは無い。
 ところが、地球の存続が危ぶまれるような天体衝突が迫った時、私達は逃げも隠れもすることは出来ず絶望するしかない。それでも人々は逃げ惑い、我先にと争う。地球が無くなるというのに。

 彗星接近による天体ショーがニュースになっていたある日、主人公のスマホに大統領令による避難命令の通知が届く。
 近所の他の家族には届いておらず、主人公家族を含めた特定の人々のみが対象になっているようだ。
 選ばれた人々は軍用機で搬送され、地下シェルター(バンカー)に非難することが出来る。
 しかし、避難のために軍の基地に到着したところで、あなたの子供は避難対象者に含められないと告げられる。その子は糖尿病を患っていたからだった。しかも基地を後にする際に家族が離散してしまうことになる。
 そんな中、地球が滅びるような大きさの隕石が衝突するという緊急ニュースがテレビに流れる・・・。

 映画『アルマゲドン』で描かれた小惑星の地球衝突危機では、小惑星に人が直接爆弾を仕込んで難を逃れた。それはディザスタームービーというよりも、地球を救ったヒーローの物語であった。
 本作『グリーンランド』では、題名にあるグリーンランドにある避難所まで辿り着く過程が描かれる。普通であればアメリカの南部方面に住む家族が短時間でグリーンランドに非難することは出来るはずもないが、そこは映画。描かれるのは人間模様だと割り切って設定の良し悪しには目を瞑ろう。

 驚くのは、地球の危機というような事態でも、特定の人を選定して避難させる行動計画が事前に綿密に練られていて実践されるということ。
 恐らく日本を舞台にした場合、そのような避難計画設定は荒唐無稽過ぎるように映ると思われるが、舞台がアメリがとなると現実味を帯びてくるから不思議だ。さすが米軍と思ってしまう。

 見て思うのは、隕石によって死んでしまうのと、シェルターに避難して生き延びる少数に選別されるのとどちらが幸せなのかということだ。
 隕石衝突の衝撃を生き延びたところで地球全体が灰に覆われた廃墟のようなところで人々は生き長らえることが出来るのだろうか。それ程のサバイバル能力を今の人間たちは持ち合わせているのだろうか。そんな事態になったら、いっそのこと死んでしまった方が楽ではないか。
 生きることの大切さ、人間に内在する醜さ、家族の絆、人間の強さ。そういったこと以上に、本当の災害時に起こり得る、生か死かを選べるとしたらどちらが正解なのかといった深刻な悩みを突きつけられた。

 B級風味満載の本作は、息つく暇もなく進む展開で最後まで突き進むのは良いとして、ディティールの甘さを挙げ出したらキリがないほどで、見終わった後には殆ど何も残らない。隕石の衝突で地球全体が全滅したのだから何も残る訳がないだろうというのが製作者側の意図だったとすれば大成功だ。
 もっとも、時間を無駄にしたという気持ちにはならず、空を見上げて今日の平和に感謝するくらいのことはする気持ちにはなった。
 明日も平和が続くはずという思い込みは簡単にはなくならない。

おわり

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