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籠もるしかない家の中には

 この時期はどうしても外には行きたくない。
 気候も良くなってきて、ポカポカして天気が良い日には、窓をガーッと開けて空気を入れ替え、薄着で散歩しながら芽吹こうとしている木々を眺める。そんな情景に憧れはあっても、決してそうはならないのが現実だ。

 そんなことをすれば、数日はブルーになる羽目になる。それどころか、即座に大変なことになる。
 しかし、周囲を見渡すともっと状況が酷い人もいて、そうでもない私が大きな声で言うのは少しはばかられることもある。外に出たくなくても決死の覚悟で出なければならない事情の人もいるだろう。

 この相手はほぼ見えないに等しいから同情を得にくい。
 関係の無い人はきっと「何を大袈裟な」と思っているに違いない。口では「大変ですね、この時期は」と言いながら、心の中では「大変だ大変だといちいちうるさいな」とか「自分は何でもなくて良かったー」と思っているだろう。
 昔と違って天気予報の時間にも取り上げられるくらい市民権を得たと思われる現在ですら、世の中の半数の人は「別に死ぬわけでもなし、そんなに騒ぐなよ」と迷惑がってすらいるはずだ。

 そうかと思えば、「私は実は昨年からなったみたいで・・・」なんて風に、これまではあちら側だった人が、いつのまにかこちら側に所属するようになった人もいて、そんな人に出逢うと昔からこちら側で迫害を受けてきた私などは、心の中で「ざまあみろ」とつぶやくのだ。これでお前もこれからは一生苦しむのだ、とまるで後から入所してきた無期懲役囚を見るかのようにさげすむのだ。
 なんて心の狭いと思われるかもしれないが、物心ついた頃から春を鬱陶うっとうしいものとしてしか感じられないような育ち方をしていると、それくらいひねくれてしまうものだ。花見に行こうか、なんて楽しげに話をしているのを聞くと、うらやましさよりもねたみが先に来て、それでも笑顔で私は遠慮しておきますと言わざるを得ない。花見派の人には、そんな私の複雑な気持ちは理解されるはずもないのだ。

 しかし世の中には上手がいるもので、花見の時期に限らず年中困っている人もいる。そんな人に出逢うと、どの口がそうさせるのか、この私が「大変ですね~」なんて言っている。「それじゃあ年中薬が手放せませんね。金額が馬鹿にならないでしょ」なんて言いながら優越感に浸っている。「あの人は年中大変らしいよ」なんて他の人にまで噂したりしてしまう。

 それもこれも、こんなアレルギーを起こす花粉がいけないのだ。
 花粉症などと呼ばれる前から、春になると結膜炎とアレルギー性鼻炎とセットで診断されて育ち、その頃に比べれば理解されるようになったものの、ずっと迫害を受け続けたせいで性格がひん曲がってしまっているのだ。
 早くみんながみんな花粉症になればいいのにとすら思ってしまうのだ。
 そうなったあかつには、先輩面して上から目線で対処法をうそぶいたり、「いやいやそんな程度はまだ甘いね~。何? 今年から? じゃあまだ分からないか」なんて知った口をきくのだ。

 けれども、私にとって花粉はまだ良かった。
 大したことでは無かった。
 猫が好きで猫と暮らしながら、健康診断の結果に花粉アレルギー陽性と並んで記載された「猫アレルギー:陽性」の文字を見せられた時の衝撃に比べれば。
「ねえ、どうする?」と猫に話しかけても、クリクリした眼で首をかしげるだけで何の解決にもならない。
 だから私は、診断結果を知らなかったことにしているのだが、ふとした瞬間にあの「陽性」という文字が脳裏のうりよみがってきて憂鬱ゆううつになる。そんなトラウマを抱えながら仕方なく今日も猫に餌をやる。

おわり

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