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痩せることよりも重要なこと

 いつの頃からか理想の体型は痩身で、ダイエットすることが良いことと思われる様になった。過剰なダイエットに警鐘が鳴らされた時期はあったものの、適切なダイエットは大切と思う人が大半ではないだろうか。太っている自分を肯定している人でさえ、痩せた身体を選択しないという自分の中での理由付けが必要になっているのではないだろうか。美味しいものを我慢するよりも自由に食べて太るくらいの方が良い、といった具合に。

 最近では健康診断でもメタボなんて言って胴回りを測定され、太り過ぎは健康上良くないということが刷り込まれる。そして、ダイエットしなさいと医師に言われる。さもなければ病気になりますよ、と。
 どうやって太り過ぎを防ぐのかということになると、食べる量を減らして運動をしろという以上に具体的な医師の指導は無く、各自の自己責任となって巷の噂やサプリや健康食品などの広告に踊らされることになる。
 
 そうした民間療法は数多あまたあるが、身体にとっては偏ったものになりがちだ。糖質制限はその最たるものだし、サプリメントによって栄養補給が出来ると思い込んでいる人は未だに多い。そして、何かのダイエットプランに飛びついては上手く行かずに他のやり方を試す。結局リバウンドを繰り返して、最悪の場合、気がつけば元の体重を遥かに上回った自分に飽き飽きして諦める。
 こうしたことが起きるのは、本来の目的を見失っているためだ。
 ダイエットは目的達成の方法論のひとつであったはずだが、ダイエットそのものが目的になってしまっている。だから、ダイエットすることを目指し始めたら要注意だ。

 では、目指すべき本来の目的は何だろうか。

 まずは、見てくれの理由でも、健康上の理由でも痩身が良いとされるのは何故なのかを問う必要がある。ここでも、目的の取り違いに注意しなければならない。痩身は結果であって、目的にすべきことではないということだ。痩せることを目指すのは間違っている。適切な生活習慣の結果、気がついたら痩身になっていたというのが理想だ。決して痩せた身体が理想なのではない。
 そんな理想のことは知っている、そうは行かないから苦労するんじゃないか、と思うかも知れない。でも敢えて苦言を呈するとすれば、そう思ったあなたは何も分かっていない。分かっていない結果が今の身体なのだ。

 痩せた身体が理想なのではないとしたら、私達は何を目指すべきなのか。それを知るには、自分の身体を良く知るということから始めると良い。医学博士を目指す必要は無いけれど、身体のしくみについて理解することだ。栄養とは何か、それがどうやって身体になるのか、身体はどういうしくみで機能を維持しているのか、そうしたことを知識として知ることが第一歩だ。
 ここで気をつけなければならないことがあるとすれば、現在の医学は西洋思想に基づいたものだから、ともすると分析的な見方になるということだ。分析的に見ていくやり方は、身体をある種の機械として見做みなすことになりがちだが、人の身体は機械ではない。

 私達がそれを食べたいと思う時、身体の声よりも脳の声を聞くようになってしまっている。身体が欲するものを摂取するのではなく、脳が満足するものを取り入れることが習慣づけられている。脳が欲するものを追求していったらどうなるかは、麻薬のことを考えてみれば分かるだろう。
 麻薬は脳内に快楽物質を促すとともに、それが途切れた時に渇望するようになる。
 実は麻薬を取り上げるまでもなく、酒や煙草などの嗜好品も同じだ。そして現代の一番の「麻薬」は砂糖と脂だ。
 脳が何を渇望するのか、それはその人の生活習慣による。日々どんなものを摂取しているかによる。

 ただし、酒や煙草や砂糖や脂が悪いと短絡的に思わないで欲しい。大切なのは、そうした物質が脳に働きかける作用について理解することだ。
 私達が脂がしたたる肉にかぶりつきたいと思ったり甘いケーキを食べたいと思ったりするのは、身体に必要だからではなく、脳がひとときの快楽を要求しているということを脳によって理解することが重要だ。そして、そのひとときの快楽は渇望を生み出しているということを理解することだ。喫煙者なら分かると思うが、煙草をやめるのがいかに難しいか。禁煙したときの渇望感がどれほどか。それに耐えるよりも「一本だけ」と手を伸ばしてしまう。渇望感はそれほどまでに強力だ。
 ダイエットにトライしても上手く行かないのは、何回も禁煙に失敗している人と同じだ。人間として駄目なのではなく、脳の渇望に従うという、人間として正しい行動をしているからだ。

 脳が渇望するのは、これまでの進化の中でそれが正しいことだったからだろう。
 問題は、現代の生活は渇望を促す物質に溢れていること。
 これだけ大量の渇望物質に囲まれていながらそれらを適切に制御する方法を脳は知らないということだ。
 つまり、痩せろというのがそもそもの無理ゲーなのだ。こんな社会に生きていて太らない方がおかしい。自制なんて渇望の前では無力だ。我慢など出来るはずがない。生まれてこのかた習慣づいた禁断症状を抑えるためには「麻薬」を摂り入れるしかない。

 無理ゲーだとしたら諦める他ないのだろうか。

 唯一残された道は、脳によって身体を取り戻すことだ。
 身体が要求する声を脳がちゃんと聞いてやるようにすることだ。つまり脳と身体が仲良くすることだ。
 身体は脳の一部であり、脳は身体の一部。
 座ったままで脳の司令を待っている限り、脳の渇望に支配されてしまう。

 だから、いますぐ立ち上がろう。
 文字通りそのソファから立ち上がって、とりあえずソファの廻りを一周歩いてみよう。気が向いたらドアを開けてバルコニーから外を眺めてみよう。
 きっと脳は、暑いだの寒いだの面倒くさいだの疲れるだのと言い出すだろう。それでもいい。一旦はソファに戻っていい。でも、しばらくしたらまたソファから立ち上がって、一周回って、バルコニーに出て、今度はバルコニーから見えた公園まで歩いて行ってみよう。
 少しずつ行動範囲を広げてみよう。
 ここで大切なのは、歩くということ。なるべく自然に触れられる環境を歩くということ。街路樹でもいい、公園でもいい、樹々があって鳥がいて昆虫がいるような場所を歩く。脳から身体を取り戻すには、脳から一番離れた脚を動かすのが良い。

 「麻薬」に侵された脳に支配されて自分の身体に耳を傾けて来なかった結果が今の身体を作っている。自分の身体のことを知り、身体を受け入れ、それをいとおしんで大切に扱うことを心がけたい。
 痩せるよりも重要なことは、あなたの身体の声を聞くことだということを思い出すことから始めてみよう。

おわり


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