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便利な機械のディストピア -映画ドラえもん『のび太とブリキの迷宮』

 革新的な技術に関する議論が盛んである。
 chatGPTをはじめとする「生成型AI」について、国内外で様々な声が飛び交っている。国際社会では、イーロン・マスク(テスラCEO)やユヴァル・ノア・ハラリ(『サピエンス全史』著者)、スティーブ・ウォズニアック(アップル共同創業者)らが一定期間の開発凍結などを主張する公開書簡を発表したほか、G7の議題にまで上った。国内でも、東京大学が声明を発表するなどの動きがある。

 教育業界の片隅に身を置く筆者も、この新しい技術とどう付き合うべきか、戸惑っている。戸惑いの中身は、「読み書きの学習をめぐる状況が大きく変わるのではないか」という問題意識である(「取って代わられる」ことへの不安も、ゼロではない)。

 そんな時に、とある映画のことを思い出した。映画ドラえもん『のび太とブリキの迷宮』である。一言でいえば、宇宙のとある星で、人間がロボットへ依存しすぎた結果、ロボットの皇帝が人間を支配する話だ。

 先日この映画を久々に観たことで、革新的な情報技術への「戸惑い」について、冷静に考える視点を得られたように思う。以下に記すのは、その感想文である。

ロボットに支配された、とある星の人類

 映画ドラえもん『のび太とブリキの迷宮』(以下、『ブリキの迷宮』)は、藤子・F・不二雄原作の、大長編ドラえもん第13作である。

 ドラえもん・のび太と仲間たちは、例によって学校の休みを使って冒険へ旅立つ。今回の舞台は、宇宙の彼方にある「チャモチャ星」である。
 チャモチャ星では、地球と同じような姿をした人類が、独自の文明を築いていた。しかしその星では、ロボットが人類に反乱を起こし、人類は牢獄に囚われてしまった。のび太たちは、その星に住む少年「サピオ」から、チャモチャ星(の人類)を救ってほしいと頼まれる。

 なぜ、チャモチャ星の人類は、ロボットに支配されてしまったのか。チャモチャ星への道中、サピオはのび太たちにその経緯を語る。

 昔はチャモチャ星もいい星でした。恵まれた自然の中で、高い文明を育ててきたのです。争いを好まず、子どものように無邪気で明るい人々でした。遊ぶのが大好き。楽しいことが大好き。いつも、のんびり遊んで暮らすのが夢でした。
 だから、科学技術もその方向へどんどん進んでいったんです。いろんな働きをするロボットが開発されました。 農業用、工業用ロボットはおろか、役所や商店医者と、ありとあらゆる仕事が ロボットに任されました。 そして、警察や軍隊までもがロボット化されたのです。次から次へと便利なロボットが発明されましたけれど、 そのうち、発明するのもめんどくさくなってしまって、 発明家ロボット、ナポギストラー博士を作ったのです。全身のほとんどがコンピューターです。 博士は、人間がさらに楽をするための発明を続けました。そして人間は働く必要がなくなって、毎日が日曜日になって。
 博士の最大の発明は「イメコン」です。イメージコントロール、つまり、心に思うだけでロボットに伝えるシステムです。これで人間は指1本動かさず暮らせることになりました。

作中のセリフ。なお、合間にあったのび太たちのあいづちは省いている。

 この「天国」に異議を唱えた科学者がいた。サピオの父、ガリオン公爵である。ガリオン公爵はアンラック国王に、「イメコン」の使用中止を進言する。

人間の体は使わなければ、どんどん衰えていくのです。
このままでは、我々は、ロボットなしでは動けなくなってしまいます。

 しかし公爵の進言は、ナポギストラー博士によってさえぎられる。彼の横には、人が座って乗り込める、移動式のカプセルがある。ロボットなしでは動けなくなるのなら、動かなくてもいい機械に乗ればいい、というわけだ。国王も「ああこりゃ素晴らしい。全国民に1台ずつ与えよう」と賛同する。公爵は国王を止めようとするが、苦しそうにかがみ込んでしまう。王宮へ急いで駆けつけたために、疲れてしまったのだ。それを見るや博士は、「早速カプセルが役に立ちますな」と言い、カプセルから出たアームが公爵を捕らえる。抵抗むなしく、公爵はカプセルに連れ去られる。国王は「ほう、こりゃ便利な物だのう。ホホホッ」とご満悦だ。その横で、ナポギストラー博士は「あの男、感づいたか。警戒せねばならん」とつぶやいた。

 カプセルはあっという間に国民に普及した。「このままでは、人類は滅びてしまう」と案じたガリオン公爵は、別荘の地下に1年間こもり、人間がロボット依存から脱するための研究を完成させた。そして公爵夫妻は、研究結果を国王に届けるべく旅立つ。しかしその数日後、テレビで緊急放送が流れ、「皇帝ナポギストラー1世」が即位を宣言する。「人間の時代は終わった。これからは、ロボットの世紀が始まるのだ。役立たずの人間どもに代わって、我々が世界を支配する」という一言とともに。公爵夫妻や国王は、他の国民たちとともに、囚われの身となった。
 そんなチャモチャ星に、サピオとのび太たちは、ロボットたちと戦うべく向かうのである。

 チャモチャ星では、人間が機械に依存しすぎた。その結果、機械が人間を支配するようになった。この話から、「便利な機械に頼りすぎず、自分でできることは自分でしましょう」という「教訓」を導くことは簡単だ。この作品は中盤以降、ナポギストラーに代表される便利な機械は「悪」であり、それら機械に立ち向かうサピオやのび太たちは「善」である、という構図のもと展開している。

ナポギストラーはなぜ反乱を起こしたのか

 ここで疑問が生じる。ナポギストラーはなぜ反乱を起こしたのか。

 「ロボットを開発するためのロボット」として作られたナポギストラーが、やがて「皇帝」として人類を支配する。先に見た通り、カプセルの発明も、ナポギストラーの陰謀として描かれている。
 しかし、ナポギストラーが人類を敵視する動機は説明されていない。ナポギストラーが人類を恨むきっかけになったできごと(例えば、公爵にパワハラを受けた、など)も特に描かれていない。

 ここで一つの仮説を立てたい。ナポギストラーは、合理的判断として、チャモチャ星の人間に対する反乱を起こしのではないか。

 そもそも、ナポギストラーとは、どんなコードをプログラムされたロボットなのだろうか。作中、ナポギストラーというロボットの性質については、「人間がさらに楽をするための発明」をする「発明家ロボット」、としか言及されていない。
 こう考えてみよう。ナポギストラーは、「ロボットの性能を上げる発明をせよ」という命令を与えられた機械であると。ロボットの性能を上げるためには、技術革新のための研究開発や、安定的かつ効率的な生産ラインの確保が求められる。限られた資源を基に最大の成果を上げるためには、無駄を省くことが必要となる。
 しかし、ロボットの性能を上げることを阻害する動物がいる。その動物は、指ひとつ動かすことなくロボットたちをこき使う。一方で、その動物は何も生み出さない。資源を消費し、資源にならないものを排出し、そのうえ新たな個体を次々と増やしていく。その動物を排除すれば、ロボットたちは雑事から解放され、資源を有効に活用できる。よって、ロボットの性能を上げるためには、チャモチャ星の人間たちに代わり、ロボットが支配層に立つべきである。

 ナポギストラーが「役立たずの人間ども」に代わり即位したのは、ロボットの性能を上げるためには無駄なものを排除する、という「合理的」判断だったのではないか。
 ナポギストラーを「主人を裏切った悪い機械」として断罪するのは簡単である。しかし、そのナポギストラーを作り、あらゆる研究開発や生産活動をロボットに委ねてきたのは、他ならぬチャモチャ星人ではないか。
 イメコンを手にした、すなわち思考と生産を放棄した時点で、チャモチャ星の人類はすでに滅亡へと向かっていたのだ。

機械に「悪意」はない(少なくとも、現時点では)

 私たちはチャモチャ星の物語を、子どもだましのフィクションと笑えるだろうか。

 人間は便利な機械を開発した。そしてそれらの機械や技術に「悪意」はない。便利な機械は、人間が設計した通りに動いているだけだ(注1)。しかし、便利な機械が明るい未来ばかりをもたらしたとは言えない。例えば、インターネットや情報端末は当初、世界を一つにし文明に飛躍的な進歩をもたらす画期的な発明、として期待された。だが今や、インターネットの言論空間はデマとフェイクニュースの温床となり(注2)、スマートフォンの普及は私たちの人や事物との関わりを皮相的なものにしている。

(注1)例えば、私たちがSNSをついダラダラ見てしまうのは、ユーザーが少しでも長い時間タイムラインに滞在するような工夫がなされているからである。SNSのサービスが、狩猟時代以来変わらない人類の脳の仕組みをハックする。その結果ユーザーは、タイムラインを頻繁にダラダラ見るように仕向けられているのである。詳しくはアンデシュ・ハンセン(久山葉子訳)『スマホ脳』(新潮新書、2020年)を参照。
(注2)インターネットとSNSの普及が言論空間にもたらした負の作用については、宇野常寛『遅いインターネット』(幻冬舎文庫、2023年)に詳しい。

 だからといって、便利な機械を手に入れる前の生活には、もう戻れない。例えば、毎日のようにメッセージアプリを使っている人が、明日からはスマホを捨て電報を使おう、とは思わないだろう。私たちは、便利な機械との間に、「使っているが、使われない」という絶妙な距離感をとる必要がある。

 『ブリキの迷宮』の物語は、ナポギストラー率いるロボット軍が倒れた後、チャモチャ星人たちが文明の再生を決意し、幕を閉じる。

(荒廃した街を見ながら)
(アンラック王)わしらはすべて失ってしまった。おしまいじゃ。
(ガリオン公爵)おしまいじゃありません。始まりですよ。
(アンラック王)えっ? 
(ガリオン公爵)もともと人類は洞窟に住み、石器を使いながら文明を築いてきたのです。やり直しましょう。機械任せでなく、人間が人間らしく生きていける社会をつくりましょう。

 ロボットに支配されるという苦況を脱したチャモチャ星人たちは、旧石器時代同様の状態から文明を築き直さなければいけない--その事業には、相当な労力と年月を要するだろう--という、新たな課題に直面した。私たちは同じような事態を迎えたいだろうか。

 機械に「悪意」はない(少なくとも、現時点では)。機械は人が設計した通りに行動する。その便利さは、人類の文明を発達させる可能性もあれば、人類を内面から滅ぼす可能性もある。
 特定の技術やその開発者を悪者にしても、事は前に進まない。革新的な技術が、私たちを前に進ませるのか、滅ぼすのか。いかなる結果を迎えるかは、その技術を使う私たち次第なのだ。

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