40年以上生きてきて、初めて気づきました。私は「毒親育ち」だったようです。
先日父親と電話でケンカしました。ケンカ、と言っても、私はそんなに怒っていません。2週間ごとに子供(孫)におもちゃや本やモノをどんどん送ってくる。要らないと言っても送ってくる。
ただ気持ちよく孫のことを想って送ってくるのなら良いのですが、毎回何かこちらが頼んでもいないモノを送ってきたときに
「到着しました、という連絡を電話でよこせ」
「ありがたいと思え」
と言うようなことを言ってたんですね。毎回毎回、昔から。で、こちらも一応はもらっているわけですから電話をかけていたのですが、毎回毎回なぜか心がとても重たい。電話をしなければいけないと考えると気持ちの中がズーンと沈み込み、電話が終わるとホッとする…そんな感じ。
今回は立て続けにモノが来たのですから、上記のようなストレスは何倍にもなりました。なので、一番最近モノが来た時に、電話をかけるのがあまりにも苦痛で、数日かけなかったのです。
そうしたら私が入浴中に父から電話がかかってきて、妻が出ました。そしてまた送ったモノについての到着がどうこうということを言い出したみたいなのです。
お風呂を出て電話を取って、私の中の何かが私に無理やり話させたような感覚でした。
「欲しいと言ってないし、送ってきて必ず報告とかお礼を言えというのなら、もう送らないでくれ」
そこで逆上、激怒、です。
父は一度怒ると、その場の話だけでなく、相手のすべてを否定する言葉を投げつけてくる人です。今回もそうでした。私の人格否定、仕事がいかにダメか、友人が少ないことを嘲笑する(父は大学時代の同級生以外に友人はいないのですが「自分は友達が多く友情熱い人間である」と信じ込んでいます)。
もう30年近くこのパターンを聴いているので、ああまたかと思いつつ、やはり若い頃はとても傷ついたので、その記憶が思い出されて、胸が苦しくなりました。
いつもだったら、論理的に反論したりとか、やっても無駄なことをやってしまうのですが、最近いろいろと自分の感情や人生について勉強しなおしていて、物事を見る角度が変わってきたこともあり、初めて言いました。
「オレは、親父と話すのがイヤやねん。本当はずっとイヤやった。我慢して話してきた。20年も。30年も。」
本当に、こんなことを言ったのは初めてでした。普段から、コロナ以前から、いつも「お前は親に電話をかけてこない」と何かあるたびにネチネチ言われていました。そしてそれを、重苦しい気持ちのまま言葉を濁してごまかすのが常でした。
けれど今回は、自分の「感じてること」を伝えたのです。人生で初めて。
それまでは、「親と話したくないと発言するなんて、とんでもないことだ。そんなことを考えるのは親不孝者だ。」と思っていました。いやむしろ、父親からそう思わされていたのでしょう。事実「どんな貧乏な家でも、電話してくるもんや!」と怒鳴り散らされたことも過去にありました。そのときは、ただ、責められている状態を我慢しながら苦しい思いをして聞くだけでした。
私の「本当は話したくない」「我慢してきた」という言葉を聞いた父は当然逆上しました。「電話すべきだ」という「べき」の行動法則で生きている父は、相手の感情を告げられたことなど、ほとんど無かったのでしょう。赤ちゃんの時から育ててやったのにどうこうとか、あらゆることを怒鳴りまくり、最後には自分が死んだあと墓をメチャクチャにするつもりだろうとか意味不明な言いがかりをつけ、もうこれからは連絡を絶つ、相続をはく奪するというような捨て台詞を言って電話を一方的に切りました。
電話を切った後で、気持ちがスーッとする感覚と、恐怖心が同時に襲ってきました。恐怖心はおそらく、今まで父親から植え付けられてきた価値観に反することをしてしまった、という反射的なものでしょう。気持ちがスーッとは、今まで押さえてきたものを出すことができて、魂レベルで「救い」と出会ったからでしょう。
そしてあらためて、思いました。
「私の父親、そして親子関係は、おかしいのではないか」
その時に頭に浮かんだのが「毒親」という言葉でした。私の友人にはカウンセラー系のプロも多いので、用語的によく聞いていたのです。でも、この日まで自分自身が毒親育ちだとは全く思っていませんでした。イメージ的に、毒親と言うのは、育児をネグレクトしたり、物理的な暴力をふるうものだと思っていたからです。一応それなりに裕福な子供時代を過ごさせてもらいましたし、中学校から私学に通わせてもらいましたから、違うよなと思っていました。(ただ今にして思えば、私学に通うのも「私学に行け」でした)
ところが今回、気になるので色々と「毒親」について調べてみると・・・
精神的虐待、というのも含まれるんですね。一切の反論を許さないとか、一方的な価値観を押し付けまくるとか。
更に詳しく、毒親の特徴を見ていきました。
・・・なんや、全部当てはまってるやん。
『毒親に育てられた人は、いつも無力感や苦痛を感じて生きていて、物事を楽しむことができず、辛い感覚をずっと持っているのが特徴で』
・・・俺やん!!
もちろん、もっと苦しい毒親環境の人はいくらでもいると思います。
ただ、小学生の頃は、正座させられて泣きながら算数のカードを答えさせられたことから始まり、友達関係や家でのちょっとした仕草にいちいち口を出され、反発すると怒鳴られ、朝に顔を合わせたときに「ため息をつくな」と怒鳴られたり。
就職先にも口を出され、社会人になってからもちょっとした発言をいちいちとがめられ怒鳴りつけられていました。
「サラリーマンをするのがお前の人生だ」という価値観も繰り返し刷り込まれ、それに反発して30歳の頃実家を出てネットで起業したのですが、その後も私のブログやメルマガを見て中身についていちいち口を出していました。
10年前に私が結婚した後は少しましだったように思いますが、6年前に長男が生まれてから、また口出しが増えたように思います。その1つが冒頭の「モノ送ってお礼言え病」です。何度も苦痛を感じながらごまかしていました。
4年前に下の子である長女が生まれたとき、生まれつき額に赤いアザがありました。これを報告するとまた何を言われるか分からない、と思っている間に先に対面したものですから、この時も電話で数時間なじられました。
でも、これらのことがあっても、今回のケンカになるまでは、普通の家庭で普通の親子だと思っていたんですね。けれど今回毒親と、毒親育ちの特徴を見て、私が、仕事や生活、子育てを頑張っても、なぜいつもこんなに苦しい気持ちがどこかに残っているのか、なぜ、ほがらかにいろんなことを楽しめないのか、それが分かったのです。生まれて初めて、40歳を過ぎて、です。
そして、日本人の家庭環境や、昭和的な親子関係などを考えると、私と同じような状況で苦しんできた(苦しんでいる)人は思っているよりも多くいるんじゃないかと思い、まず足早にこの記事をまとめました。
まだ、たった1度感情を伝えただけですし、私が「毒親を完全克服できた」とは言えないかもしれません。でもこれは、大きな一歩だと思います。
まず、同じことで苦しんでいる人のために、今回のお話をシェアさせていただきたいと思います。そして、今後も毒親について考えることや、私の毒親克服体験などを、noteや他の媒体で発信していこうと考えています。
(ご意見やとり合えてほしいテーマなどあればおっしゃってください)
読んでくださって、ありがとうございました。
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