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娼婦を、作家を、蝕んでいく顔の見えない「人気」という怪物『鼻下長紳士回顧録』

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/佐渡島庸平

安野モヨコの8年ぶりの新作ストーリーが出る。

時間は数えないようにしていた。僕自身も、数えだすと不安になり、焦るから。帯に載せるために調べて、8年もたっていたのかと認識した。

長かった。

編集者にとってこれだけ長かったのだから、安野モヨコにとっては、もっともっと長い抜け出すことのできない地獄のような8年だっただろう。

見本として届いた通常盤と特装版の両方を手に取り、ずっしりとした重みを感じながら、喜びが込み上げてきた。

この本は、作家・安野モヨコにとって通過点で再出発の始まりにすぎないから、サラッと過ごそうと思っていたけど、重みを感じて、やっぱりお祝いをしたくなってきて、そのまま安野さんが好きそうな花を注文しにいった。

編集者としてたくさんの本の出版に携わってきたが、この本に対する思いは特別だ。特別だから大切にしたいという思いと、この本が特別でなくなるように早くどんどん次をつくりたいという思いがある。

安野モヨコのそばにいて、つぶさに彼女の精神状態をみてきたものとして、「なぜ安野モヨコは娼館を描くのか」を伝えるのは、僕の役割ではないかと考えている

今回の作品、『鼻下長紳士回顧録』は、1913年のパリの娼館を舞台にしている。娼婦と変態紳士達の交流を描いた漫画だ。

実は、安野モヨコが、娼館を舞台に作品を描くのは、3作目。20作品近く発表していて、そのうち3作も娼館が舞台なのだ。

『バッファロー5人娘』は、アメリカの荒野の娼館が舞台。

『さくらん』は、江戸の吉原が舞台だ。

なぜ娼婦を描きたくなるか? いや、描かざるをえないのか。何度となく、安野さんと僕が議論してきたテーマだ。

漫画を描くとは、楽しい行為であると同時に精神をすり減らす行為でもある。少なくとも、安野モヨコにとってはすり減らす行為だ。

作品という形に昇華させるとはいえ、自分というものをすべてさらけだし、それに対して、人々は好き放題言う。それをすべて受け入れないといけない。受け入れるときに、少しずつ他人には気づけない量だけど、精神は削られていく。

カルメンという娼婦がこんなセリフを言う。

「頭のうしろっかわ半分がなくなってるような気がする…いや無い!
男と寝るたびに少しずつすり減ってるから、だんだんと身体も頭もうすべったくなってる。」

娼婦も男性を相手にする度に、身体が変化するわけではない。でも、精神が自分でもきづかないうちに、少しずつすり減っていっている。

主人公・コレットが、娼婦になった時のことをこんな風に回想している。

「そこは底なし沼みたいな場所
頑張れば抜け出すこともできるし
運がよけりゃ旅人が助けてくれることもある
でも…一度足を入れてしまったら
必ず泥の跡がつく

私は知らなかったのだ

その深い沼の周りには白い花が咲き
沼の表面には美しい枯れ葉が幾重にも重ねてしきつめられていることをー

恐ろしい場所というのは何でもない顔をして私達を待ち構えているのだということを」

この説明、作家という職業を説明しているように僕には思える。安野モヨコは、休んでいる間に作家ではない、違う生き方を選ぶという選択肢もあった。でも彼女は、漫画を描くことを選んだ。作家も抜け出すことができないタイプの職業なのだ。

娼館は、人気のある娼婦によって支えられている。人気のない娼婦がそこで生活できるのは、人気のある娼婦のおかげであることに無自覚だ。トップの娼婦は、誰よりも精神をすり減らしながら、人気が減らないように自分の場を守らなくてはいけない。

この構造、漫画雑誌の構造と似ていないだろうか?

『ハッピーマニア』、『働きマン』、『シュガシュガルーン』といった安野モヨコの代表作にも、安野モヨコらしさはたくさんある。でも、たくさんの人を楽しませるために、自分の強いところを多く見せている、外向けの作品という気が僕はする。

安野モヨコが、自分の弱みもさらけ出し、等身大の自分を描こうとしている時、舞台が娼館になっている。今まで安野モヨコが、娼館を描いてきたのは、毎回、壁にぶちあっている時でもある。自分を回復させるために、自分の心を見つめ、正直になろうとすると、自然と娼館が舞台になるのだ。

まだまだ語りたいことはたくさんある。

なぜ、変態をテーマにしたのか?

なぜコレットは、小説を書き始めるのか?

深いテーマが、『鼻下長紳士回顧録』には、たくさん詰まっている。

しかし、発売したばっかりのタイミングで、あまりにも多くを語るのは野暮すぎる。

描くのに費やしたのは3年ほどだが、この1冊には8年間の安野モヨコのすべてが詰まっている。そして、すごく安野モヨコらしさが詰まっている。

『鼻下長紳士回顧録』は、漫画だ。でも、そこには、安野モヨコにしか描けない、絵、台詞回し、独特のリズムがあり、読み終えた後の感覚は、他の漫画では味わえない安野モヨコ独特のものがある。

8年ぶりの新作を、ぜひ楽しんでほしい!