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#56 書くことは愛すること。


書くことは「こんな人生」を「最高の人生」に変えてくれた。
だから私は「書くこと」で、自分を救い続けている。




ある日突然、父が仕事を辞めてきた。

母は鬱病の専業主婦。
妹は首席で入学したはずの公立高校を中退。

私が大学3年生に進学したときの出来事だ。

我が家に残された課題は、「私が通う残り2年間の大学の学費をどう払うか」だった。

頼れるものは防衛大学卒の裕福な叔父と、身体が丈夫な事だけが取り柄の私。
母は叔父に頭を下げ借用書を立ててお金を借り、私は中洲でホステスのアルバイトを始めた。

朝はラーメン屋、昼はアパレルショップ、夜は中洲のスナック。
大学の授業がない時間は全てアルバイトを入れて、毎月20万ほど実家に入れる日々が続く。自分が今どこにいるか分からなくなるほど、働いた。

正直「自分の子供にはこんな苦労をさせたくない」なんてマイナスに考えることもあった。

でもあの頃の私は、決して不幸じゃなかったようだ。それは「書いた」ことで20年越しに知る。
良い出会いもあった。特殊な世界で生きてみて、新しい価値観を得るまでの過程は、わたしにとって大切なものだったんだと思えた。

「ああ、私が他人を自分の価値観で縛ったりする権利なんて微塵もないんだな」と学んだきっかけは、ホステスのアルバイト経験が大きく影響していた。

書いてみたことで、そう実感した。
書いてみたことで、私にとって必要な人生の一部分を知った。



必死に働いて、なんとか大学を卒業した私は、念願のアパレル企業に新卒で勤める。仕事は文句なしに楽しい。
しかし自ら望んでブラックな働き方をしていた私は、2度「急性胃腸炎」で救急搬送される。

「馬鹿だったな」「もっと要領よくできたのに」
思い出すと頭を抱えたくなるほど、余裕のない生活をしていた。
【好き】と【できる】が比例していなかった私は、仕事のミスも多く、デキる人間にはほど遠い。(そしてそれは今も続いている)

しかし当時の自分を思い出し「書く」ことで、自分の伸びしろを客観的に把握できた。

「ダメだったなあ、あの頃の私」なんて思っていた過去が、文字に起こしてみると、「不器用なりに、何とかなってきたもんだな」に変わった。

なんなら、ちょっと誇らしくもあった。
「私なりにがむしゃらにやってきたんだ、それだけ好きだったんだなあ」

しかし、その感情と同時に焦りも湧いてくる。
【楽しかったけど、しんどかった時代】を振り返ることで、「今の私の『本気度』とは?」という質問を突き付けられたのだ。

書くことで気付き、焦る。

「え?じゃあ今の私、あの頃みたいに必死にやっている?
書くことを仕事にしたいなんて実は口だけじゃない?
本当に書きたいの?」

書くことで、そう問い詰め、自分を戒めた。
書くことで、「やっぱり書きたい」と、本当の意味で本気になれた。



アパレル企業を結婚を機に退職した私は、その後年子で3人の子どもを出産。

「子供が嫌いだ」

3人産んでおいて、そんな自分を発見した私は当時30歳だった。

「母性なんてもの、全人類が持ち合わせているわけじゃない」
「仕事がしたい仕事がしたい仕事がしたい仕事がしたい仕事がしたい」

ワンオペ育児中、1分に1回はこう思うほど当時は病んでいた。

『良い母』になれない自分を責めていたあの時代を振り返り、書いたことがある。

子どもが嫌いと思い込んでいたが、ちょっとそれは違った。

書いてみると「あれ?私なりにちゃんと好きだったのかも」とか「苦しい時期にも楽しみを見つけて、ちゃんと頑張れてるやん」という過去の自分が出てくる。

現在は小学生になった子どもたちに、このエッセイを読んで聞かせると3人はゲラゲラ笑っていた。

「ママ、むっちゃ病んどる!」
「ママ、私たちこんなに大変やったん?」
「ママさ、3人の中で誰が一番育てにくかった?」

良い時間だった。なんだかこの瞬間、私のあの頃の苦労が全て「とりあえず、正解!」と認められた、なんとも言えない感覚に包まれる。

正直『親ガチャ』なんて言葉が流行ったとき、我が子に申し訳なく思った過去があったけれど、3人は私を母として認めてくれていた。

書くことで、救われた。
書くことで、過去の自分をちゃんと労えた。


1番下の子が2歳半だったときだったか、夫が突然「店をたたむ」と言い出した。

「あれ?デジャブ?」

大学時代の父の過去がフラッシュバックする。

飲食店オーナーだった夫は、コロナウイルスによる緊急事態宣言で自分の未来をあきらめた。

そこから私は家族5人を養うために事務職から営業職に転職し、またまた必死に働くことになる。

無職の夫と、子育て&フルタイムで働く私。
心に全く余裕が持てず、心が荒れていた過去は本当に目も当てられなかった。

しかし、その過去も書いてみる。

これらを書き進めていくと、だんだん夫へ抱く感情が変わってきた。

コロナウイルスが全世界で落ち着いたにも関わらず、無職歴を2年、3年、4年……と重ねる夫。
結果、トータルで5年間無職だった。

もちろん夫を責めたことはある。3人の子どもをどうやって育てるのか、明日の生活もままならなくなる、と。

しかし夫は人生をあきらめたかのような目をして、リビングのソファーに寝転んでいた。

そこで私はようやく悟る。
夫は鬱だった。

そんな夫に腹を立てるのは馬鹿馬鹿しい、と怒りを捨てる覚悟を決めたとき、ブチリと頭のブレーカーが落ちて、「夫とは働くもの」という認識を脳みそから抹消した。

そこからは書き続けた。Xやアメブロでも『無職夫との生活』をテーマに書きまくり「 "無職の夫を選んだ私の人生” の元をとってやる!!」と、もはや意味不明な闘争心が私の心に湧いていた。

そしてそれは予想以上に世間から反応があり、たくさんの「いいね」やコメントをいただくことになる。

「初めて訪問した者です。ごめんなさい、ご主人とのエピソードを読んで、思わず笑っちゃいました」

こんな一言が私の書く意欲を掻き立ててくれた。

「私の苦労や夫に対する黒い感情が、誰かのクスっとした笑いに変えられたんだ」

おこがましいかもしれないが、当時の私はそう感じた。


最初は多少の怒りも含んでいたが、書き進めてみると、面白いことが起こる。夫と出会ってから、「自分の見えているものがまるっと変化した」あの頃の自分の気持ちを思い出したのだ。

そしてそれを思い出し「よかった」と安堵。
安堵した自分は、まだまだ夫のことを根深く想っているみたいだ。



ここまで振り返って書いてみると、私にとって「書くこと」は人生で必要不可欠だったのではないか。

傍から見ると平穏な日々を過ごせていないし、実際に身内や親しい人たちから「しなくていい苦労をしている」と言われたことも、かなりあった。

でも私にとって、それらを全て書いてみると「え、私ってむっちゃ幸せやん」と気付くことがままある。

そう考えると、今生きている状況がどんなに辛くてどん底でも、「だから、書く」という精神を持ち続ければ、辛い現実を愛すべき過去に変えられる。

なので私はこう思う。


「書くことは、愛すること」















最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※今回のエッセイは藤原華さん主催の「なぜ、私は書くのか」noteコンテストへの応募作品です👇


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