てもねっと

「書くことを本業に!」が人生の目標です。 3児を育てるアラフォー主婦。 Webライター…

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「書くことを本業に!」が人生の目標です。 3児を育てるアラフォー主婦。 Webライター&オンライン事務ワーカー。 2024年 Webライターラボ 入会。 日々感じたことを備忘録として綴っています。 Xアカウント→https://twitter.com/tmnet2022

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#3 報・連・相

「そういえば○○の件って、今どうなってる? ちゃんと報告して」 私が上司から言われたくないナンバーワンのワードがこれだった。 なぜなら、私の「唯一」の取柄が『報・連・相』だから。 容量が悪くて不器用な私が、他人より完璧にできる仕事が『報連相』。 悲しいかな、いまだに、これしか自慢できるものがない。 だから、「報連相は?」と他人から確認される時は 「お前はそんなこともできないのか」と責められている感じがして…とにかく嫌なのである。 おそらくこの『報連相』にまつわる私のプ

    • #13 真面目に真っ直ぐに

      どこで読んだか忘れたが、私を失恋のどん底から救ってくれた本があった。 その頃に読むとしたら、フラワーコミックスの漫画か、双葉社発刊の小説だ。 題名は思い出せない。しかし私はたしかにあの時、本に救われた。 * 私の「人生終わったレベルの失恋」は21歳。 世間の『どん底失恋平均年齢』なんて聞いたこと無いが、まあまあ遅いほうな気がする。 当時付き合っていた男性に突然「他に気になる人ができた」と言われた。 (こんなん漫画か、ドラマの世界だけだと思っていた) 小・中・高と趣味や

      • #12 嘘のない世界

        2024年3月5日。場所は鹿児島の天文館図書館。 この日に私は、文字を通してしか触れられなかった人物と、現実に会えた。 「そのまんま、だ」 私が毎日読んでいる文章を編む人は、本の中のそのまんまの人物だった。 その人物とは「佐藤友美さん」こと「さとゆみ」さん。 さとゆみさんを一言で表現するなら『ものすごい経歴をもっていらっしゃる、素敵なライター』・・・(好きな人を紹介する時って、こんなにも語彙力がなくなるものなのか) 私はさとゆみさんの文章に触れて、ライターの仕事を

        • #11 愛さえあれば?

          「愛だけじゃ、ご飯は食べられない」 数年前の話だ。 カナダ人と国際結婚をした私のいとこが、結婚生活7年目に離婚した。 いとこが私の母にその件を報告をしにきたとき、冒頭の言葉をため息混じりに吐いた。 離婚理由は、金銭感覚の違い。 聞くと、カナダ人の元夫は大学で研究員として仕事をしていたそう。 元夫が勤めていた大学は、固定給ではなく、学会に発表して功績を上げた人しか報酬がもらえない制度だった。 一方、私のいとこは、英語は話せる・・・が、ネイティブは聞き取れない、という言

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        #3 報・連・相

          #10 おしゃべり遺伝子

          我が子は3人とも、よく、しゃべる。 言葉というものを覚えてから、彼・彼女らは「声を発すること」にまつわる全ての活動が好きらしい。 保育園の先生からは「お歌をうたったり、発表をしたりするのが、とっても上手なんですよ」と3人ともよく褒められていた。 「我が子自慢か?」 そう思った方、少し考えてほしい。 3人ともよくしゃべる、のだ。 一つ屋根の下に集合すると、どうなるでしょう? 正解は、『カラオケ以上、パチンコ未満』 * 「口から先に生まれてきた子」 母方の親戚

          #10 おしゃべり遺伝子

          #9 母性の発掘

          3人産んで気付いた。わたしは子供が苦手だ。 おそらく年子3人のワンオペ育児が相当、堪えたのだろう。 死なせないように世話をする『命の現場監督の期間』が長すぎた。心身ともに疲れ果てた経験からくるものだと予想する。 0・2・3歳だった3匹の怪獣たちと過ごした日々が、子どもへの苦手意識を高めたのか。いや、そもそも苦手だったのかも。そこは謎だけど。 現在、小学生になった子どもたちは、だいぶ手がかからなくなった。 昔ほど「ワーーー」と発狂するような大変さはなくなり、なんなら私の

          #9 母性の発掘

          #8 おイモ店長 その②

          「憧れのファッションブランドのMDになってやる!」 自分が物心ついて初めて掲げた将来の夢・・・いや当時は「なれる」と思っていたので『夢』ではなく、『目標』だった。 そしてそれは、アルバイトとして初出勤した、わずか数分でバツを付けられた。いや、正確には「バツを付けられたように感じた」が正しい。 モデル並みのルックスの持ち主であるK店長からダイエットを指南された私は、この日から1日のうち8時間以上を美容やファッションの努力に費やした。 若いうちしか許されないような明るく傷

          #8 おイモ店長 その②

          #7 おイモ店長 その①

          『JJ』『ViVi』『BLAENDA』『AneCan』・・・ 浜崎あゆみ世代の私は『お姉ギャル』という、華々しい生き物に憧れて、学生時代はこんな雑誌を読みまくっていた。 そんな私が『軽々しい』1つの決断をする。 「洋服に関わる仕事がしたい!」 しかし、当時の私は、ゴリゴリのギャルには程遠い、田舎くさい『イモ娘』 1980年代生まれの女性が95%が知っている「カリスマ店員」には、ほど遠い容姿とセンスだった。 それでも「なんか、こうすればギャルっぽいでしょ」と、 無理

          #7 おイモ店長 その①

          #6 A型、兄無し、姉有り、そして長男。

          『A型、兄無し、姉有り、そして長男』 これは、過去、私が好きになった男性全員に共通する点である。 「共通する点である」なんて言い切られても、だーれも興味ないのは承知のうえ。 しかし恥ずかしながら、上記に夫も当てはまるのはホントの話。(やーだ恥ずかしい) 怖がらずに結論から申し上げる。 「好きなものの共通点を探すのが楽しい」という、オチのない話をしたい。 私には、男女を問わず、尊敬する人・大好きな人が、わりと、いる。 Webライター、タレント、インフルエンサーなど…

          #6 A型、兄無し、姉有り、そして長男。

          #5 怪獣のことば

          「ママって、へんだよね」 今年9歳になる娘に言われた。 「え?顔が?失礼だねぇ、あなた」 「いやいや、ちがうって。ってか、そうゆうところだよ」 このやりとりの数分前、娘とこんな会話をした。 「今日さ、社会科見学で機動隊の仕事を見に行ったんよ」 「ふーん、良かったね!で、どうだった?機動隊にイケメンおった?」 この私の質問に対して、娘は冒頭のように「へん」と言ったのだ。 「ママ、ふつうさ、そこは『楽しかった?』とか聞くとこやん? ママはさ『イケメンおった?』って聞くから

          #5 怪獣のことば

          #4 必殺・記憶落とし

          77歳になる母が、ある日突然、物忘れがひどくなった。 いや、物忘れレベルではない。 私と交わした会話も、数時間前に起こった出来事も、すっぽりと記憶から抜け堕ちてしまうようになったのだ。 うーん、どうしたものか。 高校生の時、私は父方の祖父母と同居していた。 二人とも亡くなる10年ほど前からアルツハイマー型認知症。 なので私は、認知症に耐性があるはずだった。 しかし母の忘れ方は、あの頃の祖父母とは違う気がする。 * 「これ、食べてね」 「ありがとう、嬉しい!」 夫

          #4 必殺・記憶落とし

          #2 父の教え

          私の父は、変わり者である。 友人は、おそらくいない。 夏目漱石風に父を紹介すると、これが一番しっくりくる。 私の記憶だと、父は6:00に起床して朝日新聞を隅から隅まで読み通し、時間さえあれば文藝春秋の『オール讀物』を読んでいた。 さらに図書館で借りてくる10冊の小説を2週間で読み漁り、読むものがなくなれば、新聞にはさまっているスーパーのチラシまで読んでいた。 そんな父はお察しのとおり、基本的に無口。 会社での出来事や愚痴などを家で話しているのは、1度も聞いたことがない。

          #2 父の教え

          #1 「枠」 

          ある日突然、夫が仕事を辞めてきた。 しかし私は、心から夫に感謝している。 理由は、夫が仕事を辞めたことで、私のモヤモヤする悩みの原因だった「枠」を広げられるようになったからだ。 簡単に言うと、私の知らなかった「わたし」を発見できた。 私は枠という、目に見えない煩わしいものに、長年頭を悩ませていた。 なんならこの枠のせいで「生きるのってツラいなぁ…」とさえ感じていた。 この厄介者「枠」の存在は、結婚を機にのしかかってきたのである。 28歳のとき、私は新卒で入社したアパレ

          自己紹介・ポートフォリオ

          はじめまして。Webライターの「てもねっと」と申します。 以下に私の経歴と執筆実績をまとめたので、参考にしていただけたら幸いです。 ■プロフィール 【1984年生まれ 福岡県在住 3人の子どもがいる主婦です】 2007年 福岡大学 商学部卒業 2007年 大学卒業後、アパレル企業の営業部・販売事業部門に就職。店舗責任者を担当 2012年 結婚を機に上記退社 2013年~2015年 住宅設備関係の営業事務に勤務 2015年~2018年 化粧品会社のテレフォンオペレーター勤務

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