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#57 とある主婦の引退発表



「それってさ、AKBを辞めるときの前田敦子のセリフみたい」


8年ほど前、化粧品の営業を退職するとき、隣の席のTちゃんに言われた。

夫の転勤で福岡から離れることになり、3年間お付き合いいただいた顧客様一人ひとりに「退職に伴う担当者の変更」のお知らせを通知していた時のことだ。

「今後は、私の代わりにN原という女性スタッフが対応させていただきますので、これからもずっと弊社のお肌のお手入れ、続けてくださいね!」

手紙と電話で150人ほどの顧客様に退職の挨拶をし、電話だけれど、頭を深く深く下げた。

体感だが、実働7.5時間中、6.5時間は「ありがとうございました、今後とも弊社の化粧品をよろしくお願いいたします」とお客様に伝え続けたと思う。



『化粧品の注文が入ったら、梱包してお客様に送る仕事』

タウンワークにそう掲載されていた仕事は、入社してみるとがっつりセールスだった。

仕事の内容は以下のとおり。

①電話帳を見ながら1件1件コールし、自社の化粧品のサンプルを送る旨を伝える
②OKをもらえたら送付(使い方の説明やお礼のメッセージを書いた手紙も必ず添える)
③数日後、使い心地や感想を伺い、継続で1年分おまとめ購入(約12万円)していただく
④ご購入いただいた後も、毎月1回は電話にてアドバイスやお悩み改善の相談に乗り、社内で年に2回開催されるキャンペーンでまた購入していただくよう関係性を築いておく

勤めていた化粧品会社のセールスマニュアル

私と同じように、タウンワークで「半ば騙されて」入社した人たちは、合計で8人。半年で、私以外全員辞めてしまった。

やはり「身内からサンプルを配ってみたら?」と先輩社員から勧められるプレッシャーや、キャンペーン時期のノルマに耐えられる心臓を持ち合わせていなかったようだ。あんな軽めの募集要項で入社したなら、そりゃそうだ、と思う。

しかし私にはどうしても辞められない理由があった。
実は採用が決まってすぐに、3人目の妊娠が発覚したのだ。
普通なら妊娠を理由に辞めるだろうが、当時は夫が経営する店の売上が不安定だったので、どうしても仕事を続ける必要があった。
そして会社員として雇ってもらって、産休&育休をとったほうがメリットがあると考え、採用後もしばらく妊娠を隠して働くことに決めたのだ。

私は3人目の命に向かって「生まれてきたら、どおんとでっかくなってもいいからね!今はちょっとずつちょっとずつ成長しておくれ」と祈りながらお腹をそっとさすっていた。
実際にお腹が膨らんできたのは妊娠8ヶ月くらいのときだったので、私の祈りはじゅうぶんに通じたようだ。

とりあえず「あんたクビね」と言われるまではやってみようと電話をかけ続け、ありがたいことに「あんたがそう言うなら、一度使ってみるよ」と少しずつ顧客様が増えていった。

入社して約3年。

その3年の間に、ちゃっかり産休も育休も取得させてもらえて、私は計画通りに生きていた。しかしそんな中、夫が「宮崎ならもっと売れる!」と言い出し、家族全員で宮崎県に引っ越しが決まる。

ちなみにその頃の私は、九州全体の自社化粧品売上コンテストで入賞し、お呼ばれしたパーティーで壇上に上がって「入賞の喜び」なんぞを発表していた。

壇上からは、ドレスアップして着席している先輩たちの顔が見えなかった。ライトがかなり強めに私に当たっていたようだ。

代わりに、ずっと私の売上や心を支えてくれていたお客さまの、受話器越しの声が反芻される。

「あんた、私の娘よりも私のことを心配してくれるね」

「生まれた赤ちゃん、写真送ってくれてありがとね!可愛いけど、ご主人似なの?」

「3人の子供ちゃんは元気?あ、ぜひ食べさせてほしいものがあるから、あんたの会社に送るよ!」


なぜかお客様から、牛を丸ごと1頭買わないと食べられない部位のお肉やら、自分の庭で採れた季節の野菜やら、出産祝いの入浴剤やらが事務所に届いた。

当時、私は和歌山県の電話帳担当だったので、お客様の顔は誰一人見たこともないし、見せたこともない。
それなのに、こんなに可愛がってもらったので、私は未だにテレビで「和歌山県」と聞くと、事故や天災があったのではないかとチェックする習慣がついている。


そんなたくさんの優しさに支えられた3年間ぶんの感謝を伝える電話のやりとりを聞いていたTちゃんが、ブースの仕切りからひょこっと顔を出し、冒頭の「AKBを辞めるときの前田敦子のセリフ」と私をからかってきたのだ。

「私を嫌いになってもAKBのことは嫌いにならないでください」

AKB48を卒業する前田敦子は、たしかこんな感じの挨拶をした。

ああ、たしかに。

「この会社の化粧品、お客さんに辞めんでほしいな」

気付けばそんな気持ちが育っていた。

実際に自分が一番のヘビーユーザーだったし、周りからも「くすみがとれたよ」と褒めてもらえていた。

だからお客様にも「一緒に、きれいになりましょ!」と言って勧めてきて、お客様もそれを信じて使い続けてくれていた。

「売れる秘訣は?」とよく周囲に聞かれたりしたけれど、その答えは「知識があるから」とか「経験値が人よりズバ抜けているから」とか「言葉が巧みだから」ではない気がする。

ただ「良いものを知ってほしいから」

「めっちゃいいんよ、やらんと損する!ってか、私の周りの人、みんなにすすめてる!」本当にこのノリだ。

抹茶嫌いの友人に、「スタバの抹茶フラペチーノは別格だから!コレ飲んだら、抹茶好きになるレベルで美味しいから、1回だけ飲んでみて!」と言ってる感覚に近い。

そんなおすすめを「わ、ほんとに美味しい」と納得してくれた方が、私のお客様になってくれている。

出勤最終日。
「あいちゃんてさ、本当にお客さんのこと、好きだったんだね」と、からかっていたはずのTちゃんが、目に涙を浮かべていた。
「え?演技だと思ってた?なら私、女優だね!」と私が涙をこらえて笑うと、「隣にあいちゃんがいたから、頑張れてたのに」と答えにならない答えが返ってきた。

「私はアイドルでも何でもない普通の主婦だけれど、寂しがってくれる人がいるだけで、良い仕事ができてたんだな」と自画自賛していた。







しかし、神様はそんな傲慢な私を見逃さない。


その後7年間、私は化粧品には収まらず『スポーツジム入会』や『太陽光パネル』や『蓄電池』もセールスする運命が待ち構えている。

今思い返しても、売るものは変われど「良いものを勧めるおせっかいおばさん手法」で売れたんだとしか思えない。


「好き」さえあれば、なんとか売れる。


何の取柄もない主婦が、トータル10年間の営業職で培った思考はこの一言に尽きる。















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