モデルから始まった職業の変遷
私の職歴は16歳まで遡る。
ミスSEVENTEENに選ばれ
雑誌の専属モデルから始まる。
学校も通っていたが、堀越だったので仕事重視の生活である。
しかし雑誌のモデルというのは当たり前だが人気商売。
人気がなければ仕事もない、
人気商売と言えど読者以前に、編集さんに気に入られたり
スタッフと仲良くなければいけない。
上辺の付き合いというのはできない。現場の人間関係というのは濃いのだ。
やはりこういう現場でも調和というのは大事で
個性が優先されると思いきや
読者、流行りに合わせるということが一番求められていたように思う。
私は、人気がなかった割に
他誌へ移籍することができた。
これは当時にしては奇跡だったと思う。
ティーン雑誌から、お姉さん雑誌に移籍というのは意外と難しいのである。
雑誌にはその雑誌のらしさがある。
ティーン雑誌出身のモデルは、どこかおぼこい雰囲気が残っているので
お姉さん雑誌へのイメージチェンジするのは難しい。
が、移籍してもやはり協調性のない私はここでも上手くいかず
結果として4年ほど在籍し
事務所と一緒にクビとなった。
無職である。
(仕事を潔く辞めるに至った理由はこちら↓)
16歳から働き23歳で無職。
同級生は社会に出始めてキラキラしてる中で、無職。
今なら、まだ若いんだからなんでもできるよと言いたいが
当時の芸能界は名が知れてる人以外は21歳超えてると使いにくい存在であった。
かといって、新卒で企業に就職?モデルしかやったことがない私に?
無理である。
しかし、何故かこのタイミングで母が銀座で事業を始めたのである。
となると、半分ニートみたいな私は渋々手伝うことになる。
母は2年前に亡くなったので、今となっては美談であるが
親と仕事するというのは共依存が増すし給料もグダグダになる。喧嘩も増える。
少なくとも私の母は、母であるが故に
無茶振りが多く
娘の私と同じくコミュニケーションが得意ではないので
人が雇えない!となると、娘の私がやるしかない!
銀座で和食の店を始めた母は、よくやったと思う。
しかも銀座8丁目。
何も知らないから飛び込めたのかもしれないけど
素人が出せる場所ではない。水商売の経験もない専業主婦。
銀座というのは一見さんは大概お断り。
母の店もそうだった。
ではどうやって客を得るかというと
商社に勤めていた父の存在である。
父にお客さんとして来てくれそうな人を80人ピックアップしてもらい
招待状を出す。
義理があるので、そのお客さんは2回目は来なくても
店を使ってくれそうな丸の内サラリーマンを連れてくる。
この繰り返しで母は800人まで増やした。
この時の私?
ただの無愛想な娘で、ひたすら皿を洗っていた。
一生分の皿を洗った気がするから、家では皿を洗いたくないのである。
つづく。
次回、勘当からの芸能人のマネージャーへ。