なりたい自分はもういなくて、ありたい自分だけがいる:Fo[r]est conscious-脱
この数ヶ月で[思考の整理→断捨離][モノの整理→断捨離][心の整理→断捨離][あたらしい視点の自己分析]というプロセスを経て、いろんなことがスッキリしてきた。
もう誰に何を言われてもわたしはわたしだと言い切れるくらい、自分の軸が太く強くなってきていることを実感する。
昔は好きなことや興味があることが先にあって[その世界にかかわることをしたい]というイメージと具体的になりたい姿があって[なにかになる]ために行動していた。例えば、旅が好きだから[ツアーガイドになろう!]のように。
その後転職をしたのだけれど、その時は具体的な職業ではなく企業のブランドイメージに魅力を感じ[こんな世界観の中で働いてみたい!]という想いから、今までの経験を生かしてできることで[なにかになる]ことにした。
そして今は[憧れていた世界観の中でやってみたいことを提案できる]ようになり、尊敬できる仲間たちとわたしの個性を理解してさらに成長するチャンスをくれる上司と共に楽しく働いている。
たとえ同じことをしたとしても[その姿になりたくてなにかになった]わたしと、世界観に共感して[自分ができることでなにかになった]わたしは全然違うんだな、とあらためて感じた。
もし、今なら何にでもなれるよ!何になりたい?って聞かれたとしたら... [今の自分のままがいい]と言うと思う。それに、なぜか急に[なにかになる]ということの意味がわからなくなってきた。
まるで、ゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめ...ってたくさん言ったら[ゆめ]ってなんだっけ?って思ってしまうように。
あんなに[なにかになりたい]っていう気持ちで生きてきたはずなのに。
時間ができたことでじっくり考えてみようと思ったことのひとつが[これから自分は何を大切にして、どうありたいのか?]だった。どうしても[なにかになる]イメージが湧いてこなかった。
今は言葉が見当たらないけれど、きっと転職を考えたときに何かが変わったんだと思う。
[どうありたいか]ということについては前のnoteの記事に綴った通りで、
いろいろ試行錯誤しながら自分なりのあり方を見つけた。
その後は[ありたい自分]として生きていくにはどうしたらいいのか?と考えるようになっていた。
もしかしたら何かの形で[表現すること]かもしれない...そう思っていた時にnoteに出会った。
わたしは文章を書くことが得意とは思っていないけれど、こうやって感じていることや考えていることを素直に言葉にしていくと、すごく自分でも理解が深まるし、書いている時に[問い]が生まれたり[あたらしい発見]もあるので純粋に楽しい。
そして、今日。やりたいこと、できること、やるべきこと、求められていることのすべてを叶えながら、自分自身として生きていける方法を見つけた!!!ものすごく嬉しい!!!
[なりたい自分]は[ありたい自分]を体現するツールなのかもしれない。
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