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下駄箱

過度に期待をし過ぎてたか
友達よ、友達よ
いつの間にどういう過程でそうなっていたかはよく分からないが


今でもはっきり思い出すことができる。
登校の時間は、いつも早かった。
普通に行って、誰かにあったり
遅れていって、クラスの視線が集まって
また何も言われないまま戻られるのを、気持ちよく思えなかった。

放課後、クラスの数人がある教室でコの字型に座っていて
先生が私を自分の教室まで迎えにきて、その会議の場に連れて行った
ある一人のクラスメイトの上履き、を隠したとか、私が犯人だとか。
私の明るく、まじめな面を障りに思った、
クラスの高ヒエラルキー勢による、降ろしが、この会議から始まった。
担任、学年主任、ともに助けてはくれず、
ただ、俺が犯人だと知っている人、という多数決を取り、会議をしめ、
軽く叱り、解散した。
ただ、その羞恥心の瞬間風速と、翌日から始まる、耐えるだけの日々が
ああ、今、大人になった私が、普通で、よかったなあと思わせる
完全なまでの影となった。

翌朝
瞬間、心臓が盗られるんじゃないかと、きわめて蒼い悪寒がして、
即座にくしゃくしゃに丸めたのを覚えている。
下駄箱に入っていたのは、ノートの1ページを破り、
殴り書きで簡素かつ最悪な二文字を記した、無駄紙だった。

教室の机にも、同じ紙が2枚ほど入っていた
やるせない思いと、気丈でいなければどこかすべてが嫌になってしまう
という思いと
年の離れた、小学生の弟に、ダサいと思われるのは勘弁してくれと
いまでは何をダサいと呼んだのかも分からないけれど
とにかく自分の足で立っているために、それらのくしゃくしゃにした呪いを
自分の机にあえて入れっぱなしにしておいたことを覚えている。

中学時代の後半は、誰かと話をした覚えがなく
毎日独りで食べる弁当が、とにかく味気なかったのも忘れていない。
母親の作ってくれた弁当を、食べきるには満足に腹はすかず、
その料理たちをやった末を、今も思い出しては落ち込む。
受験期にすら、日本語が出てこなくなるくらい人との接触が嫌で
国語が難しく、人物の行為の意図や、心象をくみ取れないまま点を失った
社会派の学園ドラマを見ても、問題提起にうなずくより、
エンディングに向かって何かが解決されていく様に、
うらやんだことのほうが多く、


なにより、いつも泣いていた。



しょうがないから国語なんてあきらめて、
社会はぼんやりと怖い、理科も生物を知ることが嫌で、
引き算をすれば、引いてもいないアイツの上履きに呪われて。

だから僕は英語科を学んだ、
到底そこらの公立中学生が、身につけられるわけのない英語力を培った
高校へ入る直前、英検も準1級を取得し
毎日、空港の駅改札前に立ち、悩む外国人旅行者を助けた。
JRパスや、鎌倉、飛騨高山、京都仏閣、広島なんていう
ゴールデンルートにも精通
オランダ旅券の強さや、中国人の世界的な実績の伸びる様に時代を感じた

それが僕の旅行好きの根幹でね
みんなね、今がつまらない人でも、結構いきなり、結構ぼんやり
強くなれるよ。
大学出るまでパスポートなんて持ち合わせてなかったけど
最後に持ってたガラケーの電話帳は、
あいうえお順よりアルファベット順に友達を探すグローバルさだった。
気前のいい金髪にチップをもらうのも、いい経験だった、

見返すこと、が自分の人生に、スキルや、楽しみを
飾り付けていくこととイコールだと、今は思えていて
不安を抱えて、クラスメイトと目が合わない、あの日々の私は
もうどこかへいってしまった。
独りで追及するなにかや、打ち込まなければならない何かは
どこかで自分を救ったりもするものなのでしょう。

何かにさいなまれている人よ。
ぶっとばしてやれよ、今の自分を。
引きこもって何がわるい、学校もいかないで、
家で教科書三昧だった。
楽しかったよ。this is a pen.
そう大人になった私の最近っていうのがね


なにより、いつも笑えている。


2020年、よーすけ

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