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#354 『倒産危機に聞こえてきた母の声』

本日は、坂東太郎社長の青谷洋治さんの「倒産危機に聞こえてきた母の声」についてのお話です。青谷さんは茨城県出身で専業農家の長男として生まれ、子供の頃から農業に従事しながら、そば店で修業をしました。その後、そば店店主として独立した後、坂東太郎を立ち上げました。

(私も茨城県出身なので、坂東太郎のことは知っていますが、創業者が誰かは知らなかったので、今回青谷さんの創業までの物語を知る機会となりました。)

"母が亡くなったのは、私が15歳の時です、弊社は「親孝行・人間大好」という経営理念を掲げていますが、それは早くに亡くした母への思いから出てきたものでした。私は農家の生まれですが、小学校の頃から社長になりたいという夢があったんです。しかし、高校へ進学する直前、病気がちだった母が亡くなり、父も病に伏してしまいました。とてもじゃないけど、進学したいなんて言える環境ではなかったですね。"
"姉と二人で農家をやりましたが、どうしても社長になりたいという夢が捨て切れない。だから昼間農家をやりながら、夜は飲食店でこの仕事の修行を積んでいきました。"
"人が3年でやることを1年で覚える覚悟で修行し、3年数か月後に独立しました。ところが、店の開店資金がなかったんです。銀行へ融資をお願いに行っても、当時はまだ24歳でしたから全然信用してもらえない。11回目の訪問でようやく700万円をお借りして、昭和50年に「ばんどう太郎」の1号店をスタートさせてもらいました。"
"バブル期に倒産しかけた時は、朝から晩まで懸命に働き、夜は亡くなった母の墓前に本気で祈りました。3ヶ月くらい祈り続けた時、ふっとこんな母の声が聞こえたような気がしたんです。
「働いている人を大切にするんだよ。そうすれば人は辞めていかないよ」
自分は働いている人を幸せにしているつもりだったけど、心の底から幸せにはできていなかったんだなと気づかされました。3日後、すべての店舗を休みにして、全社員を一つの会場に集めて、私は皆さんに頭を下げて謝りました。"
"「一所懸命みんなの幸せを考えてきたつもりだったけど、まだ本気ではなかったのかもしれない。これからは膝を交えてみんなの話を聞きながら、経営をさせてもらいたい」
この時の会がきっかけとなって、それ以後年に4回、社員と意見交換を行う社長塾へと発展して行きました。労務倒産しかけた時が一番のピンチでしたが、それによって「働いてくれている人たちの幸せを本気で考える」という経営の原点を教えてもらったと思っています。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/12/20 『倒産危機に聞こえてきた母の声』
青谷洋治 坂東太郎社長
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※Photo by Gaelle Marcel on Unsplash