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#253 『人生の後半をどう生きるか』

本日は、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比さんの「人生の後半をどう生きるか」についてのお話です。英文学者・言語学者である外山さんの「思考の整理学」や「ものの見方、考え方」という本は、自身の『思考設計』のエッセンスが詰まった本です。

※「思考の整理学」は1983年に出版されてから35年以上経っていますが、売り上げ総数250万部を超える不滅のロングセラー作品です。

残念ながら、昨年7月にお亡くなりになってしまいましたが、96歳まで人生を歩んだ外山さんの言葉に触れる機会は大変貴重であると思います。

"座右の銘を持つなら、単に人から聞いたり、本から拾ったり借りた物を安易に掲げるよりも、自分の人生から導き出した信念のこもった言葉にするべきだと思っている。そしてその言葉は、その時々に変化していくほうがいい。それは決して変節ではなく、進歩の証だと私は考える。"
"私が一番最初に心に留めた言葉は、「我が道を往く(Going My Way)」だった。...私はこれを、他人のやることに付和雷同しない、と解釈して心に刻んだ。我が道というのは、常識、流行、体制といった多くの人がいるところにはない。一人で運命を切りひらいていく覚悟を持ち、孤独に耐えて歩んでいく者がつくっていくものである。"
"私は、誰もが留学したがる中で、その実効性に疑問を持って海を渡らなかった。また一切の役職を断り、社会的に地位を得て自分を見失うことを避けてきた。一人で道をひらいていく覚悟を持って、精神的に自立して歩んできたのである。周囲からは変わり者と見られていたようだが、私は意に介さなかった。"
"我が道を往き、自分の頭で考えることを実践し続けて私は86歳になった。それなりに納得のいく人生を歩んできたという満足感はある。しかし、流石にここまで長生きをするとは思わなかった。人生50年くらいの気持ちで生きてきたところが、50歳を過ぎても一向に終点が見えず、途方に暮れているというのが定年を過ぎた多くの人の実感だろう。"
"これからどう生きたらいいのか、と考えている時にこんな俳句と出合った。

浜まで海女も蓑着る時雨かな

詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水である。これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのである。"
"この句の''浜''を''死''と捉えれば、一層味わいが深まる。どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところである。死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照りつければ日傘を差す。そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/09/10『人生の後半をどう生きるか』
外山滋比古 お茶の水女子大学名誉教授
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※Photo by Fabio Comparelli on Unsplash