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#344 『若い時に流されなかった汗は老いて涙になる』

本日は、アシックスグランドマイスターの三村仁司さんの「若い時に流されなかった汗は老いて涙になる」についてのお話です。三村さんは競技スポーツ用シューズの職人であり、数々の有名選手の靴をサポートしてきました。

今回のお話はアシックス時代のお話ですが、アシックスを定年退職後にも、シューズ工房「M.Lab(ミムラボ)」を設立したり、アディダスジャパンの専属アドバイザー、現在はニューバランスの専属アドバイザーとして靴の開発、技術向上に貢献されています。

"この道に入ったきっかけは、やはり陸上で長距離をやっていたことですね。日本を代表するような選手ではなかったが、それほど弱い選手でもなかった。駅伝の名門飾磨工陸上部でキャプテンを務めたんですから。大学からも誘いがありました。...スポーツに関係した仕事がしたいと思いました。それにね、考えていたことが一つありました。"
"当時はいまのように整備されたグラウンドはなく、小石混じりの1周200メートルのトラックを布製の靴で急カーブを切って何周も走る練習でした。だから、靴がすぐに破れるんですよ。通気性が悪いから蒸れて、故障の原因にもなる。もっと丈夫で走りやすい靴はないかといつも考えていました。しかし、一直線にこの仕事にたどり着いたわけではありません。また、最初から思い通りにこの仕事に就いていたら、いまの私はなかったと思います。"
"地元のスポーツメーカーである、当時はオニツカといったアシックスに入社するのに躊躇はありませんでした。それで、自分の思いをかなえるために研究室を希望しました。ところが配属になったのは製造現場です。腐るほどではなかったですが、がっかりはしましたよ。最初は成形係です。...正直、辞めてやろうかとひそかに思ったこともあります。"
"当時、オニツカの靴は生産が追いつかないほど売れていましてね。とにかく手を休める暇もないほど忙しかった。これがよかったのです。売れる靴というのは、靴の基本がきちっと備わっているからです。その靴の一部を自分の手で何足も何足も作る。それは理屈ではなく、靴作りの基本を自分の体に染み込ませることになりました。"
"後に瀬古利彦選手のシューズを担当し、早大、エスビー食品の監督であり瀬古選手の師である中村清先生と知り合い、私は多大な影響を受けました。その中村先生の言葉にこういうのがあります。
「若い時に流さなかった汗は老いてから涙になって返ってくる」。"
逆に言えば、若い時に汗を流せば流すほど、その成果は後に現れて喜びになるということでしょう。あの時期に靴作りの基本、本質を体を使って身につけたことが、いまの別注シューズに生きていることを思わないわけにはいきません。


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/12/10 『若い時に流されなかった汗は老いて涙になる』
三村仁司 アシックスグランドマイスター
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※Photo by Loris Marie on Unsplash