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#260 『本物の人物を撮る心得』

本日は、写真家の藤森武さんの「本物の人物を撮る心得」についてのお話です。今回のお話は藤森さんが32歳の時に出会った画家の熊谷守一さんから学んだことが語れています。大の写真嫌いであったと言われた熊谷さんが藤森さんには心を許したエピソード、その中で藤森さんが写真家として思考している過程がとても心に残りました。

"画家の熊谷守一先生にご自宅で初めてお会いした時、先生は94歳、私は32歳。...年は親子以上に離れていて、しかも初対面の人間になぜこんなに優しくしてくれるんだろう。そう思ってふと顔を見ると、それがものすごくいい顔だったんです。本当に目が澄んでいて髭もかっこいい、どう見ても普通の顔じゃない。お会いした瞬間から私は先生の顔、人柄の虜になり、いままでいろんな人に会ってきたが、この人以上に素晴らしいポートレートを撮れる人はいない。何とかして先生の写真を撮りたいという強い欲望に駆られたのでした。"
"3ヶ月ほど経った頃、「そういえば藤森さんは写真家だよね」と聞かれました。もしかしたら、「写真家なのにどうしてカメラを持ってこないんだ」と言いたいのではないかと考えた私は、次にお会いする時、思い切ってカメラを持っていき、先生に向かってさりげなく構えてみました。すると、写真嫌いの先生がにこっと笑ってくれたのです。私はこれを「藤森さんなら撮っていい」というシグナルだと受け止め、この日を境に先生の写真を撮り始めたのでした。"
"ところが、何枚写しても、背筋の伸びた、それでいて味わい深い先生の姿は上手写りません。先生のほうは構えもなく淡々として普通と何ら変わらないのに、上手く撮ろうと上手く撮ろうと邪念が働き、焦れば焦るほど先生が大きく見え、ファインダーの外にはみ出してしまう。...一所懸命になっている私を見て、先生は「写真屋さんって犬猫のような格好をして撮るんだね」と笑っておられる。...本物の人物を表現するには細工をせず、真っ直ぐ撮ることが大事なのだと先生は教えてくれているのではないか、次第にそう考えるようになりました。"
"すべて真っ直ぐで勝負していきました。そのように先生を夢中で撮っていく中で、ふと気づかされたことがあります。それは、カメラのシャッターは単に指で切るのではなくて、自分のすべてを集中させた「心の指」で切るのだということです。もちろん先生が直接そう言ったわけではありません。先生は無口であまり喋る人ではない。ところが、先生はその姿そのものから無言のうちに多くのことを教えてくれるのです。本当に言葉では表現できない不思議な人でした。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/09/17『本物の人物を撮る心得』
藤森武 写真家
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※Photo by Ailbhe Flynn on Unsplash