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#280 『人間は努力するかぎり、迷うものだ ー ゲーテの言葉』

本日は、評論家の森本哲郎さんの「人間は努力するかぎり、迷うものだ」についてのお話です。日本の文明批評の第一人者として知られた森本さんは、東京大学文学部哲学科を卒業した後、同大学院の社会学科を修了します。その後、朝日新聞に入社し、学芸部次長や朝日新聞編集委員を経て、1976年に退社した後は、評論家として活動をしてきました。

"先人の言葉は逆境の時ばかりではなく、順境の時の戒めとすることもできます。新聞の学芸記者だったころ、将棋欄を担当していた同僚に頼み込んで、升田幸三、大山康晴両棋士の名人戦を見学したことがありました。ところが、実際に観戦してすっかり閉口してしまいました。いざ対局が始まると、駒が一つ動くたびに「大山名人、長考1時間43分」といった具合です。その長い間、素人の私はひたすら次の手を待つしかありません、何とも退屈で、もうこりごりして帰った記憶があります。"
"対局のあと、しばらくして大山名人にインタビューする機会がありました。私は観戦の体験を思い出し、いったい、どういう時に長考するのか聞いてきました。すると、大山名人の答えはこうでした。
「そりゃ、うまくいきすぎている時ですよ。だって、物事というものは、そんなにうまくいくはずがないでしょう」"
"それを聞いて、なるほど「守りの大山」といわれる秘密はここにあったのかと、私はその''秘密''を初めて知らされました。普通の人なら、物事がうまく運んでいる時は、その勢いに乗って突き進み、何も深く考えません。だから、思わぬ落とし穴に嵌り、失敗してしまう。ところが、大山さんは「物事というものは、うまくいくわけがない」ということを確信しているので、やたら順調に進んでいる時は、どこかに落とし穴があるに違いないと考えるのです。これは勝負に勝つ秘訣であると同時に、人生を誤らないための至言だと思い知らされました。"
"私はたまたま友人に勧められてゲーテの『ファウスト』を読み始めました。その中で「人間は努力するかぎり、迷うものだ」という文句を見つけたのです。その文句を読んだとき、思わずハッとしたのをいまでも忘れることはできません。"
"何かを成し遂げようと思った時、迷うことなく目標に達することなど、決してあり得ません。高い目標を掲げれば掲げるほど、何かを成そうと願えば願うほど、人はあれこれ悩むものです。逆に見るなら、迷わない人間とは、何の努力もしない人間と言えましょう。努力しなければ、迷うことさえないのです。ゲーテは迷いこそ生きている証拠であり、迷ったあげく目標に到達するところに人間の真実がある、と確信していたのです。それ以来、私は迷うことを少しも苦にしなくなりました。迷うということは、それだけ真剣に努力していることの証拠だと考えたからです。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/10/07 『人間は努力するかぎり、迷うものだ』
森本哲郎 評論家
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※Photo by Sherman Yang on Unsplash