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#358 『出撃前夜の特攻隊員』

本日は、作家の神坂次郎さんの「出撃前夜の特攻隊員」についての「お話です。神坂さんは1927年生まれで、1943年に陸軍航空学校に入校し鹿児島県知覧特攻基地を経て、航空通信隊員として愛知県小牧飛行基地で任務時に終戦を迎えました。戦後は演劇の仕事に就き、時代小説を書き始めます。1982年には『黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞、1987年には『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』で第1回大衆文学研究賞受賞した作家さんです。

"第七十二振武隊員の千田孝正伍長のことは、お芝居でも書いて随分感動を呼びました。第七十二振武隊というのは、昭和20年5月27日に、万世飛行場から出撃した部隊なんですが、自分たちから''特攻ほがらか部隊''と名づけたくらいに陽気で愉快な連中の集まりでした。出撃前に1週間ほど滞在していた横田村(現・東背振村)では、夜になると地元の人々が慰問に訪れていたのですが、隊員たちの元気な余興に、逆に村の人々が元気づけられるほどだったそうです。中でも人気者の千田伍長が、ひょうきんな身振り手振りで踊る特攻唄は、村の人々を爆笑させました。ところが、出撃前日の夕方、竹林の中であの陽気な千田伍長が、「お母さん、お母さん」と泣きながら日本刀を振り回していたのを、通りかかった女子青年団員の松元ヒミ子さんが見ているんですね。そういう話になると、もう、涙が溢れてきて、私などは何もしゃべれなくなる・・。"
"なかなかいまの人には理解していただけないとは思いますが、いかに私たちの青春というのが凄まじいものであったかということです。松元ヒミ子さんはおっしゃっています。

「日本を救うため、祖国のために、いま本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当り精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、あの頃、私たち特攻係の女子団員は皆心の中でそう思うておりました。ですから、拝むような気持ちで特攻を見送ったものです。特攻機のプロペラから吹きつける土ほこりは、私たちの頬に流れる涙にこびりついて離れませんでした。38年たったいまも、その時の土ぼこりのように心の裡にこびりついているのは、朗らかで歌の上手な19歳の少年航空兵出の人が、出撃の前の日の夕がた『お母さん、お母さん』と薄ぐらい竹林のなかで、泣きながら日本刀を振りまわしていた姿です。ー 立派でした。あンひとたちは・・」"  
"ただ私は、決して戦争を肯定したり、特攻を美化したりするつもりはありません。特攻は戦術ではなく、指揮官の無能、堕落を示す''統率の外道''です。私は、その特攻に倒れた若者たちが見せてくれた、人間の尊厳、生きる誇りを語り伝えていきたいのです。"
"自分の命を白熱化させ、完全燃焼させて飛び立っていった特攻の若者たちは、生きていた歳月は僅かでも、その人生にはいまのような生ぬるい価値観を拒絶したような厳しさがありました。その厳しさの中で自分の人生、命の尊厳を見事に結晶させていったのです。日本人としての誇りを持って飛んでいってついに還ることのなかった彼らのことを語り続けることで、愛する日本の未来に新たな光がもたらされることを願っています。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/12/24 『出撃前夜の特攻隊員』
神坂次郎 作家
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※Photo by Richard R. Schünemann on Unsplash