人生を変えた出会い
タグの名前をタイトルにするのは、初めてなんですが。笑
生きてていろんな出会いがあったけれど、人生を変えた出会いって言ったらね、やっぱりわたしにとってはこれだなっていうのがあって。
それは、なんにもできない自分との出会い、です。
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出会ったこと、ありますか。
なんにもできない自分に。
出会ったとしたら、どうしますか。
わたしはね、出会ったとき、全然受け入れられませんでした。笑
びっくりするんです。今まではいろんなことができて、いろんなことをやって生きているつもりだったからね。そして、いろんなことできるのが自分だと思ってました。
「何かができるわたし」を愛するのは、簡単なんです。だって明らかに有用だから。意味もある、意義もある。
でも「なんにもできない自分」、愛せますか。
意味もない、意義もない。有用でもない。愛する理由が見つからない。
またこれも驚いたんですけど。そっか、自分は理由がなくちゃ自分のこと愛そうとは思えないんだなと気付きました。
ふと思った。「わたしは何かができなくなった」のではなくて、わたしの中にもともと「何もできないわたし」が含まれていたんだなって。
不思議なんですよね。「わたし」を構成する要件って何かって言ったら、そこに「わたしができること」は含まれていないんですよ。それができなくなったところで、わたしはわたしから逃れられないんです。
諦めたら試合終了だなんて言葉がありますけど、あきらめたって試合は終わってくれない。なんにもできなくても、試合は終わらない。
続いていく、「終わらない試合」のなかで、ただただ「なんにもできない自分」がいる。
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世界って、無駄ばっかりなんです。
でも、その無駄がこれほどまでに破綻せずに全部調和してるの、すごくないですか。無駄ばっかりなのに、ずっと凝視していると、なぜか過不足がないような気もしてくる。
自分もおんなじ。
無駄なんです。なのに破綻しない。
無駄なんです。でも自分のこと愛したくて、好きになりたくて、一生懸命無駄じゃなくなろうとする。自分の意味をみつけようと、意義を見出そうと、一生懸命「有用な自分」になろうとする。
ちょっといじらしくて、かわいいですね。笑
きっと、自分のおおもとの部分って、その「無駄」に見える部分なんじゃないかな。
意味も意義もない、有用でもない、その何か。その、絶対的にある何か。「ある」だけの何か。自分を構成する要件ってその、「ある」だけなんじゃないか。
もういちど戻ります。
なにもできなくても、それでも自分のこと、愛せますか。
無条件に、自分のこと、受け入れられますか。
自分の根っこってなんだと思う?
わたしね、きっと自分の根っこに会ったんですね。
あんまりにも自分に有用性と意味と意義を求めすぎていたから、素っ裸になったんですね。自分で自分と引き合わせたのかもしれない。わかりませんけど。
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友達にこう言われたことがあります。
本当に、唐突に。
「もしわたしが仮に植物状態になったとしても、あおちゃんだったらそれでもわたしのこと受け入れて愛してくれるだろうなって、なんかそんな気がする」
うーん。たしかにそうだと思う。
そしてあの子の口から、なんかわたしの本音みたいなのが出てるなと思って、おもしろかった。
自分に受け入れられて、愛されたいんですね。人間は。
最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡