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自分に見えないその色は、どんなに美しいのだろうか

自分の魅力などというものは、自分にはわからなくてもよいのかもしれない。

……と、最近は思います。
もちろん、自分の魅力を知っていることは素晴らしいことだし、自分で自分のどこかしらを「好き」「素晴らしい」って思えるのは、それ自体がとても素晴らしくて幸せなことだと思うんですが。

自分の魅力に気付きましょう、みたいな言葉はたくさんあります。わたしも何度かそんな文章を書いたような気がします。

でも、そういう言葉がすーっと目の前を通り過ぎていくだけで、むなしい気持ちになることだってある。
「わかってるよ、そんなこと知ってるよ、誰にだって魅力があるって、頭ではわかってる。でも自分に限っては、見つからんもんは見つからんのよ」って。

わたしには、わたしの魅力が見えないのよ、って。

見つからないものをずっと探して、疲れてしまうことも、たぶんあると思います。
見つかってる人は、それでいいです。笑
見えてる人は、大いに見てください。
それはとってもすてきなことだから。

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それでね、最近よく思うのは、別に「自分の魅力を自分で知っている必要はない」っていうこと。

たとえば、綺麗な水色のレンズのメガネをかけていたら、美しい水色はその目にうつらないじゃないですか。味気ない微妙な、ちょっとくすんだ無色っぽく見えるよね、きっと。
多分そういうことなんじゃないだろうか、って思うのです。
きっとめちゃくちゃに美しいその人色の何かしらが、その人自身から放たれているのに、その人の美しい水晶体までその色だから、きっと見えないんでしょう。それがどれだけ美しい色なのかっていうことが。

自分には、見えない。
それでいいんじゃないでしょうか。

でも、きっと誰かが見て「ああ美しいなあ」って思ってくれている。
それだけは、覚えておいたらいいんじゃないかな。
「美しいよ」って言ってくれてる言葉をそのままありがたく受け取っていたらいいんじゃないかな。

だって自分には見えないんだもの。
でも、相手には見えてるんだもの。

相手には見えてるんだ、っていうことだけは忘れないで。
結構ね、信じられなくて捨てちゃうんですよ。せっかく相手がくれた言葉を。自分にはわからないから、捨てちゃうの。
それはとってももったいないし、相手の「美しいと思う感性」も否定することになってしまうから、大事に大事に受け取ってほしいです。

「自分には美しい色がないのだ」と嘆かないでください。


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久しぶりにnote舞い戻ってこんなことを書いたのは、わたし自身「自分の魅力なんてわからなくていいわ~」って思うと楽になる部分があるからなのですが。

自分の魅力なんて、無理して探したり、ひねり出したりしなくてもよいの。
「わからなくても、知覚できなくても、自分の魅力は確かにそこに存在する」っていうことが、厳然たる事実としてどどんとそこあったら、きっと安心する人はほかにもいるんじゃないかな、って思います。


きっとすてきですよ、見えてないその色は。
とーーってもとっても、美しいんじゃないかな。
どれだけ美しいんでしょうね。ちょっとわくわくするね。

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡