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街中でできる「手を貸す」という行為について

今日は、ベビーカーでバスから降りようとしているお母さんに手を貸すことができた。お母さんからは「ありがとうございます!本当に助かりました!」とお礼を言っていただき、行動したこともちょっぴり誇らしく思うことができた。なにより、寝ていたお子さんが起きなくてよかった。


バスから降りた後も、その出来事を思い返しながら目的地に向かっていたのだが、お母さんがあまりにも「ありがとうございます!」を連呼していたことにふと疑問を持った。「困っている状況であまり助けてもらったことがないのだろうか」「手を貸す人は珍しいのだろうか」と。



実際わたしも積極的に見かけた人に声をかけたり、手を貸すことは少ない。たぶん、「あからさまに困っている」という雰囲気を感じ取ることが難しい場面が多いからだろう。

点字ブロックをたどって歩いている人もブロックの上を沿って歩いていれば「歩けている」ことになるし、車いすで坂道を上っている人も大変そうだけど「上っている」ことにはなる。


そこで声をかけてもいいものなのか、一生懸命歩いたり上ったりしているものを邪魔していいものなのか、判断が付かなくて結局声がけをためらってしまうケースが多いように感じた。


人によって困っている・助けてほしい度合いやシチュエーションは異なるだろう。でも今日のような透き通った「ありがとうございます!」をもらってしまったら、少し見る目が変わってくる。


自分だったらどうかな、この時に助けてほしいかな、と考える余裕ができたように感じる。なにより、声をかけない後悔よりも声をかけた後悔の方が出来事への捉え方がさらに深まる気がしている。

誰でもできる行動だけど、自分がやらなくちゃいけない義務はない。

そんなことに少しずつ挑戦していけたらいいな。





彅野アン


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