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6月になっていた

1月15日に親族のパパさんが緊急入院して、もう半年。

核家族で、ひとり親で、親たちの介護が同時多発してる世帯って、なにかあったときに立て直すのが、本当に大変です。

今、パパさんの周辺では、パパさんの両親と義両親が全員、がんを抱えながら自宅療養か、腫瘍の手術のあとで施設入所と入退院のくりかえしが頻発する、などの状態になっていて…

もし、パパさんが一命をとりとめなかったら、

3年後の今頃は、ほぼ確実に、お姉ちゃんと弟くんは、「祖父母と両親の全員がいない子」……に、なっているんです。
そして、パパさんが一命をとりとめても、急場しのぎに支えに入った僕は「突然現場からしりぞいた、仕事のない人」になっているんです。

これは「個別事例の白血病家族看護」の問題ではなくて、「核家族と少子高齢化」の問題の一面でした。6か月、なんだろうなんだろうと思っていて、忙しすぎて、よくわからなかった。


年代と地域に関して、すこしだけ広い範囲の話をしましょう。

ムラ社会の自他境界線のおかしさでは、負の側面もメリット以上に大きくて、僕らは自由に発展してはこられない部分があった。右肩上がりの経済の中で、僕らは「核家族」になることを選択して、「個人の自由」が周囲の強制や足引っ張りにつぶされないように、舵を切ってきた。ときおり会社の転勤命令に従いながら、僕らは地縁と血縁を切ってきた。

「核家族」になることで、僕らは「不健全な一族/地域の不文律、負の文化」から逃れえたと思い込んでいた。僕ら自身をすでにむしばんでいる人間教育の偏りが、密室育児やモンスターペアレントや毒親や晩婚化を生んで、異常な中絶件数の多さや被虐待児や愛着形成できていない親と彼らが再生産する愛着形成できてない子供たちや、「犯罪リスクの高い近隣関係」や「支えきれなくなった親族間殺人」等の「犯罪リスク」を拡大再生産していた、とは気づかなかった。

より安全に快適に暮らすつもりで、そのじつ、危険度の高い暮らしを選んできてしまった。

高層マンションの高層階に引っ越して、眺望や都会暮らしを楽しんでたある日、地震でエレベーターが止まり、のぼりおりにも水の運び上げにも大変な思いをした人たちが2011年にはいたけれど。地震や二次災害や豪雨や土砂崩れや、いろいろなことで自宅から避難したままになってる人たちが、例年出続けているけれど。

介護保険政策は、今からおよそ30年前に「老人病院」に入れられたきりで拘束前提で死んでいく人たちの「人としての扱い」をなんとかしないと(医療費総額も)、という課題意識で

「在宅」というキーワードと「QOL(生活の質)」というキーワードが中心コンセプトになったもの。
~だけれど、そのとき誰か、「人口動態」をチェックして、今のこの事態を予測してましたか? と聞くと、

誰もそこへ目配りしてなかったんだよね。

かりに僕が当時の政策立案にかかわってても、「ほぼ30年後50年後の予測が正確に出る人口予測を見て、政策妥当性を検証してみる」という思いつきがあるとは思えないな。
100歩ゆずってそこを見たとして、ここまで「支える側」の世帯・家族がぶっこわれる姿をシミュレーションできてたとは、とても思えない。

説得力のあるプレゼンって、

「わかりやすい」イメージに「ほーらね」って数字をつけて補強したものしか、ウケないんだもの!
それ以外の企画、通らないんだもの!

僕ら日本人は、手先が器用でひとり仕事が上手な人がとても多くって、だから職人工芸がすごく光る……かわりに、

「自分のOKラインを先にさだめてから他人と接する」というやりかたを知らないもんだから、ムラ文化をわずらわしがって核家族化しちゃって。 「自分のOKラインを先にさだめてから他人と接する」というやり方を知らないもんだから、「できます」と「できません」の線引き、「人を尊重している」と「人をモノとして支配している」の線引きがわからなくて、過労死・パワハラ・セクハラが社会問題になったり、

そういう自分の扱いと他人との接し方について、未熟な大人たちが、子供をつくって子供を育ててるもんだから、

子供の側もたまったもんじゃないよね。

子供2人と病人のいる家庭にピンチヒッターとして入ってわかった。
僕は、とてもとても未熟なおとなだ。


話を、個人レベルに戻します。

お姉ちゃん、ごめん。
弟くん、ごめん。
僕は、ぼけっと大人になってしまっていた。自分のこともせいいっぱいの、未熟な大人だ。
準備のできていない人がピンチヒッターに入って、「家」というものがうまく回るはずがないんだ。6か月でそのことがわかった。

僕は、僕ができることをせいいっぱいやりたいんだが、見舞いと子育てとPTAと自分の仕事の立て直しが一挙に自分にかぶってきてしまったこの6か月

……ほんとに限界ぎりぎりにならないように、睡眠・食事・運動・メンタルヘルスには、これまでにないレベルで気を配った。
どこを犠牲にして? って、仕事一辺倒だったじぶんの、仕事の時間をほぼゼロにしてだ。「病院に入ったきり」の非人道的な扱いをやめた「在宅」というあたたかい言葉が、結果として、僕に対して非人道的な業務量をしょわせてきてたんだった。
とにかく急場をしのぐだけでせいいっぱいで、実態に気づかないなんて、過労死やパワハラのプロセスと同じじゃん!

そしてやっぱり、総量は破綻しているし

総量で破綻していると、よそのひとに、なにをどう助けをもとめていいんだか

まったくわからなくなっちゃうんだよね。
そもそも、どこに何を助けてもらえるんだか、整理してみなくちゃな。


お姉ちゃん、弟君、

水無月祓の茅の輪くぐりに、みんなでいこうね。
6月は、求肥をはさんだ「鮎菓子」が、和菓子屋に並ぶよ。
白血病の療養は、補助を受けていても本当に支出がどんどん出ていく。こわいぐらいだ。「鮎菓子」は、割引品を狙って買ってあげよう。
7-8月には、市民プールに連れて行ってあげよう。
僕は今回のことがあるまでは、自分の年収はそこそこだと思っていたんだが、海へ行く金は捻出できないな、残念だ。
380円の花火を買ってきた。アパートの敷地内で、花火できるかどうか管理会社に聞いてみよう。
校外学習と、2泊3日の学校の合宿は、楽しみだね。



そして僕は、……少し、自分の暮らし方を考えてみるね。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!