気持ちを言葉に乗せること。--成長小説・秋の月、風の夜(103)
☆
夜八時。
どきどきしながら自室で電話を待っていた奈々瀬に、高橋から電話が入った。
「こんばんは」
自分の声が嬉しそうにひびきすぎて、奈々瀬はどぎまぎした。
――四郎がうろたえてた。動転して時間も押してたんで、うっかり電話で「さようなら」って言ったらしいんだけど。本当?
「さようならは、言葉づらはそうなんですけど、じゃあまたねの意味というのはわかっているので大丈夫なんです。
それよりわたしが、ぎくしゃくするのに疲れたとか言っちゃって。
思い切ったこと言いすぎて、自分で動揺したんです」
――何に動揺したの。
「あの、ファーストキスを四郎としたいな、って自分から言っちゃって。
もっと大胆なことも言っちゃって。どうかしてました」
(正確な言葉の再現にたけてるな)高橋は思った。
口から出たひとこと、ひとことを再現できるかどうか、というスキルは、「事実を扱う」ために、とても大切だ。
そして、電話で話すにはデリケートすぎる。
おはねちゃんがデリケートすぎるところへ自分ではねて、その後空中分解をおこしたとでも言おうか。
四郎には、会話が難しすぎたにちがいない。
高橋でさえ(電話でその話はムリだ)と思う内容だ。
――そうなんだ。くわしくは会ってから聞くね。
で、ぎくしゃくするのに疲れた感じは、今は奈々ちゃんどんななの。
「あの、すっごく勝手なんですけど言います。
四郎と話してるより、高橋さんと話すほうが、疲れない……」
――そうかもしれないな。
四郎と奈々ちゃんは、正真正銘の初恋どうしだから、かなりいろいろ、ぎくしゃくはするだろう。
しかも四郎は、通常の恋の相手より、ずっとずっとオクテだ。
しかも、ご先祖さまと「奥の人」みたいな邪魔者といっちゃ失礼だけど、あえて言うと邪魔者詰めほうだいのコンビニ袋みたいになってるわけだから。
邪魔者詰めほうだいのコンビニ袋……奈々瀬は、ため息をついた。
――まずは、今夜安心してたっぷり眠って。
奈々瀬はハッとして時計を見た。ほんとにきっかり二十分。
「まって」思わず口走った。「まってください、もう少しだけ話したいの」
――次話す予定の人がいるから、あと十分でも構わない?
ひきとめたとたん、めんどうくさい子だと思われないだろうか、と奈々瀬は後悔した。
そんな女の子の気持ちは、アルバイトの指導現場でわかっているらしく、高橋は楽しげな声を出す。
――僕ももっと話してたいよ。じゃあ十分たっぷり、奈々ちゃんが話したい話を、聞かせて。
☆
奈々瀬との話に三十分をあてた直後、高橋はトレーナーの河上にSkypeでコールした。
ミーティング相手との前後の予備時間は、いつも十五分とるようにしている。
――元気か。
声をきくとほっとする。
「エグコン、僕ぼーっとしてタスク処理数40%おちです。よりによって親友のカノジョに惚れちゃった」
エグゼクティブ・コンサルタント河上通久(みちひさ)は、十八歳のときからずっと、高橋のトレーナーだ。
出会ったときからずうっと、エグゼクティブ・コンサルタントの略でエグコンと呼んでいる。
仕事のこと、マインドの持ち方、メンタルのケア、今後の展望。
なんでも丸ごと、対話し扱ってくれる。
――おやー、青春じゃないかー。で、照はどうしたいの。
「僕は二人の恋の相談係に徹したいです。その相談に乗ってください。
うまく乗り切れる感じがしない」
――また難易度の高いチャレンジだな。
往々にして相談係が、女の子にわかってもらえてる感を持たせてしまって、略奪愛が成立しやすい。
そこだけわかってりゃー行けるだろう。
が、血気盛んなお年頃の男が、恋の相談係なんて、普通やるもんじゃない。
で、親友はどうなった。
「宮垣耕造先生に預けました、有馬青峰先生にどなられました」
――どなられた話か、惚れた話か、どちらを整理したい?
来週のミーティングまでの展望とアクションに十分使うだろ。
感情の話はどちらか一件、たっぷり五十分かけたほうがいい。
今日は三十分延長だな。
「今日は、親友のカノジョの話をさせてください。
明日夕方、松本に出向いて二時間半相談係をやるので」
――うん。
四郎と奈々瀬の関係を説明した。自分のかかわりかたを説明した。
身体情報を読むという奈々瀬の特技を、はじめて高橋はエグコンに話した。
エグコンは、ふうんお前の惚れる相手にしちゃ、メンタルの安定した子だな。と述解した。いつもそういう子に惚れりゃいいのに、と。
「今回どうしてでしょうね」
――そりゃ照が、困難な状況でしか恋愛スイッチ入らないからだよ。
いつもは女の子が困難さを内包する。今回は女の子の周囲に困難がある。
いつか「幸せはなにげなさとか、なんとなくの中にあるんだ」という実感が持てたらいいな。
高橋は元気のない声で「そうですね」と応じた。
気もちがゆらいでいる。弱音を吐いてみる。
四郎と奈々瀬の初恋を応援する具体的な動作群を固めていく。
「応援する」なんて漠然とした動詞で放置すると、具体的な動きに困ってしまって動けやしないから、「動作」レベルに落とすのだ。
めいめいの話を、ただ、向き合って聞いて……それで、果たして役に立てているのか。
そんなことをエグコンと話す。
自分自身恋はへたくそ。だったらアドバイスはできない。
ならば会話のキャッチボール相手になって、ひたすら一緒にいることを続けてみるのみ。
――明日の二時間半が終わったら、車の中から電話よこしなよ。
「そうします」
――あとは照、気が進まないんだろうが、宮垣耕造のところには、肩と背中、見てもらいに行くといい。
「明日いきます」
――未来の話と過去のハナシが立て込んでるときには、できるだけ「今」に集中するようにな。
「はい」
とうとう高橋は、エグコンに白状した。「電話に出たくない。億劫なんです」
――そりゃあ億劫にもなるさ。
記録をひっくりかえしてごらん。三週間にいちど、三-四日ぐだぐだした無活動の休みを入れないと、お前はコンディションを崩していく傾向にあったろう。たぶんくずれてる、声でわかる。
「四日休みに大津と京都と松本行ったり来たりを入れちゃった。ああ、しまった。うっかりやっちゃったな」
――若いうちは「行けるんじゃないか」って思っちゃうだろ。
でもそれは、体力のハナシじゃない、自然のリズムの問題なんだ。
リズム無視は禁物だ。僕は徹夜だって推奨してないだろ。
「はあ」
徹夜と根性論が体力競争のオトコ社会を作って多様性を阻害するからやりません、と河上はいつも周りに説明していた。
――あとは、親友とカノジョにお前が支えてもらう部分が足りてない。
「頼むから省略しないでください。親友と ”親友のカノジョ” です」
――そうかそうか。
エグコンはおもしろそうに笑った。
――もっともっと弱音を吐いて、背中を預けていけ。
元気がないとき、元気をもらえ。きちんとするな。
しっかりしようとするな。ひとりで対策を考えるな。
もっと弱くもっと間抜けになれ。
ひとりで卓越しようとするな。
意見交換がないと、閉じた解釈で迷路にはまりこんでしまうから。
仲間と、友達と、支えあってごらん。
「……はい」
話を終えた高橋は、PCの電源を落とし、シャワーを浴び、ひとりの部屋で眠った。
(話しかけたいときそばに親友がいるというのは、ひどく恵まれたことだったんだな)と急に気づいた。
四郎がたびたび泊まりに来ていた日々、どんなに四郎に安心して甘えて、四郎を頼りにして背中を預けていたろうか、と思った。
途方にくれるほどひとりだ。
過日が、それだけ幸せだったということなのだろう。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!