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何もかも持ってるお育ちのいいヤツは、いけ好かねェんだっ!--成長小説・秋の月、風の夜(104)

「はいどうぞ」
ドアから入ると、前の客を治療中の宮垣が、施術ベッドから高橋の方に来た。
「はじめまして、高橋です」と、高橋は宮垣に頭を下げた。

「書いてきがえといて」と、宮垣はカルテを高橋に渡し、施術ベッドへ戻っていった。高橋は「はい」とこたえたが、宮垣のそっけなさが気になった。

前の客が帰り、きがえた高橋は宮垣に「嶺生(ねおい)四郎くんの様子を、教えていただけますか」と話しかけた。
「親友なんだってナ」
「はい」
「おれの本の、人体解剖図。インデックス。よくできてたよ」
「ありがとうございます。先生のご意向を汲めていましたら幸いです」

それには答えず、宮垣は
「右首右肩右腕、右の背中……」とつぶやいた。「左腰が原因だな」
「左腰」
「さらに言うなら、左足裏アーチからだ」宮垣はぶっきらぼうに言った。「うつぶせ」

そして宮垣は、とんとんと高橋の左腰をタップしていった。
「雅峰(がほう)ってぇ号には、いろいろ重いモンがくっついてるらしいな」
「……ええ」
「名前を、血縁で継いでいったんだな。
ひとりめは短命、ふたりめは狂死、三人目がおまえか」
「……はい」

祖父、おじ、自分。
高橋は左腰のタップだけで、因果の状況を明らかにしていく宮垣の腕に、気持ちをふるわせた。

「へえ、三十六歳まで生きられる気が、してねえな」
「……してません」

「雅峰って号、捨てっちまえ、さっさと」

「……できません」
「強情だな、背負いたがりめ」
「……すみません」

やはりそうだ。やはり宮垣の口調のはしばしに、敵意がこもる。
なぜ……

高橋は声をつまらせ、宮垣に率直に聞くことができなかった。

「四郎の面倒をみたがるのは、そのためか」
「かもしれません」
声がまるで、自分の声ではないように聞こえる……高橋は上がってくる悪寒をおさえられなかった。

宮垣は、高橋の肩甲骨の間を、軽くではあるがスパンと抜くように片手で払った。そしてことのほか、激しい口調になった。

「四郎の体にひっからまったご先祖さんを、胸腹の枝葉だけ引っこ抜いたのは、おまえか。中途半端が。バカやりやがって。憑依がこっちィ入り込んでるぞ」
「憑依が……」

高橋は生つばを飲み込んだ。みすみすコンディションを崩していると思ってはいた。憑依だって? なんてことだ。

「背負いたがりだと見抜かれて、四郎の先祖霊が何体か、ぬるっと入り込んでらあ。脳科学で言うならば、たっぷりコピー学習していると言おうか。調子が最近、悪いんだろう、雅峰」

入り込まれる。それは、防ぎようがないのか。たしかに死霊相手の知識をあまりにも持っていない。

どうしたらいい。

高橋は心がざわつくまま、沈黙をもてあました。
調子の悪さは、正直に白状しなければ。

「……はい」

宮垣はこんどは少し勢いよく、背筋を両手のひらでさすり上げていった。
高橋は「あうっ」と声をあげた、確かに何かがぞぞぉっ……と、体から出ていった。

「あいつの脳には、先祖が学んじまった悪いクセの数々がコピーされまくっている。家の毒の溜池みたいにされているんだ。
本人、必死で表に出ないようにおさえつけてるが、胸から腹から憑依まみれだ。あんなふうに大量の霊体群が、胎児期から物理と絡んでぎゅう詰めにされたケースは、今まで見たことがない。
根っこは脳と骨盤の内側と腰椎で、ダブルロックされている。
末端は足の裏。体のすみずみまで、ぎっちぎちだ!」

「根っこ……」高橋は、自分が気づけなかった四郎の苦しみはいかばかりかと、ぞっとした。

宮垣は、たぶんこういうときには、なんでもない相手には言うであろう「一生懸命お前なりにやったな」という言葉を全く思いつかなかった。
なぜだろう、何もかも持っているこの若い画家が、憎くてならない。切って捨てた。
「半端に手を出すな、迷惑だ」

「申し訳ありません」
「当分、あいつと会うな。お前の面倒までみきらんぞ」
「……はい」

「……あおむけ」宮垣は高橋の左腰を固定して、「ゆっくりこっちへひねって、上体をもちあげろ」と言った。
「はい」

「こんなに絵を描きたくなくて、こんなに人に会いたくなくて、こんなに仕事もしたくねえのに、雑誌で明るい笑顔ふりまいてんじゃねえ」
「……それでも、待っててくれる人がいるので」
「待っててくれると思ってたやつらが、お前がコケたとたんに、手のひらをかえすよ。くだらんお愛想はやめとけ」

宮垣は毒づいた。「腹で思ってることと顔で笑ってることが違いすぎるやつのことを、うそつきってんだ。おれは、うそつきは嫌いだ」

「そう違いすぎるとは思ってません」
「……そうか……」宮垣はぐいっと腰椎を押した。「押し込めてるのが、わからねえか……一人めも、ふたりめも、おんなじように自分のはらわた、切り離してやがる」

宮垣は、四郎の様子をさほど教えてくれなかった。
高橋はすっかり寡黙になって、宮垣のもとを辞した。

途方に暮れたように夜道を歩いた。


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もくろみ・目次・登場人物紹

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!