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【1日1本エッセイ22本目】政治家の「政治」と哲学の「政治」?

私たちの生活に密着している「政治」。実は政治家の「政治」と哲学の「政治」は意味が異なります。

まずはじめに、日本の政治家が行う「政治」について説明しましょう。政治家とは何でしょうか?

彼らは、まず最初に選挙という大切な試験を受けます。この試験では、資格をもっているすべての大人が先生のような役割を果たし、政治家のアイデアや計画を評価します。それが一番良いと思った人に投票します。その結果、選ばれた政治家は、学級委員のように、人々の意見を代表し、彼らのために働きます。

政治家が行う仕事は、学校でいうところの学級会のようなものです。彼らは様々な問題や課題について話し合い、それに対する解決策を考えます。その解決策が優れていると認められれば、それが法律として決まることがあります。政治家は、社会全体のルール作りを行っていると言えるでしょう。

それに対して、哲学者が考える「政治」は、広義には社会の運営や組織、公共の生活、そしてそれに対する考え方や理論を指します。

哲学者たちは、さまざまな観点から、社会のあり方、人々の関わり方、公正や公平、自由や権利、権力の正当性、そして社会の目指すべき理想について深く考えます。

さらに具体的には、社会契約論、正義論、権利論、民主主義理論、等といったさまざまな視点から政治について考えます。それぞれの視点が、異なる理論や概念を生み出し、社会や政治についての理解を深めます。

たとえば、17世紀イギリス哲学者のトーマス・ホッブズが書いた『リヴァイアサン』の中にある「自然状態」の考え方は、社会契約論の基礎となります。

トマス・ホッブズ

自然状態とは、社会的なルールや約束が存在せず、人々が自由に行動できる状態を指します。しかし、ホッブズはこの自然状態を「全ての人が全ての人に対して戦争状態」と表現し、人々は安全と秩序を求めて自然状態を脱するために社会契約を結ぶと論じました。

さて、ここで出てきた社会契約論とはなんでしょう?社会契約論とは、政治哲学の一派で、国家や社会が存在する根拠や正当性を説明する理論です。この理論は、人間が自然状態から社会状態へ移行する過程で、互いに権利と義務を決め、その規約(契約)に基づき社会が形成されるという考え方を提供します。

続いて、17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックを紹介しましょう。彼が提唱した「自然権」の理論は、権利論の基礎を築きました。

ジョン・ロック

彼は人間は生まれながらにして生命、自由、そして財産という自然権を持っていると主張しました。彼は、人間が自然の状態から社会の状態へと移る際に保持すべき基本的な権利を「自然権」と呼んだのです。詳しく自然権については3つのポイントを見ていきましょう。

1. 生命権:個人の生命を保護する権利です。これは他者による不当な攻撃や傷害から身を守る権利を含みます。

2. 自由権:個人の行動や意志の自由を保障する権利です。これは自己決定の自由や、自身の人生をどう過ごすかを選ぶ自由を含みます。

3. 財産権:個人が自分の労働を通じて獲得した財産を保有し、それを使い、管理し、譲渡する自由を保障する権利です。

これらの権利は神から与えられたものであり、他人や国家によって侵害されることはないとしたのです。

さらに18世紀フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、『社会契約論』の中で、自由と平等が両立する政治のあり方を「一般意志」の概念を通して提唱しました。

ジャン=ジャック・ルソー

彼によれば、一般意志とは個々人の私的な利害を越えた共同体全体の最善の利益を追求する意志のことであり、これに従うことが真の自由を実現する道だと説いたのです。

これらの哲学者たちが提唱した考え方は、単に学問的な議論の枠を超えて、現代の民主主義社会の設計図を描くうえで重要な指針となりました。これらの理論は、憲法の原理や、人権を守るための制度設計、公正な社会を築くための政策策定など、現実の政治運営に深く影響を与えています。

それゆえ、哲学者が考える「政治」は、単に社会の運営や組織のあり方を考えるだけでなく、人間と社会が理想的にはどのような関係を持つべきかという問いを常に我々に投げかけています。これは、個々の具体的な問題解決を目指す政治家が行う「政治」とは一線を画す、より深淵で普遍的な視点を提供するのです。

ということで、政治家が行う「政治」と哲学の「政治」の違いは、行動と考え、現実と理想、具体と抽象の違いと言えます。でも、どちらも目指すのは、私たちの生活をより良いものにするという同じ目標です。

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