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いいえ私は射手座の女

我が子は、蠍座の女になる予定だった。お腹のなかの赤ちゃんが十分成長してもういつ産まれても大丈夫ですよ〜という所謂正産期が10月24日からで、出産予定日は11月14日だったからだ。早産になったり予定日を大幅に超過しない限り、ほぼ間違いなく蠍座の女だ。妊娠中に夫とyoutubeで美川憲一さんの蠍座の女をフルで聞いた。蠍座の女と聞いて美川憲一さんが頭に浮かぶのは平成生まれ、それも初期までだろうか。

星座占いも占い師によって日付の区切りはバラつきがあるようだが、有名なしいたけ占い(私も大好きな占いである)では10月23日〜11月21日が蠍座と区分されている。

これは我が娘、射手座の女誕生の記録である。



妊娠判明から出産まで書きたいことは山ほどあるけれど、とにもかくにも娘はなかなか産まれてくる気配がなかった。正産期に入っても、予定日間近になっても、そして予定日を過ぎても。たまごクラブや妊婦向けアプリのトツキトオカで散々出産兆候を学んでそわそわ過ごしていたのに。おしるしもない。お腹が張ることもなければ痛みもない。

一般的な長さなら5月末には落ち着いていたであろう悪阻がいつまでも続いているイレギュラーな妊婦だ。出産も「ちょっと聞いてたのと違うんだけど・・・」となる予感はしていた。


2021年11月21日(日) 41w0d

11:00 入院
部屋に通され早速NSTを1時間ほどつけるがお腹の張りはほぼなし。
その後お昼ご飯を食べたり、シャワーを浴びてのんびりと過ごす。

16:00 バルーン処置
がちがちの子宮口を強制的に開くために風船のようなものをいれる。
少し痛かったけれど全然耐えられる。
以前受けたことがある子宮頸がん検査のコルポ診の方が痛かった。
このとき子宮口は指一本分だったらしい。
装着後、下腹部に違和感はある。

18:30 陣痛が始まる
夕飯を食べていたら下腹部に生理痛のような鈍痛を感じた。
きゅーっと締め付けられるような懐かしい痛み。
箸を置いてベッドの上でうずくまるが、1分程度で「あれ?気のせいだった?」ってくらい不思議なほど痛みが収まる。再び食事を進める。しかしまた痛みが襲ってきて箸を置く。これが何回も繰り返されて気付く。もしかして:陣痛

例のあれをつかうときがきた。陣痛カウンターアプリだ。痛みを感じ始めたときと収まったときにボタンを押して陣痛間隔を計測するものだ。このとき5-7分間隔。なんとか耐えられるけれど鎮痛剤飲まないときつい生理痛程度の痛み。ナースコールをするか迷う。びびりな私はなかなか押せない。押すタイミングがわからない。定期的に来る痛みに悶えながら時間だけが過ぎていく。


2021年11月22日(月) 41w1d

3:00 バルーンの影響か出血(おしるしといっていいのか?)
痛みもさらに増して強くなり眠れないため、ついにナースコールを押す。しかしお産の体力温存するため寝るよう言われる。いや眠れないから押したのよ。

結局痛みと相変わらずの悪阻、胸焼けで一睡もできず。

6:00 出産用の服が運ばれてきて着替えてLDR室へ
(LDRは陣痛(Labor)、分娩(Delivery)、回復(Recovery)の頭文字で陣痛から出産後まで同じ部屋で過ごせるシステムである)

1時間半くらいNSTで様子を見る。赤ちゃんの心拍音が部屋に響いてる。

昨日装着したバルーンを抜いてもらって内診したら子宮口は既に5cm!

「今日産まれるよ〜!早ければ午前中にいけるかも!」との助産師さんの言葉に一気にやる気がでる。もうすぐ我が子に会える。

7:30 朝ご飯が出てくるけど痛みでほぼ食べれず


担当助産師さんや、実習中の助産師学生さんたちが次々と挨拶にきてくれる。ふたりの学生さんとその教員の方、助産師さんふたりの計5人がこの頃から常に一緒にいてくれて本当に心強かった。

ここは都内の大学病院。当時コロナ感染者数は減少傾向にあったが、立ち会いや面会は相変わらず一切NGだった。夫にも退院日まで会えない。「一生に一度の貴重な瞬間、父親となる夫は立ち会えないのに何故学生はいいのか?」という理由で実習生の立ち合いを断る人は多いらしい。初めての出産で心細くてとにかく誰かそばにいてほしかった私は助産師学生、医学部学生、研修生の立ち会いを全て許可した。それに、少しでも彼らの役に立てるならと思って。コロナ禍での実習、彼らも大変なことや不安がたくさんあるはずだ。

8:00 促進剤(点滴)スタート
痛いけれど陣痛中もまだ全然話せる余裕あり。助産師学生さんたちとおしゃべりして気を紛らわしていた。

9:00 念願の🐚ツイート
出陣を意味するホラ貝の絵文字。Twitterのマタニティアカウントでは産む前にこの絵文字をツイートするとみんなが応援してくれる。夫や親とのLINEもここから産後1時間後まで途切れる。

11:00頃 子宮口は8cmくらいでいいかんじ
ひたすら呼吸に集中する。表情も歪んできたようで周りに「いい顔になってきた!順調!」と言われる。お昼過ぎには産みたいなぁなんて思いながら頑張る。

破水もして、ここまでは順調な雰囲気だった。


子宮口は開いてるものの、赤ちゃんがなかなか降りてこない。
お昼頃から疲労と睡魔が一気に襲ってきて陣痛が落ち着くと意識が飛んで、また痛みで絶叫しながら飛び起きる。(産むまでこれが続く)

このあたりから時間もわからず記憶の順番は曖昧だが、全シーン強烈すぎてトラウマで覚えている。

・陣痛ピーク時の導尿(3回)が痛過ぎて泣き叫ぶ
(500mlのポカリスエットを2本用意していたが飲む余裕もなく水分補給はほとんどできていなかったため、尿もほぼ出ない。ただただ痛い思いをしただけ。辛い。)
・四つん這いやあぐらなどいろんな体位にされていきむ
・体力限界で身体に力はいらず手足が痙攣する
・赤ちゃんの向きを確認するため経腹エコーしつつ陣痛ピーク時に内診されるのが本当に地獄。指じゃなくて手ごと突っ込まれてる?ぐいぐい痛い。
・会陰?を伸ばされるのも痛過ぎて泣いた
・胃酸逆流してきて吐く


私の体力低下が原因で、陣痛間隔に対していきむ時間が少ないから赤ちゃんが産道をうまく回転して出てこれないことが判明。促進剤の量を増やされて、とにかくいきむ。体位を何度も変えられて辛い。痛い。

午後、まったくお産が進まず先が見えない。とにかく体勢変えては、いきみの繰り返し。

陣痛間隔も早すぎて常に恐怖。1,2分間隔で痛みの波が襲ってくる。

叫んだりしたくなかったけどあまりの痛みに声が出てしまう。

心の中では「もう無理」しか浮かばないけど赤ちゃんも苦しいなか頑張ってるから弱音は吐かないように気をつけた。お腹のなかでも耳は聞こえているらしいから。外に出てくることはただでさえ赤ちゃんも怖いだろうから、より不安にさせないように。

おそらく15時過ぎから椅子が分娩モードに変わる。

「ちゃんと進んでるよ、赤ちゃんの頭も触れるよ」と励まされる。内診をしている助産師さんが「わぁ、この子髪ふさふさ〜!」って言ってるのを見て少し笑った。そうか、ふさふさなのか。

産科全医師、医学部学生、研修生、助産師、助産師学生‥20人くらいが狭いLDRに次々集まってくる。今日から実習期間の子も何名かいるって聞いてたから、実習初日にこんな過酷な出産シーン見て大丈夫かなって学生たちのメンタルが心配になる。

分娩台があがって、手術室みたいなライトもついてクライマックス感でてくるも、もう体力限界。声かけに返答もできない。視線も定まらない。

でも手を握ってくれたり、腕や肩をさすったり頭をなでてくれたり、周りで励ましてくれる人がたくさんいて救われた。気付いたら酸素マスクもつけられていた。

このラスト30分みたいなのがとにかくきつかった。

陣痛のピークでいきむときに合わせて手でぐいって会陰だか産道を広げられて痛い。怖い。痛みと恐怖はここが絶頂なのに、もうこの頃は涙なんて出ない。涙が出る余裕すらないというか。

ふと、ここで急に冷静になる。

「お腹の中にいる赤ちゃんを触るラストチャンスだ」と。

陣痛が引いた一瞬のすきにお腹の下の方をさする。赤ちゃんはまだここにいる。

「苦しい思いをさせてごめんね、頑張るからね」と気合を入れる。次の陣痛でおもいっきりいきんだ。

「もういきまなくて大丈夫!!」と助産師さん。

ふっふっ、って細かく息を吐くようリードされる。

「え?出てくるの?」と思いつつ、見えないし痛くてもう何がなんだかわからず意識朦朧としてくる。


「産まれたよーー!!」って声と共に赤ちゃんが引っ張り上げられる。

ほげっ、って産声が聞こえて安心して涙が溢れる。

朝からずっとそばにいて、呼吸リードしてくれた優しい助産師学生さんが赤ちゃんを取り上げてくれた。

顔を見ることもできないまま赤ちゃんは即検査に連れていかれる。

陣痛から解放されても、ぐいぐい胎盤出したり、がっつり裂けたお股とお尻を縫われたり、痛みのフルコースが待ち受けてて白目。

大学生の男の子たちが手を握って励ましてくれた。笑

その間も次々と医師や助産師さんたちが「おめでとう、頑張ったね!」って声をかけに来てくれてそのたびに泣きながらお礼を伝える。


その後身体をタオルで拭いてもらったり、着替えさせてもらったり。

胎盤と卵膜と臍の緒も見せてもらって触った。
大きいレバーみたいな見た目で、硬めの蒟蒻畑のような弾力。今日まで赤ちゃんを育ててくれてありがとう。

赤ちゃんの様子が気になってそわそわする。

産後すぐ胸元に乗せてくれるのかな〜なんて思っていたけど全く登場しなくて不安になってくる。この時点で性別が本当に女の子なのかすらわからない。


バタバタと小児科の先生が説明にきてくれた。

回旋異常と長引いたお産が原因で酸素が足りないのか呼吸が荒く、誕生時アプガースコア6点の軽度仮死。

即保育器にいれて蘇生措置してくれたおかげで産後1時間経過時点でスコア9点まで改善。今のところ問題ないけれど、まだ安心はできないから様子見。赤ちゃんにとって授乳はかなり筋力を使うから呼吸器官が安定するまではミルクも数日はあげれず点滴で栄養補給とのこと。苦しくて痛い思いをさせてごめんね。

助産師さんが赤ちゃんの写真を撮ってきてくれて、それを見て私また大号泣する。まだ血液が少しついていて、顔もむくんでぱんぱん。でも可愛い。可愛くて可愛くて仕方ない。


17:40 一通り処置も終わり、あと1時間くらいLDRで休憩することに。
朝以来スマホを見る。夫と母から心配のLINEがたくさんきている。Twitterの通知も20件以上。みんなありがとう。

ちょうどお仕事終わる頃だなぁ‥と思って夫に電話をかけた。声を聞けて安心した。早く会いたい。

その後母にも電話。赤ちゃんの写真を見て、

「きゃー可愛い!まぁ私の子の方が可愛いけど!!」

って言葉になんだか愛を感じる。29年前、私を産んでくれてありがとう。


18:40 産後初トイレ行くも、出ない。

19:00 部屋に戻ってきてご飯。
めちゃくちゃお腹が空いていたから美味しかった。
食べても気持ち悪くならない。胸焼けもない。こんなの3月以来だ。
あぁ産んだんだなぁ、ってじーーんとした。


21:00 助産師さんが新生児室に連れていってくれた。
ちょうどみんな退院しちゃって私の赤ちゃんしかいなかった。

産まれてすぐ検査に連れて行かれて一瞬しか見えなかったから、やっと我が子に会えた瞬間だった。

保育器のなかで小さい赤ちゃんが動いてる。

この子が、私の娘。

抱っこはできないけれど、窓から手いれて触って平気だよって言われて恐る恐る娘の小さな手を触る。左右5本ずつ指がある。爪もちゃんと生えている。

「◯◯ちゃん、はじめまして」って震えた声がでる。

ほぎゃって泣き声をあげたと思ったら大きく口をあけてあくびして目をぱちぱちしている。可愛い。

この子なのか。私のお腹にずっといたのは。

毎日痛いくらいお腹を蹴り上げていたのは。

まぁるいお顔、ぷくぷくのほっぺとおなか。

小さい手足や爪。ふさふさの髪。全部愛おしい。

写真も撮らせてもらって部屋に戻る。

これからどんな子に育つのかな。楽しみだよ。


22:00 消灯時間。疲れ切って即寝。



苦しい思いをさせてしまって申し訳ないけれど
一緒に頑張ってくれたこの子に本当に感謝。

いい夫婦の日を誕生日に選んで、
私たち夫婦の元に産まれてきてくれてありがとう。

誕生花はマーガレット、花言葉は「真実の愛」


そして、ずっと付き添ってくれた助産師さんや学生さんたち。

コロナ禍で立ち会いもできず心細かったけど彼女たちのサポートのおかげで頑張れた。常に声をかけてくれて、褒めてくれて、呼吸もリードしてくれて頼もしかった。ありがとう。

出産は、人生最大のトラウマじゃないかってくらい想像を絶する過酷さだった。産んだら痛みなんて忘れるってよく聞くけど私は一生忘れられないなぁと思った。

それでも頑張ってよかった。すごい経験をした。

私をママにしてくれた夫と娘、本当にありがとう。

これからよろしくね。3人で笑顔いっぱいの家庭を築こう。




娘を初めて抱っこできたのは、産後4日目だった。
小さくて軽くて柔らかくて。簡単に壊れちゃいそうで怖かった。
鼻息が聞こえる距離が、幸せだった。


これからもきっといろんなことが待っている。
悩むことも、不安になることもたくさんある。
でも、必ず守るからね。大切にするからね。

我が子よ、世界で一番幸せな女であれ。
産まれてきてくれてありがとう。

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