未来の変え方

未来の変え方、というものがあることを、
ご存じない方が結構いらっしゃると思うんですね。

でも、とても不思議なことに、
「未来を変えたい」と思っている人は、
ものすごくたくさんいる。

でも、その中の多くの人は「未来を変えたい」と思っているだけで、
本当に未来を変えることはできません。

今日はその理由をお話ししたいと思います。

こういう私は、自分の未来を何度も変えてきたという実感があります。
すごいだろう!と言いたいのではありません。
あなたにも必ずできる、ということをお伝えしたいのです。

私は今、こうしている今も
未来を自分の思っているものに変えたいと思っています。
その一環として、こうして文章を書いています。

未来と言ってもいろいろです。
あなた自身の未来、日本の未来、人類の未来、地球の未来。
5分後の未来、1年後の未来、20年後の未来、100年後の未来、
悠久の先にある未来。

それぞれに対処の方法はちがうと思うんですね。
でも、それらの中に共通している普遍的なルールがあると思っています。
それをご紹介したいと思います。
私がそのルールの存在にきづいたのは、
どうだったでしょうか。大学時代かな?
でも、いつもそれらしいことを頭のどこかで考えてたのだと思います。

例えば、未来を変えたい、という場合、
それは「変えたい」ですから願望ですね。
野球選手になりたい。
消防士になりたい。
金持ちになりたい。
なんでもいいのですが、なりたい、は願望です。

願望というのはとても脆弱なものです。
今からそれをたったひとつの単語を付け加えることで証明しますね。

それは「できれば」です。

できれば野球選手になりたい。
できれば消防士になりたい。
できれば金持ちになりたい。

こうなった瞬間に、その思いは絶対にかなわないものになります。
選ぶことができるなら。きっかけがあるなら。
そんなふうに、それを実現できる根拠を
自分の外側に設定してしまうことになるからなんですね。

〜になりたい、という言葉は誰でも言えます。
でも、それに実際になること、願望を実際にかなえることは、
それほど多くの人はできません。
両者は何がちがうのか。
これもまた、言い方を少し変えるだけで、理解できるはずです。

なりたい、を、なる、に変えるのです。

野球選手になる。消防士になる。金持ちになる。
未来を変える。地球を救う。持続可能な社会にする。

〜したい、ではなく、〜する、になった瞬間に、
それは願望ではなく、意志になります。
思うの意思ではなく、志の意志ですね。英語で言えば「WILL」です。

これが非常に重要なのです。

どうしてか、というと、「なりたい」が「なる」になった瞬間に、
未来像はリアルに想像できるようになるからです。
すると、脳の構造、思考の構造がバックキャスト型に変わる。
バックキャストとは、未来にあることを実現することを予定して、
そこから逆算して今なすべきことを設定することです。

するとあっという間にわかるんですね。
「こうしちゃいられない!」と。
人生の時間が限られたものであること、そしてそれは、
それほど長いわけではないということに気づいたら、
もうスイッチは入った証拠だと思います。

私はエレキギターが趣味で、
スラッシュというロックギタリストが好きです。
彼が自伝の中で、若い頃に初めてロックを知ったとき、
ものすごい衝撃を受けて
「自分はロックスターになる」と決めたらしいのですね。
まだギターとベースの区別もつかないときに。

この「ロックスターになる」というところが大切です、
なりたい、ではなく、なる、です。

私は、そう念じれば想いが通じる、という
スピリチュアルな意味で言っているのではありません。

逆です。

努力の仕方がリアルに理解できて、
そこから具体的な道を歩み始めることができるようになる、
ということが伝えたいのです。

未来を変えるために必要なことは、
まず「志を立てる」ということなのです。
志を立てることで、それまで遥か遠くにあって、
自分とは無縁に見えていたことが、そういうものではなく見えてくる。

勘違いしないで欲しいのは、志を立てれば、全員が未来を変えられるか?
というとそうではありません。

むしろ、必ず達成できるのか?という思いを持つ思考回路は
実現のための弊害になりますので、今すぐ捨てましょう。
未来は誰にもわからないのです。
結果は誰にもわかりません。
ただわかっているのは、志なしには絶対に達成されない、
ということを気付くことです。
志を立てることは、実際にスタートラインに立つことに過ぎません。

つまり、「未来を変えたい」と口で言っていることは、
スタートラインにもついていない、ということに気付くことなのです。

では、スタートラインに立ったとしましょう。
次には何をしますか?
一歩を踏み出しますね? その一歩って、具体的には一体何でしょうか?

目標を達成できない人には、ある特徴があります。
反面教師的な意味でその話をしましょう。

達成したいことが、とても大きな目標だったとします。
それを達成するために必要なことは、
スタートラインから、実際に一歩を踏み出してみることなのですが、
これが想像しているより簡単じゃないんですね。

いや、本当は想像しているよりずっと簡単なのですが、
それに気付くことが難しいのです。

目標を達成できない人。挫折する人の特徴は、
目標を達成したあとの自分に今すぐなりたい、と思ってしまうことです。
もっと言えば、目標を達成することのイメージが、
まるで自分が別の自分に変身するかのような現象だと思っていることです。

目標は、実は階段状になっている道のりの先にあります。
なので、一気にそこに辿り着く方法はないのです。
どんなに夢を達成しているように見える人も、一夜にしてそうなったわけではない。
意識か、無意識かに関わらず、何かしらの努力があったはずなのですね。

努力なしに、達成する方法はない。

その現実を受け入れることです。
それを受け入れた時、きっと視界がクリアになり、
他の出来事が目に入らなくなります。
そうすると、面倒臭いと思われていた努力、
目をそらしたいと思っていた努力というものが、
急に「やりたいこと」に変化するのですね。

さっきの「野球選手」でいえば、いてもたってもいられなくなって、
バットを持って外に出て行って素振りを始めることでしょう。
その素振りも、頭の中で実際に飛んでくる球をイメージして、
実戦に役に立つ素振りになっていくことでしょう。

そうやって、今まで何気なしにやっていたことの質も、
遥かに向上していく。
同じ24時間の意味が、まったく異なるものになっていくのです。

実はひとつのことに努力をする、ということは、
そのことに時間をかける、ということと同義なのです。
生きるということは、無数にある「その瞬間にできること」の中から
ひとつだけを選んで実行している、という行為です。

何もしないということは、まだ何も選んでいないということです。
何も選んでいないということは、これからなんでも選ぶことが可能なので、
「どれにしようかな?」と迷うことができます。
ひとつに決めてしまうことは、他のすべての可能性を捨てることなので
とても勇気が必要なことですが、
ある分野においての自分の質を高めるには、
ひとつを選んでそれに時間をかけるしかないのです。

人間が生きていられる時間は限りがあります。
どれにしようか、と悩んでいる間にも、自分が生きている残り時間は
まるで砂時計の砂が落ちていくように消費され目減りしていきます。

これが頭の中に見えた瞬間に、
バットを持って飛び出していく、という行動が起こるわけですね。

つまり、目標を明確に設定するということは、
自分の生き方を決める、ということに他ならないのです。
それは自分の命の使い方を決めるということでもあります。

大きな目標も、すべては小さな一歩、基本、基礎の積み重ねです。
地道な練習や、地道な活動、地道な努力が必要で、
それはとても地味で、そこだけを見ると無駄に見えたりします。

それはそうですよね。だって目標は大きくて、見栄えが良くて、
立派で、かっこいいのです。
それと比べると、日々の素振りは、なんて地味で面倒臭いのでしょうか。

でも、その大きな目標、望む未来は、
実はそういう積み重ねたミクロの原子の塊でできているのです。
そうすると、今やっていることがどのように意味があるか、
どのように有効か、という視点が、1秒1秒の中に生まれるのです。

志を立てることで、時間の使い方が変わり、
具体的な一歩が見えるようになり、
そこについやす努力が「面倒くさいもの」から「やりたいもの」に変わる。

それが未来を変えるためのメカニズムであり、その起動の方法です。

そのときもうひとつ重要なのは、
努力をすれば、必ず達成できるのか?という思考は持たないことです。
その思考は努力の邪魔になります。
結局、我々にできることは努力しかないのですから、
努力の邪魔は、達成の邪魔になります。

また、達成できなくとも、そこまでちゃんと努力すると、
人間の精神は恐ろしく成長します。
成長することで、考え方や、見える景色もまた変化していくのです。

つまり、人間は積み重ねた努力と流れる時間の中で
どんどん変化、成長していくのですね。
その体験をすることによって、無駄なことはないと実感でき、
努力の先にあるまだ見ぬ成長が、
とても楽しみに思えるようになるわけです。

それと、「到達点」なんて、実は最初からなかったのだ、
ということにも気付くと思います。
成長の旅に、終わりはない、ということですね。

そんなことをしていると、ふとしたときに、未来が少し変わっており、
当初に掲げていた目標に近づいている自分に気づくのです。

そうか、こういうメカニズムになっているのか、と
リアリティを持って気づく。

最初の方で、5分後の未来か、100年後の未来か、
自分の未来か、人類の未来か、ということを書きましたが、
ここに書いたことはすべてに共通する
「今、自分にできることを見つけるメカニズム」です。

5分後の未来の場合、何かを判断するときに、
その判断の結果、5分後の自分がどうなっているか、想像してみましょう。
何か迷ったときに「5分後はどうなっている?」と問う癖をつけるのです。

そうすると正しいかどうかは別として、納得できる判断ができるでしょう。

100年後の未来の場合、変化というものがどんな性質を持っているか、
知っておくといいと思います。
変化というものは直線的にではなく、指数関数的に起きます。
最初はなかなか変化が起こらず、あるところから急激に変化する。
そのことを理解して、今はどのあたりなのかを考える。
まったく効果がないように思えることも、ずっと続ければ何かになる。
少なくともその可能性がある。
しかし、今始めなければ、100年後もきっと変化しないでしょう。

そういう現実を見据えることで、
今なすべきことがすんなり受け入れられます。

自分の未来の場合は自分の努力が多くを占めますが、
人類の未来の場合は、今までここに書いたようなことと
同じようなことを考え、行動する人を一人でも増やさなければいけません。

そして、同時多発的に様々な場所から動きの芽が吹いていくことで、
一人では決して動かせなかった大きな歯車は回り出すのです。
そのときも、到底無駄に見えるような小さなこと、
でもとても面倒くさいことから始めることになります。

でも、それしか方法はないのです。

私は、こうして文章で発信することが、
その無駄に見える一歩だと思って、今もこうして書いています。
けれど、これがたった一人の誰かの胸に残って、
ここに書かれた言葉のほんのひとかけらが、何十年か先に、
何かの作用を生むかもしれないのです。

そう信じて、書いています。

ジョン・レノンは言いました。
「WAR IS OVER. IF YOU WANT IT.」

君が望めば、戦争は終わる。

この「望む」は願望のWANTですが、実際の意味はWILLだと思います。
戦争はなくならない。いじめはなくならない。
だって人間にはそういう薄汚い部分があるから。

そういって諦めることが、戦争がなくならない大きな原因です。
どうせできない。やってもムダ。
そう考えることが、あなた自身にブレーキをかけている。
実現可能なものを、不可能にしているのです。

我々が本気になれば、できないことはない。
少なくとも、人間がやっていることであれば、できないことはない。
それが客観的な事実なのです。

その事実に気付くこと。
「したい」ではなく「する」という思考で生きること。
そのためになすべきことは、
無駄に思えるような地味で小さなことなのだと知ること。
そして、それを行動に移し、継続すること。積み重ねること。

その先に、今はまだ見ぬ風景が必ずあります。
それがどんなものなのか、この目で必ず見届ける。
私はいつもワクワクしています。

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