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お金のしくみの再確認

選挙が迫っているので「財源論」が盛んに語られています。

そこで今日は「お金のしくみ」について、
できるだけわかりやすく、面白く、気づきがあるように
書いてみますので、できたら最後までお付き合いください。

お金って、ものすごくたくさん「勘違い」されているんですよね。
その原因は恐らく、存在が当たり前すぎて、
お金の意味について、多くの人は深く考えないからだと思います。

それから、もうひとつ。
この世の中で、お金だけが、その他のすべてのものと
ちがう性質を持っているのですが、
それに気づくことはなかなか難しいんですね。
そのあたり、一緒に考えていければと思います。

「お金は、消えてなくならない」

まず、多くの人が誤解していることのひとつ。
「お金は使うとなくなってしまう」という概念です。

例えば、あなたがとある飲食店で
1000円のカレーライスを注文したとします。
仮に先払いの店だったとしましょう。もう1000円は支払いました。
目の前に出てきた美味しそうなカレーライスを、あなたは平らげます。

あなたが1000円で買ったカレーライスは、
あなたが食べたことによって、この世からなくなってしまいましたよね。

そのとき、あなたは「1000円がなくなった」と感じてしまうのです。

これはあなたが稼いだ限られたお金が、
あなたのお財布の中から消えたので、
お金を使ったから、そのお金がなくなった、と感覚的に感じるのです。
カレーを食べたから、カレーがなくなったのと同じように。

この感覚が、家計の中にあります。
いわゆる「やりくり」というやつですね。
今月の収入と支出の差し引きが残れば黒字、逆なら赤字。
そんな感覚が、我々の中に染み付いています。

これは仕方のないことで、世の中のすべてのものは、
時間が経過したり、消費すれば、姿を消してしまいます。
野菜でも、肉でも、鉄でも、ガソリンでも、なんでもそうですよね?

でも、お金はちがうのです。
お金は使っても無くなっていません。
ただ、あなたの財布から出て行って、別の人の手に渡っただけです。
・・・よね?
誰かの支出が、他の誰かの収入になる。所得になる。
言われれば当たり前だと思うでしょうが、
なかなか意識されていないことです。

「お金は食べられない」

先ほどのことから、もうひとつわかることがあります。
あなたは、1000円で買ったカレーライスを食べたのであって、
1000円というお金を食べたわけではないですよね?

お金は使っても消えて無くなるわけではない、という感覚を知るには、
お金そのものは食べられない、ということを覚えれば良いのです。

食べて消えたものの代わりに、お金は消えずに移動して行った。

お金は使ってもなくなったわけではない。
つまり「どこかに今もある」ということですね。

つい人は、何かを買ったり、食べたり、燃焼したりすると、
「お金がなくなった」と思うのですが、
そのお金と同じ分の値打ちのものをあなたが手にし、
その分のお金がそれを提供してくれた人に移っただけですよね。

お金を使う、とか、何かを買う、ということの本質は、
「交換しているだけ」なのであって、
お金はその等価交換の媒介をしているだけ、ということです。

媒介は、あくまでも媒介なので、使ってもなくなりません。
媒介は使うたびに、大海原を泳ぎ回る回遊魚のように
社会の中をグルグルと回っているだけです。

そのグルグルの回転がものすごいことを「景気が良い」といい、
回転が鈍いことを「不景気」というわけですね。

そこにいる魚の数ももちろん関係します。魚の数がお金の量ですからね。
でも、魚が少なくても全員が一生懸命泳げばグルグルは勢いよくなるし、
魚がたくさんいても、泳がずに止まっていれば、グルグルは回らない。
そういうこともあるとわかると思います。

「お金はすべて人件費である」

人件費、というと、そこで働いてくれている人に支払う給料、
というイメージですよね。
普通はそれでいいと思います。

では、材料費、とか設備費、というものは、いったいなんでしょうか。

もういちど「カレーライス」に話を戻しましょう。
カレーライスの場合、まずカレーライスを作ってくれるコックさんや、
できたカレーライスを給仕するフロアの人など、
そこで働く人の人件費がありますよね。

それに、そのお店そのものや、厨房の機器など、設備費がかかります。
あと、カレーそのものの材料費がかかります。
お米とか、お肉、玉ねぎ、ニンジン、じゃがいも。
そんなものを買う必要があります。

お店からすると、食材のお金は「材料費」ということで、
先ほどのお米や、お肉、玉ねぎ、ニンジン、じゃがいもに掛かるお金です。

しかし、ここでよく考えて欲しいのです。
そのお金は玉ねぎという植物に支払っていますか?
ちがいます。
玉ねぎを生産した農家さんや、それを運んできた運送屋さんなど、
「人間」に支払っていますね?

そこ、重要なのです。

お金はすべて、人間に対して支払っているのです。
自動車一台の値段だって、たくさん使われている鉄を見れば、
材料費もたくさん必要だな、と感じるでしょう。

でも、それだって鉄そのものにお金を渡すわけではなく、
製鉄所の人や、鉄鉱石を掘る人や、それを運んでくる人に支払うわけです。

お洒落なハンドバッグを買うときも同じです。
動物の皮を使っていると言っても、その動物に金は払いません。
動物を捕獲したり、皮を舐めしたり、
ハンドバッグを制作した人の人件費です。

新薬の開発に莫大なお金がかかる、という話だって、全部同じなのです。
研究開発費だろうが、なんだろうが、
お金はすべて「人間」にかかっている。

よく考えるとこれも当たり前です。
だって、この地球上で、お金が必要なのは人間だけですからね。

木や土や動物たちにお金を直接支払う人はいません。

お金はすべて人に支払うものである。
言い換えれば、すべて人件費なのだ、と考えれば良いわけですね。
覚えておいてください。

さて、ここで急に国家予算と財政赤字の話をします。
シャットダウンしないでくださいね。おもしろいところです。

国家予算というのは、国会で話し合われて使い道が決められる
国を運営するためのお金のことです。
コロナ前の2019年で、一般会計として約100兆円です。

この100兆円が、社会保障やインフラの整備など、
いろんな使い道に使われるわけです。

コロナ禍で話題になった持続化給付金や、10万円の現金給付なども、
使い道のひとつなわけですね。

で、ここで、さっきのことを思い出して欲しいのです。
「お金はすべて人に払われる」ということですね。
つまり国家予算ということで計上されている100兆円のお金というのは、
どんな無駄遣いであったとしても、
すべて「人に支払われている」ということです。

そして、その「人」とは誰でしょうか?
それは日本に住む民間人です。
もちろん海外への支援や、
武器の購入などに使われたお金は国外へ流出しますが、
100兆円のほとんどは日本の民間人の手に渡るのです。

ここでは民間人と言っていますが、公務員もここに入れてください。
なぜなら公務員も日本という国の中で、民間人と一緒に生活しており、
彼らが暮らしのために使うお金は、民間人の手に渡るからです。

ここで認識して欲しいのは、
国の予算100兆円は、ほぼすべてが日本に住む民間人の所得になる、
ということです。(最初に誰の所得になるかは、今は置きます)
国が使うお金の無駄遣いをよく言われますが、
使われる相手は日本の市民だということなのですね。

その構図を頭に入れておいて欲しいのです。

では、その国家予算ですが、どうやって集められたお金でしょうか?
100兆円のうち、60%は税金で、30%は国債の発行です。
あと10%はその他。

ここでいう税金とは、我々が収めた税金のことですから、
民間からお金が国にわたって、
そのお金がもう一度、民間の手に渡る、ということですね。

だから「再分配」なんて言われるわけです。
ここからわかるのは、
税金による予算執行はお金のリサイクルだ、ということです。

では、30%の方。国債の発行とはなんでしょうか?
これは借入というカタチをとることによって、
新しいお金を生み出している、ということです。

つまり、国は毎年30兆円、新しいお金を製造して
民間に貨幣供給している、ということなのですね。

借入、というカタチをとっているので「借金」と言われます。
これは予算を執行する日本政府と、お金をつくる日本銀行(日銀)が
法的に別組織になっているので「借金」と言われますが、
本質的には借金ではなくて、「貨幣発行」です。

お金を作って、供給しているということ。

そして、税収よりも国が毎年使うお金が多いこと、
つまり収入より支出が多いことを政府の債務超過とか、
財政赤字と言うわけです。

その赤字は国債が補填していますから、
つまり新しいお金を製造してまかなっていますから、
国債発行で出されたお金の累積、国債残高のことを「国民の借金」と言っていますね。
それが今や1100兆円に達した!と言って、
もう直ぐ日本は財政破綻する! 借金を返して財政を黒字化しなければ!と
騒いでいる人たちがたくさんいます。

でも、実態はちがうのです。

先ほど書いたように、国は予算で日本に住む民間人に仕事を出し、
その対価として貨幣を供給しています。
ときには仕事の対価ではなく、なんの見返りもなく渡すこともある。

それが一律10万円の給付金などですね。

そのお金はつまり民間人の所得になっているわけで、
政府が積み上げた1100兆円の財政赤字というものは、
国が1100兆円もの大金を、
我々が住むこの日本社会に供給したということです。

前の方で書いたように、お金は使ってもなくなりませんから、
その1100兆円は、今でもこの日本社会の中に存在しているのです。
そういう意味なのです。

見えてくるでしょうか?

でも、日本はもうここ25年ほど、ずっとデフレで不景気がつづいています。
もう慣れっこになった人もいるだろうし、
若い世代にいたってはこれが普通でしょうが、
日本はずっと経済成長というものをしていない、
世界でたったひとつの国なのです。

なぜだと思いますか?

国が新しいお金を1100兆円分もつくりだして、
それを日本社会に供給したはずなのに、なんで景気が悪いのか?

前の方で書いた、回遊魚の話を思い出してください。

大海原が社会で、そこに泳ぐ回遊魚がお金だとします。
今の日本には1100兆もの魚がいるのですから、
本来は景気が良くてもいいはずです。

でも、どうもそうではない。
それは、泳いでいる魚の数がとても少なくて、
たくさんの魚が泳がずに、じっとしているからなのですね。

どういうことか。

魚は泳いでいることで初めて存在が確認できます。
泳いでいなければ、実際そこにいても存在がわかりません。

この海には1100の魚が確かにいるのに、
そのほとんどが泳ぐのをやめているから姿が見えない。

これが貧富の格差がうんだ現象なのです。
お金は使わなければ、経済にとって存在しないのと同じことになります。
そして今は、全体の10%の富裕層が
世の中の富のほとんどを持っている状況です。

一人の人が使えるお金の量には限りがありますから、
富裕層の金庫の中に入ってしまったお金は、
死んでしまうということなんですね。

もちろん、彼らはそのお金をただ眠らせているのではなくて、
株式投資などをして運用し、働かずしてお金を増やしています。
このように、お金を元手にお金を増やす経済を「金融経済」と言います。

そして、我々庶民が生きているこの経済、
お金を使って物を売り買いする経済を「実体経済」と言います。

実体経済の中から株式投資などにまわり、
いちど金融経済に入ってしまったお金は、
ほぼ二度と実体経済には戻ってきません。
金融経済のお金って、株などを持っていない人には
まったく関係のないお金になってしまいますから、
投資ができる富裕層だけが実体経済からお金を吸い上げて、
金融経済でそれをどんどん増やしていく、
という現象が起きているんですね。

1100兆円のお金があっても、我々庶民にはお金がないのは、
そういうことが原因です。

その仕組みをつくっているのが、所得税と法人税の累進性を弱め、
株などで儲けたお金に対する課税を
所得税とは別にして安くする分離課税など、
お金持ちを優遇する日本の税制にあるんですね。

お金持ちの税金を安くした分を穴埋めするために
どんどん値上げされているのが、消費税だ、ということです。

こうしてお金のしくみを見てくると、
お金持ちがどんどんお金をため込んでしまうこと、
そしてそれを使わないことが、
我々が住むこの日本という社会の経済にとっては、
ものすごい害悪であることがわかったと思います。

お金持ちの人が悪人だ、というわけではなくて、
お金持ちの人だけが優遇される税制によって、
不公平がどんどん拡大している、ということですね。

それは厳然たる事実です。

そして社会はつながっているので、
我々、実体経済に暮らす庶民のお金がなくなれば、
やがては富裕層もお金を保持できなくなるのです。
だって、いくらお金だけ持っていても、
誰かが働かなければ世の中動きませんから。

日本の財政破綻がどうだ、とか、財政の黒字化は必要だ、という前に、
日本にすでに存在する1100兆円のお金が、
グルグル回るように税制を変えていくことが必要です。

そのためには、富裕層の理解が不可欠で、対立ではなく対話、
社会みんなでしあわせにならなければ、結局誰もしあわせになれない、
という共通理解が必要なのだと思っています。

この選挙の財源論をとっかかりに、
皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
とてもおもしろいです。

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