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人類は自らの幼稚さが原因で、絶滅する(かも知れない)。

私はいつも「持続可能性」について考えています。
本当に毎日考えています。
持続可能性について考えない日は、1日もありません。
自分でも不思議なくらい、考えています。

そして、他の人にも是非一緒に考えてほしいなと思っているので、
こうして発信をつづけています。

今日みなさんと一緒に考えたいのは、
「人類の最後」についてです。

この世の中に、あるいはこの大宇宙の中に、
永遠につづくものはありません。

地球も、太陽も、この宇宙さえもが、
いつかは終わりを迎えるときがきます。
そして恐らくそのような劇的なタイミングよりもずっと前に、
人類は絶滅していることでしょう。

人類が絶滅するのは、恐竜が絶滅したのと同じことです。

恐竜が絶滅したのは、恐竜たちが人間よりも愚かだったからではなく、
ただ、自然の摂理や法則に従っただけなのです。
そして、私たち人類も、同じ法則の中に生きています。

人類もいつかは必ず絶滅するのです。

私たちにできることは、その日がやってくるのを
ただ一日でも遅らせることだけです。
それが「持続可能性の正体」であることに気づくことができるか。

そこが勝負の分かれ目だと思っています。

では、いつの日か、必ず人類は絶滅するのだとして、
問題は、その絶滅の仕方です。

物事に対処する方法を考える場合、
実際にそれがどのようにして起こるのかという
メカニズムを分析することは重要ですし、
そのために、それが起こったときのことを
リアルに想定するのは当たり前のことですね。

火災に対する対策は、実際に火災が起きたことを想定して考えます。
そしてその原因について考えるはずですね。
地震や水害などの災害対策だって同じです。
実際にそれが起こったらどうなってしまうか、
どんなメカニズムでそれが起こるのかということを想定します。

それを想定していないと、原発事故のときのように、
大変なしっぺ返しを喰らってしまいますし、
もしそのような想定をしっかりできるだけの知性を
私たちが持っていたなら、
原発は事故も起こさず、今でも稼働していたことでしょう。

人類はいつか必ず絶滅するとして、
それはいったいどのようにしてでしょうか。
是非、面白い題材だと思って一緒に考えてみてください。

戦後はそれが「核戦争」によって起こると思われていました。

凄惨な世界大戦を二度も経験した直後だったので、
人間はいかに愚かであるかをわかっていたからです。

しかし、今のところ、核戦争は起きていません。

他にはどんな絶滅の仕方があるでしょうか?

ひとつ大きな原因として予測されるのは、
環境問題による絶滅ですね。
恐竜を始め、
多くの種が環境の急激な変化に適応できずに絶滅してきました。

いま、私たちは地球温暖化による気候変動に晒されています。
この原因はほぼ100%、人類の活動によるものですが、
その影響は人類のみならず、今の時代に地球上で暮らす
すべての種に降りかかります。

今回の場合の環境問題による絶滅は、
恐竜のように巨大隕石の衝突などによって
ある日を境に突然起こるのではなく、

真綿で首を絞められるように徐々に進行します。
けれど変化というものは人間の想像とはちがって
指数関数的に表出するものですから、
はじめのうちはなかなか進行しないし、
目に見えた変化に気づきにくいですが、
誰もが認識できるようになったときにはもう遅くて、
そこからは急激に進行します。

まさに堰を切ったように影響が出るようになるわけですね。
そうなったらもはや暴走を止めることはできません。

地球の環境変化がいま、どの辺りにあるかということが重要ですね。
そういうことを真剣に考えなければいけません。

同時に、なぜ地球温暖化が起こるのかという
原因についてもしっかり考えなければいけませんね。
もうご存知でしょうが、それはCO2の排出過多です。

重要なことは、なぜCO2の排出過多が起こるのかということと、
なぜそれが改善されないのか、問題が解決されないのか、という
メカニズムについて真剣に考察することです。

CO2が大量に排出される理由は、人類が活動するときに
大量のエネルギーを必要とするからであり、
その活動とは経済活動のことであって、
その経済活動とは、「時間が経つと増える」利息という
自然現象ではありえない仕組みをその根源にもった
「貨幣」という道具を使い、
永遠の成長というサイクルを持つ資本主義によって運用されています。

端的に言えば、それが地球温暖化の原因です。
これからの環境破壊は地球温暖化によって引き起こされます。
それを止めるには、私たちは今までの経済重視の価値観を
自ら変革する必要がありますが、それができるでしょうか。

できるかできないかは、人間の心の問題です。

もうひとつ、絶滅の方法として考えられるのが、
人口減少による絶滅です。

いま、日本は未曾有の人口減少フェーズに入っていますが、
やがて世界もそうなっていきます。

西暦2086年を頂点にして、
人類もその数が減少していくと予想されています。

人口減少が原因で、人類が絶滅するなんて、
ちょっと信じられないかも知れないですね。

でも、今の日本はどうして人口減少が起きていて
それがどんどん加速しているのかを想像すれば
それほど難しいことではないとわかるでしょう。

今の日本で人口減少が起きている原因は、
半分は経済的な問題があるはずです。
お金の問題ですね。
子どもを育てるお金が払えないので、子どもを産めない。

そういう問題です。

しかし、振り返ってみるとこういう事実があります。
戦後の第一次ベビーブームを団塊の世代と言いますが、
1947年から1949年の3年間で、出生数は806万人、
平均で268万人以上が生まれています。

そしてその団塊の世代が親となって産んだ子の世代が
文字通り団塊ジュニアになるわけですが、
1971年から1973年に生まれた子で、平均は200万人ほどです。

少子化とは、子が親の世代になったときに、
自分達よりも少ない人数の子供しか産まないことによって起こります。
そしてその現象は、
経済的にはまだまだ元気だった時代から始まっていました。
少子化は経済が豊かになっていく過程の中で起こると言えるのです。

つまり、今の社会は経済的な要因によって少子化の進行に
大いに拍車をかけているので、今すぐにでも大幅な改善が必要ですが、
果たしてそれだけで人口が維持、もしくは増加するかといえば、
そうはならない可能性が高いということです。

今は日本の事例を話しましたが、2086年以降は、
全世界で同じ現象が起きてきます。

では、何が少子化の原因でしょうか。
これは非常に言いにくいことですが、
しかしお茶を濁しても仕方ないので勇気を持って言いますが、
それは恐らく「人権」と「暮らしの豊かさ」です。

これを読んで、腹の中で「ムッ」としたり、
なにかしらモヤモヤと胸騒ぎがした方がいるかも知れません。

そして恐らくその感情こそが「人権」を守る根源にあり、
その感情こそが、人間の数を減らしていく原因になっていくのです。

私がここで書いていることは、私の私情ではありません。
私自身は人権擁護派です。
だからこそ、この自己矛盾を共有しなければと思っているのです。

女性が社会に進出するようになってだいぶ時間が経ちました。
私自身は女性が社会の中で活躍することを重要だと思っていますし、
差別や偏見があってはならないと思っています。

しかし、時代が進むにつれて
社会問題や社会課題は深刻化している事実があり、
そこに同時に社会の変化があるとするなら、
それらが相互に関係している可能性について
鼻から考えないというのは、原発神話と同じ現象を起こしてしまいます。

人間が減っていくのは自然現象ではなく、
個々の人間の感情によって起こされた行動が、
マクロの現象として表出したものであって、
つまり人口減少の原因も人間の感情であると言えるはずです。

戦後の社会の進展の中で目立ったことといえば、
経済発展による豊かな暮らしと、人権意識の高まりです。
全体の利益よりも個人を大切にするということです。

もちろん、戦争の歴史からも分かるように、
偏った全体主義は危険になる可能性があります。
しかし、個人主義も、偏り過ぎれば良くないことを起こすはずです。

何しろ、人権という概念は人間だけが持っているものであって、
大自然の生態系にはそれがありません。
種は一定数が食物連鎖のピラミッドの上位にいるものに
食べられることによって、そのシステムを維持しています。
人権は、金利と同様に大自然のルールを逸脱している可能性があるのです。

しかし、私たちは人間社会を円滑に運営するために、
それを大切にしなければなりません。
そのバランスが重要なのです。

最近、教育現場が崩壊しています。
昔の校内暴力の時代のような崩壊ではなく、
教師と生徒の関係性に「人間教育」ができない状況があるということです。
クレームとマウントによって教師が追い詰められています。

それを「教師の労働時間」という話にすり替えていますが、
本質は労働時間以前の話です。
「どんなことを長時間やっているのか」が重要なのです。

子どもたちはテレビゲームは何時間でもやります。
問題は体の負荷より、心の負荷なのです。

私は学校教育の場合、その問題の原因は親だと思っていますが、
そのことについて誰も言いません。
(私が言うと「そうだ!」と言ってくれる人がほぼ100%です)

社会から袋叩きにされるのが怖いからです。
怖いことが悪いのではなく、袋叩きにする社会に問題があります。

親が感情に任せて自分の権利を主張するようになったから、
教師に過重な精神的プレッシャーがかかり、
それはとりも直さず、目の前にいる子供の扱いに影響し、
教師は怖くなって子供たちと人間同士の付き合いができなくなりました。

それが原因で教師を辞めたと言う人も知っています。
教師をやっている意味がないから、と。

結果、教師のなり手は少なくなります。
志のある教師が減れば、
教育の質はこれからどんどん低下する可能性があります。

政治の劣化と同じですね。
政治家と有権者が両方で自ら引っ張りあって質を落としていく。

教育の場合は、その結果、
自分の権利は主張するが、好きなことしかやらない、あるいはやれない
人間を製造してしまい、その必然として社会そのものを衰退させている。
それは、その子たちが大人になったときに問題を先送りしているだけです。

果たして私たちが死んだ後、
日本の青年たちはどうやって社会を運営していくのでしょうかね。

もちろん、今の我々自身が、社会をまともに運営できていないからですが。

そんなふうに、「人権」には負の作用も存在するのであって、
そこを理解してバランスをとる意識を持たない限り、
やがては人類は終わっていくのだと私は感じています。

「人権」は万能ではありません。

こうやってみていくと、
課題の原因の根源にあるのは人間の感情なのであって、
その感情を揺さぶっているのは、
「お金と人権」なのだなと、私は思うようになっています。

しかし、もちろん、人権がいらないなどと微塵も思っていません。
人間の尊厳ほど大切なものはないと心から思っています。

何事もバランスが大事なのであって、
どちらか片方に偏ると、それが良いものであっても、
悪い側面が表出するのが世の中の常なのだということです。

正義というものが、もっとも恐ろしい凶器になるということと同じです。
そのことを私たちは認識しなければならないのです。

これを防ぐことができるのは、人間が自分の感情を乗り越えることであって、
それは一人ひとりが「ちゃんと大人になること」なのだと思います。

ここでいう「大人」は、今までの社会でいう「大人」ではありません。
自分のことばかりではなく、自分ではない人間のことをも、
独りよがりではなく、
バランス感覚を持ってちゃんと想像する力を持った人間です。
面倒くさがらずに、ちゃんと自分の頭で思考する人間です。

大人になることを放棄してはいけません。
深く思考することを放棄してはいけません。

今の日本が、甚だ幼稚な社会になってしまっていることを
課題意識を持って受け止める必要があります。

精神が子供のままで親になってはいけないのです。
子育ては自分のためではなく、子のためにあるのです。
教育も、学校も、親のためではなく、子のためです。

自分の子供さえ良ければ、という育て方をすれば、
彼らが大人になった時の社会は、
とても生きていけないような社会になります。

子供は放っておけば遊びは思いつきますが、
何をやったらどうなるか、ということは経験的には知りません。
だから大人は教えるべきは、ちゃんと教えなければなりません。

教えることと、教えなくていいこと、
与えるべきことと、与える必要のないことが
今の教育は逆転してしまっています。

大人になるということは、今よりももっと高い視座を持つということです。
日々の感情に、ただ流されて生きていれば、終わりはすぐにやってきます。

今を生きる世代には、次へとバトンを渡すというミッションがあります。
若い世代や、次の世代が、そのミッションを認識できなくなったとき、
人類は絶滅します。
ですから、そのミッションを我々は決して放棄してはいけないのです。

さて、今日は人類を絶滅させる原因からバックキャストして、
今、我々がやるべきことを考えてみました。

皆さんはどう感じたでしょうか。

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