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カネだけのために、愚行は繰り返されている

今、こうしてnoteに思いを発信している私ですが、
社会に対する危機に関しての発信は、
そのときそのとき、メディアを変えながら
ずっと以前からやっていました。

今日、ここにご紹介する内容はとても古いもので、
私が2007年の1月に書いたものです。

モチーフになっているのは当時の人気TV番組
「発掘!あるある大辞典」でのネタの捏造事件や、
2005年にJR西日本の福知山線で起きた脱線事故を取り上げています。

モチーフは古いですが、あの頃から、
社会はなにひとつ改善されておらず、
それどころか悪くなっているものさえある、
ということを感じていただけたら幸いです。

(ここから2007年の投稿です)

今朝、テレビのニュースで、人気情報番組の「あるある大辞典」で、
情報の捏造が行われた、という報道がありました。

なんでも、納豆にダイエット効果があるという番組を作るために、
とってもいないデータをとったことにして、
実験前、実験後の写真も別人を使い、
権威ある先生みたいな外人のコメントには
適当な日本語訳を載せてたそうです。

この番組は、関西テレビと、名前は忘れましたが、
どこかの番組制作会社が共同で企画しており、
その下に、実際に番組を制作する9つの孫受け会社が
順次まわしながら番組を作っていたそうで、
関テレとしては、そのうちのひとつの会社が
やってしまったと報告していました。

そこで、「また下のやつのせいにしてるよ」と、
言いたいのではなく・・・。

これこそが、今の日本の歪んだ経済社会の実態なのだということを、
多くの人に気づいて欲しくて、わざわざ書いているのです。

報道を見た多くの視聴者は、
うその情報で番組を作ってしまったスタッフを
「なんて野郎なんだ!」
「きっとロクデナシに違いない!」
と、思ったことでしょう。

私もその連中をまったく知らないので、
実際にはわかりませんが、物事の本質は、
そんなところにはないのです。

問題なのは、これと同じことを、
いつ誰がやらなければならなくなるか、
わからないのが、今の日本だ、ということなのです。

あなたの旦那さんが、
あなたの付き合ってる人が、
あなた自身が、
もちろん、私自身も。

しばらく前に、「JR西日本」の福知山線で起きた大惨事を、
皆さん覚えているでしょう。
あれでJR西日本は、相当叩かれましたよね。

人こそ亡くなっていないけれど、
今回の関西テレビの話も同じです。

今、日本人の気質にはまったく合わないアメリカ型の市場主義経済が、
日本をどんどんめちゃくちゃにしています。

いま、日本は、生産者と消費者、サービスの送り手と受け手の関係が
めちゃくちゃになっているのです。

「ありえない高品質のサービスを、ありえない低価格、
ありえない納期、ありえない速さで提供する。」

アメリカ型の市場主義のいきつくところは、必ずそこになります。

そこに「自由競争」が起きて、すぐれていないサービスは、淘汰される。
それこそが正義である、ということになっています。

しかし、忘れてはいけないのは、
サービスするのは、すべて「生きた人間」だということです。

飯も食わなければいけないし、寝なければいけないのです。
そして、この「ありえない」原理に翻弄されて、
いま、「生産者」としての人間はとても弱く、
「消費者」としての人間は、急に偉そうになるのです。
同じ同一人物ですら、そうなってしまうのです。

本来、人間は持ちつ持たれつの関係にあるのであって、
自分が要求したサービスは相手からも
必ず要求されることを理解しなければいけません。

何が言いたいのか、というと、
物事の本質、人の行動の本当の目的が形骸化し、
本来は手段でしかなかったことが目的化してしまって、
みんな本当に大事にしなければいけないことが
見えなくなってしまっているのです。

本末転倒、ということ。

例え話をしましょう。

今、チョコレートに含まれる「ポリフェノール」という物質が、
体にいいという正しい情報があります。

これをテレビ番組で流したところ、
大反響がおき、チョコレートが爆発的に売れました。

すると、「この番組で紹介してもらえば、爆発的に売れる」
というカタチが生まれます。
視聴者も「この番組で紹介しているものはいい」と思い込みます。

最初のうちは「うちのこの商品も体にいいんだから、紹介して欲しい」
という、純粋な情報が集まってきます。
視聴者も「この番組を見ていれば、どんどんいい情報がくる!」と
思い込みます。

しかし、そのうち、番組の作り手側は
視聴者の期待値に答えなければ、
つまり、中身はさておき「カタチ」を維持しなければ、
番組そのものの価値が維持できない、
というプレッシャーを与えられることになります。

しかし、ネタはいつか必ず底を突きます。

でも、放送する時間は待ってくれません。
そうなると、たとえ見せかけであっても、
「カタチ」を維持する行動をとらなければ、という考えが出てきます。

当然です。  人間ですからね。

きっとそんな状況の中で、
今回のようなこと(あるある大辞典の例)は起きたのでしょう。

つまり、これは悪人ではなく、普通の人が起こしたことであり、
同じ状況になれば、私やあなたもやってしまう可能性が高いのです。

消費者がもっと謙虚にならなければ、
日本はもっともっと悪い状況になっていきます。

そもそも、目からうろこが落ちるような有用な情報が、
毎週毎週与えれられ続けるわけはないのです。
しかし、見ている方は、一度でも番組がつまらないと
「この番組は、もう終わったな」と思うようになる。

作り手側にとっては、それはいちばんマズイ状況なわけです。
特に、制作現場に近い下請け会社ほど、
それは自分の生活そのものにかかった問題になってくるのです。

だから、もしかしたらバレないかもしれない、という
リスクを背負って、いちかばちかやったのでしょう。

スタッフが馬鹿な人間たちの集団であったとは思えないのです。

JR西日本にしたって、並列して走る私鉄各社との競争の中で、
ありえないダイヤを設定しなければ、
消費者から「サービス」として認識されなくなっていた、
という環境から起きた事故なはずです。

言ってみれば、消費者が要求したことを
具現化しようとして起きた事故とも言えるのです。

トラックの運転手が、積荷の最大積載量を無視したりするのも、
すべて同じ構造です。

すべては、無理なサービスを強要されるがために起きているのです。

そして、事故が起きたら、消費者はとたんに
「こいつらは安全を最優先しない人でなしだ!」という。

もちろん、「東横イン」とか、「耐震構造偽装」とか、
あきらかに人でなしな案件もいっぱいあるけど、
そうでないものも、たくさんある。

すべては、この競争社会のゆがみなのです。

ズルしてまで競争に勝とうとするのはよくない、と言うかも知れませんが、
これはスポーツやゲームではなく、生活がかかっている出来事なのです。
明日、食べるに困った状況になれば、きっと私だってやります。絶対に。

おそらく、あなたも。

今回の「あるある大辞典」の報道を、
単なるテレビ局の不祥事と捕らえてはいけません。
それが、いちばんやってはいけないことなのです。

消費者がそうであれば、
こういうことは必ずまた繰り返されるのでしょう。

価格に見合わないほどの、ありえないほどのサービスに
価値を見出すのは、やめるべきです。

その要求は、どこかで誰かの命を削らせているのです。
その誰か、というのは、ときにはあなたの命を握る人であったりするのです。
その要求は、まじめで誠実な人が
うそをつかなければ生きていけない状況を生み出すのです。
(ここまで2007年の投稿)

この投稿を書いてから、14年が経過しています。

この翌年、リーマンショックが起こり、
4年後に東日本大震災とそれに伴う原発事故、
そして今、我々は世界規模のパンデミックの中で、
二度目の秋を迎えようとしています。

世界は、日本は、この頃に比べて少しでも良くなっているでしょうか?

何度も起きた「未曾有のできごと」を学びにてきているでしょうか?

社会の歪みは深刻化し、むしろ諦めの領域に到達していませんか?

けれど、この人間社会はすべて自然現象ではなく、
我々人間が自分で作り出しているものです。

それがわかれば、変えることもできるという「事実」に気付けるはずです。

普通の人間が、組織に属することで、普通ならあり得ない条件を受け入れ、
普通ならするはずのないことを実行してしまう。

そうやって我々自身が作り出した経済社会が、
我々の心とくらしを破壊しているという現実。

これこそが、ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判を通じて
我々に伝えたかった危機感ではないでしょうか。

ナチスがやった愚行と同じ意味のことは、今も繰り返されています。
「お金」だけのために。

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