内藤廣の建築とオルテガの「生ー理性」:前半 (ドン・キホーテをめぐる思索を読んでの考察)
オルテガの「ドン・キホーテをめぐる思索」を読んだ上で、「生ー理性」の考え方と内藤廣の建築の共通点について2回に分けて考察。先ずは前半下記の①~③迄。
①オルテガの「ドン・キホーテをめぐる思索」を読んだ理由 ②ゲルマン人文化圏と地中海文化圏の考え方 ③「理性」の捉え直し
④ 内藤廣の建築の部位の集合と「生-理性」の共通点
⑤国民国家を信じているオルテガの考え方はどの様に現代の 建築の中で意味を持つ可能性があるか。
⑥補足
① オルテガの「ドン・キホーテをめぐる思索」を読んだ理由
7月21日の投稿で、「大衆の反逆」から読み取れる内藤廣のオルテガからの影響を考察した。その中で「生ー理性」についての理解が今一つだったので、さらにオルテガの著書「ドン・キホーテをめぐる思索」を読むことで、オルテガの「生-理性」の考え方を理解し「生-理性」と内藤廣の建築の関係を考察する。
② ゲルマン人文化圏と地中海文化圏の考え方
・「ドン・キホーテをめぐる思索」は出版されたのは、1914年と、抽象と感情移入(1908年)の直後である。この時、ドイツ語圏ではウィーン学派のヴォリンガーが、ゲルマンの文化は中東そしてオリエントにつながるものとして、ギリシア及びローマというラテン文化に対する優位性、ゲルマン人自体の優等性を説いた。
・これに対して、オルテガは、まず古代ローマやギリシアを中心とするラテン文化はゲルマンの進入によってアフリカ側の地中海を非ヨーロッパとすることで次第にゲルマン化していったとした。
・その上で、そもそもラテン文化圏は存在せず、アレクサンドリアやカルタゴ等含んだ北アフリカを含んだ地中海文化圏があると説いた。これが、中東からオリエントへと進んでゲルマンに至ったといヴォリンガーを始めとするウィーン学派の考えと対になっていると思われる。
③ 「理性」の捉え直し
・そして、オルテガは近代理性を成立させたゲルマン文化圏の根本的スタートであるデカルト迄遡り、理性を再考することで「生-理性」の考えに至ったと思われる。
・「生-理性」とは、「実際に存在するのは部分であり、全体は部分の抽象である」ということであり、この部分とは国家であれば1人の個人を示している。また、個人を形成することの半分は、自らの周辺の環境であり自己の個的生のために環境を再摂取することが重要であると説いている。
・つまり、オルテガは、スペインという国家は、スペインという場所に住む個別具体的な1人1人の部分の集合であるとした。個人の生を重要視する点で、経験論的であると共に、その経験を抽象化させるという点で合理論的であるという2面性があり、これは「対立する2つの要素の相互作用」が重要だとしたウナムーノの考え方の流れが見えると言えるのではないか。
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