本当にモテる人ができる「あいうえお」
こういう言い方はアレかもしれないが、私の妻は誰からもモテる女だ。
八方美人で、外面はとても感じがよく、気も遣えるし、人当たりもいいため、「彼氏を切らしたことがない」というのもうなずけるし、同性からも好かれていて、嫌われているのを見たことがない。
モテる人というのは、モテる特徴がある。
逆に、モテない人は、モテない特徴がある。
これは男女共通に言えることで、私が幼少の頃より人と絡まずに40年くらい「人間観察」をしてきた経験から、モテる人と、モテない人の決定的な差が、「あいうえお」にまとまることに気づいた。
モテる女の「あいうえお」?
ネットには、モテる女・モテる男の「あいうえお」として、恋愛テクニックを述べているものも多数存在する。
しかし、これをやればモテるかというとそうでもない。
たとえば、上記のサイトで紹介されている、「あいうえお」の「い」である「いい香り」について香水を勧めているが、明らかに女性目線すぎる。
男はシャンプー+オイルぐらいの香りで十分で、香水を嫌いな人も結構いるという視点が欠けているし、実際、香水が臭くて陰でひんしゅくをかう女性も少なくない。
先日入ったオシャレ焼き鳥屋に入って来た女性はまさにそうで、美人だったがガッツリ香水もつけていて、とてもじゃないが声をかけたいとは思わない男性の方が多いだろう。美人でもモテないタイプだ。
「いい香り」をさせるだけでモテるんなら、苦労はしない。
むしろ、香りでモテるんなら、どこの宣伝かという話だ。
そもそも、香りは好みもある。
別に、本人がその香りを気に入っているのであれば大きなお世話だが、もし、「モテたい」と思ってしているのであれば逆効果でしかない。
モテる人がやってる「あいうえお」
私が言いたいモテる人たちは、「モテテク」を駆使している人ではない。
そもそも、本当にモテる人は「モテテク」なんて使わない。
そもそも、誰からもモテる人は、「モテたい」なんて思ってない。
モテる人は、あくまでも自然にモテるのだ。
それが、本当のモテる人だ。
モテる人が常日頃無意識に「やっていること」「言っていること」、つまり、自然にしているだけなのに、「モテ」の原因を作っているわけだ。
だから、誰からも好かれる。
これが、たとえば合コンとかクラスとか、特定のシチュエーションだけ、特定の相手にだけ、モテようとすると、そうでない時との「差」が生まれる。
それは「本当の自分」なのかもしれないが、これでは「誰からもモテる人」になることはできない。
だいたい、モテない人は共通して、好きな人の前でだけ態度を変える。
別に悪いことではない。
ただ、モテる人は違う。
もし、モテたいのなら、「モテテク」に走らず、まずは、モテる人をよく見ることだ。
そこで私は、「モテる人」が常日頃行っている言動に注目して、それが「あいうえお」にまとまることに気づいたので、以下にそれをまとめる。
モテる人ができる「あ」
モテる人は、「ありがとう」が言える。
何かをしてもらった時は、どんな小さいことでも、「ありがとう」と言える。これは簡単なようで、できる人は少ない。
モテる人は基本的に、自信がある。
なので、何かをしてもらった時はもちろん、たとえば返しに困るような、「美人だよね」「イケメンだよね」という言葉に対しても、素直に「ありがとう」と言える。
これがたとえイヤミであっても、「ありがとう」と言われてしまった方は、それ以上悪く言えなくて、むしろイヤミを言った、イヤな自分を許してもらえたような気になってしまう。
モテる人はそんなことを計算しているわけではないが、「ありがとう」と言うことで、人間関係がうまく行くことをよく知っている。
だから、自分が絶世の美人じゃないと知っていても、素直に「ありがとう」と言っておいた方がいいと思ってそう言える。
なぜなら、相手がそう考えて言っているのだから、「そんな美人じゃないです」などと否定してしまっては、相手を否定してしまうことになるためだ。
もちろん、これが本当に、「忠告」や「指摘」であっても、モテる人は同じように「ありがとう」と言える。自分の至らないところがあったなと素直に思えるからだ。
人間関係における「ありがとう」は、相手をそのまま受け入れるから、相手との関係が良好になる魔法の言葉なのだ。
モテる人は、それを理解しているから「ありがとう」が言える。
モテる人ができる「い」
モテる人は、「いいですね」が言える。
相手が話したことに対して、どんな話題でも「いいですね」を言える。
これは、簡単なように見えて、意外と難しい。
たとえば、「先週末、話題の映画を観てきたんですよ」という話題を振られた時、「ああそうなんだ」と言いつつ、内心、(人気作ばっかに飛びついてバカじゃねーの)なんて思う人はまずモテない。
それを言葉にしなくても、だ。
これ、同じ質問をモテる人がされたら、どうなるか?
「いいですね」と即答するだろう。
営業でなければ、相手の言ったことに常に「いいですね」と即答できる人ばかりではない。
なぜなら、自分の感情がそこに入るからだ。
そもそも、相手は「講評」されたくて話しているわけではない。自分の話を聴いてもらいたくて話をしているのだ。
なのに、そこで「あの映画は監督がうんたらかんたらだだから大したことない」とか語られてもウザいだけである。
モテる人は、たとえ内心「またこの話題か」と思っていたとしても、それを感じさせることはなく、まずは「いいですね」と言える。
なぜなら、言っているのは自分だが、あくまでも相手にとって「いい」話であって、そのことについて「いいですね」と言っているだけだからである。
逆に言うと、内心はとてもひどいことを考えているかもしれないが、「いいですね」と言える人はモテる。
これができずにホステスや風俗嬢に説教するオッサンは、当然モテない。逆に、女性客の言っていることを全部肯定してあげられるホストはモテる。
モテる人は、それがわかってやっている。
ただ、なんでもかんでも「いいですね」と言うだけのヨイショ君になればモテるというわけではない。「いいですね」と言いつつも、「・・・でもあれグロくないですか?」など、後で自分の意見も言える人だけがモテる。
モテる人ができる「う」
モテる人は、「うれしい」を大事にする。
してもらったことはもちろん、誰かにしたことも「うれしい」と感じる。
人は、誰かに何かをしてもらった時、「嬉しい」という感情になるが、それを直接伝えることをしない人も少なくない。
たとえば、知人からたいして興味の湧かないプレゼントをもらった時、どういう反応をするだろうか?
モテる人は、「ありがとう」と言って、嬉しいという気持ちを前面に出す。
本心では、「いらないモノだな」と思いつつも、嬉しいという態度をとれるし、実際「嬉しい」ということもある。
これを、「自分の心にウソをついている人間だ」と言う人はまずモテない。
そもそも、モテる人は、自分の心にウソはついていない。
純粋に「うれしい」と思うから、「うれしい」という態度を示せる。
いらないものなのに?
実は、モテる人は、その「くれるモノ」に意味を見出さず、その「モノ」をくれようとした「気持ち」の方に意味を見出す。
だから正直、モノはなんでもいいのだ。
実際、モテる人はプレゼントをよくもらえるので、「モノの価値=愛情」とは思っていない。
むしろ、いろんな人からプレゼントをもらうので(下心付きのものも笑)、愛情のこもったプレゼントかそうでないかということがよくわかる。
それをわからず、高いモノをあげれば喜ぶと思っている人はまずモテない。
また、モテない人はプレゼントをもらい慣れていないので、愛情がこもっていないプレゼントでも、愛情と錯覚してしまいがちだ。
だから、貢がせられて終わることもある。
そこへ行くと、モテる人は「うれしい」と感じたことは「うれしい」と伝える。
「大事なのは気持ち」だ、というような綺麗事が言えるのは、本気でそう思っているからだ。
だから、されたことに素直に「うれしい」と言える。
もらったプレゼントを使うかはわからないが・・・。
モテる人ができる「え」
モテる人は、「笑顔」である。
基本的に、誰に対しても笑顔を向けることができる。
これが「好きな人にだけ笑顔を見せればいい」という人は基本、モテない。
別にそれが悪いわけではなく、本人がそれでいいなら問題はないが、もし「モテたい」と思っているならその考えを改めた方がいいだろう。
笑顔がなくてもモテるのは、顔面偏差値が70以上(デビューしてから主演女優ばかりの人レベル)とか、飛び抜けた才能があるとか、そういう人だけだ。
たとえば、マンガに『古見さんはコミュ症です』というマンガに登場するヒロイン、古見硝子(こみしょうこ)は、誰とも会話せず笑顔も見せない凛とした雰囲気を持つ絶世の美女というキャラクターだが、実は単に、人との会話もできないし、笑顔なんて到底無理なだけ(=コミュ症)という設定だ。
これは、古見さんが、「万人が振り返る美少女」だから許されることであって、これが顔面偏差値がそこまでいかない人だったら、確実にクラスで浮いてしまうし、ひどい場合はいじめられることもあるだろう。
「笑顔」には、人の緊張を解く効果がある。
それは自分にもそうだし、笑顔を見た相手にもそうだ。
だから、「笑顔」は武器になる。
プロゴルファー・渋野日向子(しぶこ)も「笑顔」があるから、プレー以外の部分も評価されて人気がある。
笑顔は人に伝播(でんぱ)するため、人は笑顔の人に引き寄せられた上、自身も笑顔になる。だから、笑顔の人は輪の中心になりやすい。
モテる人は、自分がツラくても笑顔。
だから、他の人が笑顔になる。
そしてその笑顔に釣られて、人が集まってくるわけだ。
モテる人ができる「お」
モテる人は、「おいしい」が言える。
意外かもしれないが、なんでも「おいしい」と言えるのは凄いことだ。
たとえば自分が作ったものを食べてくれた上で、ウソでも「おいしい」と言うことは誰でもできることだから、なんだそんなことか、と思いになる人もいるかもしれない。
だが、モテる人の「おいしい」はちょっと違う。
これは私の体験談だが、顔面偏差値が70はいかないものの、そこそこイケメンだったモテ男と駅でうどんを食べた時の話。
いわゆる「讃岐系」のうどん屋に入ったのだが、彼の出身はうどんの聖地と呼ばれる香川県。
彼曰く、讃岐系のうどん屋はいずれも、本場の人からすると「こんなんで客が来るんだ」というようなレベルのうどんらしく、「香川のうどん屋が来たらもっと客来ますよ」とは言いつつも、実際にはそこのうどんを「うまっ」と言いながら食べていた。
これは、うどんが本場並みにうまかったからではない。
本場のうどんにはぜんぜん敵わないし、相手にもならないんだけども、それでも、何かを食べて「うまい」「おいしい」とすぐに言える人は、一緒に食べている人からすると自分もおいしく感じたりするし、作った人からもうれしいと感じたりするものだ。
かたや、モテない人は、こういう状況で「やっぱりうどんは本場のじゃないとダメだな」などと語り出す。
まわりからすると、「だったら本場行けよ!」「しょうがねえだろ!」という気持ちになったりすることもあるわけで、この違いは明白だろう。
これはあくまでも一つの例だが、自身の中の価値観で絶対的評価を下すのではなく、あくまでもそのレベルの中で、つまりやさしい目線でポジティブな評価を下せる人は、モテるのだ。
だから、普通レベルの食べ物で、「おいしい」と言える人は、モテる。
あくまでも、食べてまずくなければ「おいしい」のだ。それは気持ちの表現でもある。
だいたい、チェーン店で料理を作る人は、自分の作っている料理が世界一美味いとは思っていない。
それでも、そこで一生懸命与えられた条件で精一杯で作っているのだから、それに対して「おいしかった」と言える人は、モテるのである。
モテる人は、食べるだけで人を幸せにするのである。
「モテる人」の本質
ここまで見て来たのを見て、「モテる人」は人間的にひどくない?と思った人もいるかもしれない。
嘘偽りの自分を見せている、と思う人もいるだろう。
それはある部分ではそうで、ある意味「偽善者」と言う人もいるだろう。
しかし、「偽善の『偽』は、『人』の『為』」と言われるように、「偽」の感情が「人の為」になっていて、それが結局、「モテ」につながっていることがわかる。
そもそも、モテる人は別に、モテる為にやっているわけじゃない。
あくまでも、人間関係がうまくいくように、自分がストレスなく楽しく過ごせるように、まわりにも気を遣っているだけだ。
それを、まわりが勝手に「素敵だな」とか思うだけであって、本人がそれを望んでいるわけではない。
だからこそ、「モテたい」という人のガツガツ感もないし、おしつけがましさもないので、なおさらモテる、というわけだ。
「モテる」「モテない」どっちがいい?
もちろん、モテる人がそれを続けているのは、「モテないよりモテた方がいい」と思っているからだ。
そういう意味で、計算高いと言えばそうかもしれない。
逆に言うと、モテない人は計算高くない、ピュアな人も少なくない。
実際、モテないよりモテていた方が、いいことの方が多い。
モテない人には得られなかったものがたくさん得られるからだ。
確かに、モテる人はモテる人で大変である。
特に女性の場合は、ストーカーとかセクハラ被害が非常に多くなる。
それでもやはり、人間、なんだかんだ言って、モテた方がやっぱり生きやすい。それは、人の中で生きていることを実感しながら、自身の存在価値を高めることができるからだ。
だから自然と「ありがとう」と言える習慣も生まれ、「いいですね」と相手に合わせる余裕も生まれ、「うれしい」という気持ちを前面に出してもうざがられないし、常に「笑顔」でいられるようになるし、なんでも「おいしい」と小さな幸せを見つけることができる。
だからますます魅力的になり、モテの循環ができる。
だから、歳を取っても、どんな事をしても、モテる。
別に香水をつけていなくても、モテる。
モテる「あいうえお」ができる以上はずっとモテる。
・・・ということを、モテる人をずっと見続けてきた、モテない男が思いついたよ、という話でした。
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