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亀山八幡宮のご由緒から名水の謎に迫る!

昨日の続きで、おなし名水と縁のある神社、亀山八幡宮を調査していきます!

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改めて、おなし名水の由来を確認。「その昔、小梨に住んでいた親孝行な息子が急病にかかった母のために、日頃深く信仰していた亀山八幡宮に日参したところ」「夢枕に神様が現れて、お告げがあった。」お告げ通りにすると病気が治癒したので、御神水として親しまれたというお話。

どうやら、名水より先に神社が存在していたようだ。     疑問①   その昔とはいつ頃か?           疑問②            夢枕に現れた神様とは具体的に?

謎を解決するためにも、神社の御由緒を調べにいこう!

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何か視線を感じるんだけど・・・?

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あ、、、まだ桜が残ってる!(5月6日 撮影)

◎御由緒

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一つ一つ、調べていきます!!!


◎創建は、天文15年(1546)頃、

室町時代(足利尊氏が御成敗式目を制定した1336年から15代将軍義昭が織田信長によって京都から追放される1573年まで)の終盤であり、戦国時代8代将軍、義政の後継ぎ問題で、1467年に有力守護大名の細川氏と山名氏の対立から発展した約11年間にわたって継続した応仁の乱以降の時代の幕開けから約80年。

小早川家ゆかり水野将監により創建された。

・読み方は、みずのしょうげん? 生没年未詳 1542より前〜1586年までは存命。

小早川家ゆかりの、とは、竹原小早川家の庶子である小梨氏、の意味だろう

・なぜ水野将監なのに小梨氏なのか?

城郭放浪記さんによると、「毛利氏と尼子氏との戦い(1542〜の月山富田城の戦い?)で戦功を挙げた水野将監は」「亀山八幡宮の西の尾根に城を得たことで小梨将監と名を改めた」ということらしい。

・しかしこの小梨城、Wikipediaには「1550年(天文19年)頃の小早川隆景による竹原・沼田両家統合の際には廃城となったと考えられる。」と書いてあるので

亀山八幡宮の創建から わずか4年後、 廃城

廃城に伴い、水野将監は、どこか別の地に行ってしまったのだろうか? 紆余曲折があって、最終的には小梨の地に定住したのだろうか。9年後には亀山八幡宮の祭主になり27年間、小梨との縁を紡いだようである。

◎水野将監は、永禄2年(1559)〜天正14年(1586)まで祭主を務めた

戦国時代を生き延び、安土桃山時代を迎えた(本能寺の変は、天正10年)

※ 名前で検索したところ同名の人物が福山藩にいたようが、生没年が(1652-1714)と神社創建より100年ほど後の人物なので、同姓同名の別人のようだ!

◎祭神御神体は、寛文11年(1611)頃〜明和2年(1765)頃までは阿弥陀如来と厳島明神御神体の十一面観音像であったが、神仏分離令により分離。

あれ? 水野将監が祭主を務め終わってから25年後の話。 創建当初はどんな神様をお祀りしていたのだろう。

肝心のことを見過ごしていたが、「亀山八幡宮」で検索すると下関にあるようだ。八幡宮とは、応神天皇(八幡神)という武運の神様を祀る神社の呼称。となれば!創建当初に祀られてたのは、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后(下関では仁徳天皇が名を連ねるが、現在小梨では宗方三女神が祀られている)であるに違いない

宗方三女神は、海の神・航海の神で、現在の厳島神社の祭神と同一であるそうだ。江戸時代から厳島明神の観音様をお祭りしていたようなので何かと縁が深い。  小梨の亀山八幡宮は、設立者である竹原小早川家の庶子・水野勝瑞由来の武運の神と厳島神社と縁のある海の神とつながりが深そうだ。

うーん。そうなると阿弥陀様が浮いてしまう。

もしかすると、水野勝瑞ゆかりではない、小梨の庶民たちの信仰によるものなのだろうか・・・?高校日本史の知識だが、阿弥陀信仰は平安時代に流行したものだ、戦国時代やってきた城主が設立するずっと以前からこの地において、信仰されていたのかもしれない。この考察を加えると、先の武運三柱に加えて、創建以前からの阿弥陀如来も創建当初に祀られていたと考えることができそうだ。


ネット上の情報をまとめ補足したするだけでも、どんどん深みにはまっていく。 そろそろ、今回のテーマであるおなし名水の謎については答えられそうだ!


疑問①   その昔とはいつ頃か? 

江戸時代 :寛文11年(1611)頃〜明和2年(1765)        もしくは、戦国時代・安土桃山時代。

「日頃深く信仰していた亀山八幡宮に日参し」とあるので神社ができた以降。

疑問②            夢枕に現れた神様とは具体的に?

信仰していた神仏(江戸時代以前なら阿弥陀如来一択) 

大前提として、祈りを捧げていた神様である。神様であるが、夢枕に現れたのは仏様に違いない。祀られている”神様”は、武運と航海が専門なのだから。


どちらの仏様が夢に現れたのか? ここで鶏が先か卵が先か問題が出現する。

何らかの理由で十一面観音が祀られることになり(「延命、病気治療」のご利益があるそうだ)その噂を聞いた息子が後からご利益を求めて信仰するようになったのであれば、当然、信仰厚い観音様が夢枕に現れたことだろう。

だが、そうではなく、阿弥陀様の方が夢枕に現れ、病気が治癒した結果。村の人たちが十一面観音を新たに加えてお祀りするようになったのかもしれない。


自分は、阿弥陀様の方を支持する。というのも、高校古典で如来が夢枕に立った話は読んだ記憶があるが観音が現れたという話は聞いたことがないし「阿弥陀如来 名水」はヒットしても「十一面観音 名水」は出てこないのだ。

それに、親孝行で信仰心の厚い息子は、きっと小梨に昔住んでいた一族の生まれで村の大人・年寄りたちが遠い昔、平安時代から阿弥陀様を拝み続けてきたその一心にひたすらな後ろ姿を見て育ってきた人間で。まさしく小梨の人だったのだろう。そして何世代にも渡る祈りの積み重ねもあり、熱心な息子の祈りが奇跡をよんで、夢枕に現れた如来様が病気平癒の名水をお与えになったのだと考えた方がドラマがある。・・・・はてさて真実はどうなのだろうか?

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最後までお読みいただきありがとうございました。


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メモ 今回は使わなかったが、いつか役に立ちそうな資料

・奈良大学 藤田裕嗣(?年)「安芸国沼田荘の市場と瀬戸内流通網」歴史地理学会

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