政府が外圧により意図的に自国産業に足かせをはめることを計画し、そのことにより経済が後退することまで予測していたことの証拠を見つけたった

失われた30年は、企業投資(銀行の信用拡大)が止まったことによってもたらされたものです。これは1998年ごろの金融ビッグバンのときに銀行にいくつかの強烈な規制をかけたことが原因です。

政府は金融ビッグバンのことを金融の自由化で国民に利益がもたらされ、日本の金融市場が国際化する事によって経済発展すると説明してきました。(そして結局そうはならず単に経済がクラッシュしてそのまま低位で固定されただけでした)

しかし1986年の時点の金融ビッグバンの計画段階では単に、外圧によって銀行に規制をかけること、またそのことが信用収縮をもたらし、多大な努力を日本経済に強いることがわかっていたことが証明できる資料を国会図書館デジタルで発見しましたので取り上げたいと思います。

経営諸比率の見直しについて 大蔵省銀行局銀行課(後の金融庁) 大蔵省大臣官房企画官 窪野鎮治

日本の銀行がオーバープレゼンスであるとかが指摘されております。自己資本比率に即して いえば、イギリスとかアメリカの自己資本比率は、大ざっぱにいって五%であるとしますと、資産の量は五%の逆数ですから自己資本の二〇倍ぐらいまでは伸ばすことが出来ます。ところが日本の銀行は、従来のベースによれば約二・五%ですから、それを割戻しますと、約四〇倍伸ぱせられることに なり、外国の銀行からみれぱ日本の銀行の自己資本比率指導 が甘いために自分たちはハンディーを負っているという議論が 出ております。

自己資本比率規制が貸出総量を抑えることを大蔵省がちゃんと理解していることがわかります。

そういう意味では国際的な金融機関相互間の競争条件の公平性を求める声が欧米の金融専門誌、BISやOECDなど国際会議の場でも出ております。 とくに欧米の銀行がそういう規制によって資産の伸びを抑制せざるを得ない状況の中で、日本の金融機関が量的に伸ばし ている行動が注目されているわけです。

ここで外圧の存在が言及されます。
しかし、欧米も自己資本比率規制を単に下げればいいだけの話ではないでしょうか(おそらくそれができないために日本に圧力をかけている)?嫉妬狂いのアングロサクソンになぜ配慮する必要があるのでしょう?
なぜ日本が自国産業を犠牲にしてまで諸外国に合わせる必要があるのか全く意味が分かりません。

金融の自由化の進展のもとにおいては、単なる従来型の量的拡大というわけにはいかず、質的重視の方向を目指すべきではないかと考えられます。金利の自由化の進展によって一時的には 相当収益を圧迫される局面が考えられますが、それを量的拡大でヘッジしようとすれば、過当競争、破滅的競争になる危険がないわけではなく、そうなればせっかくわが国が進めて おります金融の自由化によって金融システムの大混乱を来たすことになってしまいます。したがって、金利の自由化等の 過程で金融機関相互の競争を直接制限することなく、やみくもな量的拡大競争を回避し、収益重視、質的充実の重視という方向への転換を期待しつつ自由化を円滑に進める効果を有するのではないかと考えられます。

ー 従来型の量的拡大というわけにはいかず、質的重視の方向を目指すべきではないか ー

この一文から、銀行が貸し出し(信用創造)を拡大するのを行政が止めるというコンセプトが透けて見えます。つまり、貨幣供給を抑制し名目GDPの成長を止めますよと言っているに等しい宣言です。
さらに言えば、信用創造による貨幣量の拡大を見越して、設定された過去の金利の借金返済は総体(マクロ)としては不可能になりますので、信用収縮が起こります。これをわかってやったという疑念が持たれます。

ー 金融の自由化によって金融システムの大混乱を来たす ー

いや、あんたらの金融ビッグバンの進め方そのもので、金融システムが混乱どころかクレジットクランチを引き起こし、日本30年に及ぶ低成長になったんだけど、、、

(自己資本比率規制の)目標値をどれだけにするか、大変悩んだところです。まだ、各金融機関の新しい概念による自己資本の額とか比率を正確に承知しているわけではないのですが、目標を四%としますと、相当な努力をしなければなりません。今後の自由化の進展やあるいは譜外国で相当高い自己資本比率規制をしていることを総合的に勘案して四%程度という水準を設定しました。また、経過期間でありますが、増資のインタ ーバルとか今後の自由化の進展などをにらみながら、六十五年度を目標年度として設定しました。

昭和六五年(1990年)目標に銀行が相当な努力をして自己資本比率を4%に高めよといっています。
そもそもこの時期の銀行の自己資本比率が低かったのは、貸し出しの拡大を政府が内需拡大のために奨励したからで、日銀が貸し出し目標を各銀行に過大に設定していたからです(これも外圧)。
その中で全く真逆の行動を唐突に銀行に強いるのですから、馬鹿さ加減が度を越えています。
日本の株価のピークは1989年でした、その後1990年に突然株価が暴落し、3万8千円から2万2千円に一気に下げます。もしかしてこの目標を達成しようとして銀行が株を売りまくったから暴落したんじゃ、、、、?(これは調べてみようと思います)

その他経営の実態を把握する為、いろいろ報告をいただくことにしております。主な項目をあげますと、一つは管理債権で、これは不良債権等特別の管理を要する債権で、従来は検査等のあとでやっていただいておりますが、どれも金融機関が自主的に常時管理している、その管理状況を見たいと考えております。また、オフバランス取引がいろいろ多様化 しており、その辺の実態把握のための報告の充実を行うこと にしております。それから、国際金融局は対外資産についてリスク・アセット・レシオを導入するわけですが、銀行監督全体の導入につきましては、将来の研究課題であり、そのための基礎デー タを求めることとしております。 流動性比率を補完する指標としてニつのものを導入しま す。一つは市場性資金の調達割合であり、これは万一の場合に逃げ足の早い資金の割合を示すということで流動性リスク に関係する指標となりますが、一方では、市場性資金をとれる銀行というのは、市場における信用力があり、いざというときに市場からの調達力のある銀行といら見方もあります。 この割合については指導を行わずモニターする材料のーつというようにみております。もうーつは、金利変動リスクを示す指標として変動金利運用割合についても報告をいただくことにしております。

この銀行監視強化のコンセプトは1998年の金融ビッグバンのときに実施されたものと全く同じで、その10年以上前からすでに計画されていたことにも驚かされますが、
しかし、一体これのどこが金融の自由化なのでしょう?
この金融庁の通達は、金融業(間接金融)に対する発展的な内容は何一つなく、自己資本比率の導入という規制強化と銀行の監視強化の側面しかないことがわかります。
また、この文書の内容を進める日本にとってのメリットが何一つ語られていないというか、その視点が全くないことに驚かされます。


つまり政府が海外に言われているから、自国産業の投資を抑制しますよと、臆面もなく宣言している文章なのです!これを売国といわずしてなんて言えばいいのか私にはわかりません。
この金融自由化(というより銀行与信抑制政策)は銀行に対する反感という世論も手伝いとなり、1998年に実現され、日本経済はクラッシュしてしまいました。
↓その時の銀行側の言い分はほとんど出てきませんが貴重な証言を見つけましたのでこちらも貼っておきます。

この1998年に就職氷河期の到来、銀行倒産、企業倒産が相次ぎ自殺者が1万人以上跳ね上がります。人殺しです。

https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01624/

結論
日本政府は日本国内・国民より、他国の利益を優先する。


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