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”学校”とは何のための場所か。


・はじめに…


この話は生徒たちがどこか学校生活を惰性で過ごし、課題などの提出が遅れる生徒、学校を休みがちになる生徒、要は勉強以外の楽しいことにだけ没頭し勉学が疎かになる生徒(行事や部活動、アルバイトなど)が目立ち始めたときに、ホームルームと学級通信で伝えたものです。

「学校は何のために通う?」

・勉強するための場所?

 皆さんは“学校”とは何のための場所だと思いますか?(パッと1つ回答を思いついたら読み進めてください。)私の経験上よくある回答は、

よくある生徒の回答

どちらも間違っていないと思います。ただ、“学力”や“社会性”は結果としてついてくるものではないでしょうか?学校とは、

“自身をよく知るための場所”“努力を学ぶ場所”

だと私は思っています。


・自身をよく知る

 様々な人と出会い、様々な情報を自然に得ることで、自分は何が得意なのか(得意なことの中でも何が1番で、苦手なことの中でも何がましなのか。)、どういう人付き合いが向いているのか、様々な価値観を知ることができます。自分一人で「自分はこういう人間だ。これは嫌い、これは好き。こうやって生きる。」と決めつけてはいないですか?それはとても勿体無いことです。ただ、無理に人と話をしなさいという訳ではありません。選択肢のある場所に身を置くことが重要なのです。そういう意味で“自身をよく知るための場所”だと私は思います。”知らない”はとても勿体なく、未来の可能性を狭めてしまいます。

・努力を学ぶ

 皆さん勉強は好きですか?あくまで私の感覚的にですが、勉強自体が好きという人は少ないと思います(笑)「~になりたい!」、「~を知りたい!」という風に、人は何か目標を達成するために勉強をします。つまり、“努力“の一つの形なのです。正直なところ、学校で学ぶ古典や日本・世界の歴史、数学などが皆さんの将来の中で直接的に役立つことはあまりないと思います。ではなぜ役に立つ見込みの少ない勉強するでしょうか?それは、”努力すること“を学ぶためです。「アルバイトは絶対遅刻しない!」、「~は得意だから、~の勉強は集中できる!」、こういう声をちらほら聞きます。それはそうです、なぜなら自分の好きなことのためだからです。アルバイトも自分に合っていそうな業種を選んでいますよね?今はそれで上手くいきますが、皆さんが大人になったとき果たしてそんな状況ばかりでしょうか…?例え皆さんのやりたいことを仕事にして働けたとしても、”やりたいこと”の中でも“やりたくない”ことが必ず出てきます。(私も実際事務作業はあまり好きではないです笑)その時に備えるための練習なのです。大人になって投げ出していては、中々上手く生きていけないのです。(ただ、身に着けるためとは言え、強いられる努力は本当につまらないですよね…。日本の教育の限界を感じます….)

・終わりに…
自身をよく知ること、努力を学ぶこと、この2つを学ぶことはとても大切です。ですが、現在の日本教育では受身的に学校教育を受けています。能動的にこの2つを学ぶことができれば、子どもたちの未来はもっと輝かしいものになっていくのかもしれません。日本教育の発展を祈るばかりです。

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