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高速道路の平面交差ができるまでを、写真で見てみた(堀切JCT-小菅JCT)

首都高には、かなり多くの分岐(JCT)や、ランプ(出入口)が密集して、四方八方に伸びています。

便利といえば便利ですが、走りにくい原因のひとつになっています。

そんな中でも、JCTが隣接することで導線がX交差する場所があり、そのひとつに堀切JCT-小菅JCTがあります。

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写真上が北(東京拘置所右側が6号線・常磐道方面、左側がC2・八王子/東北道方面)、下が南(C2をそのまま南下すると湾岸線方面、丁字を曲がると6号線経由C1方面)です。

したがって、常磐道からC1を目指す導線と、東北道方面から湾岸線へ向かう導線が、平面上で交差します。首都高速も、その複雑さを認識しており「JCT・複雑なルート案内」という項目で、詳細図を公開しています。

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そんな道路はいつどのようにしてできたのでしょうか。歴史と共に写真で調べていきたいと思います。

まず、この路線は6号線が延伸される形で1982年に完成します。

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写真は、国土地理院が公開する地図で、1979年から1983年のものということです。まだ工事中であることから、1982年以前であることが伺えますが、最初は6号線の延伸として、C1⇔常磐道を6号線で連絡するために作られたようです。

その後、現在はC2の一部として利用される区間が作られます。堀切JCTを中心に、千住新橋-四ツ木を結び、環状線方面と丁字路の形が完成します。

その後、湾岸線が全線開通した1984年の翌年のこと、1985年に6号線が三郷へとつながり、常磐線と接続することになります。

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写真は1984年から1986年のものということですが、小菅JCTも完成していることから、1965年以降のものではないかと考えられます。

その後1987年に、四ツ木-葛西JCT(湾岸線接続/C2東区間)、千住新橋-川口JCT(東北道接続/C2東区間およびS1)が完成し、首都高の事故多発地域、交通集中ポイントとなり度々大きな渋滞を発生させるポイントとなりました。

考えれば、東北道の需要と、常磐道の需要がこの区間で集中し、環状線方面、湾岸線方面の需要と平面交差することになるので、渋滞は必然ともいえるでしょう。

車の話だけではありませんが、電車においても平面交差はダイヤを乱す原因にもなっています。関東では乗り入れの多い湘南新宿ラインなど、平面交差が西大井駅(東京都)付近に1箇所あるだけで、埼玉方面のいかにも関係なさそうな場所の遅延が、100km以上離れた他の地域の通勤に影響を及ぼします。

電車は、まだ整理されている分、最小限に遅延を抑え、事故を起こさないようにコントロールされます。

しかしながら、こういった連続するJCTは、管制官がいないので、自身の判断で行動しなければなりません。教習所で習うような単純な危険予測では、不十分で、ルールを守らない運転に対しての危険予測、自身がどういう経路を通過するかの自主経路など、さまざまな考えを巡らせ、同時に周囲の状況を認知し、判断し、行動しなければなりません。

これは、免許取り立ての人に一気にできる芸当ではないでしょう。

1986年当時は、カーナビは高級車でもついているかついていないか分かれる時代で、紙地図が主体でした。自動ブレーキも無ければ、後ろの車を発見するセンサーもありません。

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※1986年当時のアルトワークスと、現行アルトワークスの比較

当時免許を取った人は、それが当たり前の時代です。今の車両がいかに恵まれた贅沢な仕様になっているかがわかります。蛇腹折りのゴム製のシフトブーツや、メーター周りにボタンを沢山レイアウトするメカメカしさが何とも言えない昭和感を演出しています。

余談ですが、メーター配色やデザインの雰囲気が似てることに初めて気づきました。

もともと私は理系の勉強ばかり学生時代にしていて、歴史をはじめとする文系科目を嫌って過ごしてきましたが、今思えばすごく面白くて、社会に出て使う機会も多く感じるようになりました。

面白さというのはこういう事か、というふうに関心することばかりですが、ずっと理系を嫌っていた人が、逆に今思うと面白いじゃん!と思うことがあるかもしれません。

世の中にでたら、文系的な思考や、理系的なロジックは両方使います。食事もそうですが、あまり好き嫌いせずできるような、興味や趣味を持つと見える世界が変わるかもしれません。

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