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敗戦の日

すべての者は暴力におびえ
すべての者は死をおそれる
すべての生きものにとって生命は愛しい

己が身にひきくらべて
殺してはならぬ
殺さしめてはならぬ

        シャカ

暑い「敗戦の日」となった。
終戦とはいいたくない。
日本は侵略戦争に負けた。
そして
二度と戦争を起こさない
軍隊を解体し
軍備を持たない。
無条件降伏をした。

平和でなにが悪い?

そんなに勇ましく
戦いたいのか?
人を殺したいのか?
無差別テロどころじゃないぞ。

第二次世界大戦下では
まだ、自分で殺したという生々しさを思い知らされたようだ。

最初に軍隊に上がり戦場でやらされた訓練が、鉄砲で人を撃つのではなくて銃剣で刺し殺すことだったという、中国の農民を。
子どもも殺した、妊婦も殺した、ありとあらゆる人を目の前にいたら殺したという。
それを「やれやれ!」と囃し立てたのは、そこにいる仲間でも上官でも、日本軍のお偉いさんでも、政府でもなく、日本国民だ。
われわれだ。

いま、自衛隊員が戦場へ赴き、誰かを殺したとしたら、それは我々が殺れと命令したことになるんだ。
殺人教唆だ。

自分の手は汚さずに。

戦場では強姦もあたりまえにあった。
何人もの日本人兵士に輪姦された被害者がくさるほどいる。

それも我々が犯れと言っているのと同じだ。

そんな非情なことが当たり前に起き
被害者になるのは弱者だ。
実行させられるのは戦場へ駆り出される人々だ。

やれやれいう我々は
エアコン効いた部屋でヘラヘラしている。

上に書いたことは事実。
この映画を観れば、もっと酷いことが分かるし、戦争に駆り出された人間がどれだけ精神的に追い込まれるかも分かる。

そしていま
戦争は、遠く離れたところからミサイル一発で終わらせる時代になってきた。
落とされたところに、子どもが何人いようと、妊婦が何人いようと、おかまい無しに殺し、その人々が死んでもなんの感情を抱かずにいられる、そんな時代だ。

そんなのがかっこいいのか?

敗戦の日。

75年前、負けたんだ。

そして
日本は非戦平和を選んだ。
武器を捨てて、全面降伏し、争いのない社会を作ることを選んだ。
でもなんだかんだ理由をつけて武器を持った。
争いは経済の中ではじめた。
今では、弱者同士がネットの中で罵り合う。

いつでも高みの見物をしているのは
為政者と一部の企業家たちだ。

騙される必要はない。

戦争はかっこ悪いよ。
弱いものを殺して犯して強がるだけのこと。

で、
一生、なにをしてきたかは家族にも言えない。
たとえ勝ったともしてもだ。

「父ちゃんは、全部で200人は殺したぞ!そのうち子どもは50人。お腹に子供のいる女は30人。動けない寝たきりの病人や年寄は50人。あとはマシンガンで撃ちまくったからどんなのをどれだけ殺ったかわからん!どうだ凄いだろ!!!」

なんて言えるわけもない。

「父ちゃんの押したボタンで飛んでったミサイルで1万人以上殺したんだぞ!」

と誇れるか?

「そこら中の街で、好みの女がいたら犯しまくったもんだ」

なんて昔話ができるか?

そんなことが当たり前に起きるもが戦争だ。

してはならない。

させてはならない。

どうやったら?

軍備をなくしても、人間は殺すことをやめられない。
新たな何かで他者を殺すことをする。
他者を貶め、従属させ、自分を持ち上げることを考える。

どうやったら?

諦めずに一緒に悩んでいくことが必要だ。

戦争犠牲者に申し訳がないから、なんて他人事ではなく、
彼らの罪も悲しみも苦しみも怒りも、全て自分のものであると受け止めていくことが大事だ。

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