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ASDグレーゾーンだったと気づいて①~話せないのは特性のため。理解出来ない言葉を聞いた時だったから~



勤務日が増えて仕事をする中で、以前よりも具体的に、私には、出来る事と、頑張っても努力しても出来ない事や、わからない事がある事に気づきました。
過去の出来事と、今の職場に入ってから今までに経験した事と、最近の日常に起きている事を冷静に捉える事が出来て、気づきました。
私はASDの特性を持っている、という事でした。
ASD。自閉スペクトラム症。病気ではなく、持って生まれた脳の機能の特性があります。思考や行動に特性が現れます。
自分を知る事で、私が出来ない物事の中には、生まれ持った特性によるものがあると、はっきり自覚出来て、腑に落ちていきました。点と点が繋がって、線になっていきました。

特性のほどあいは色々でしょうし、個人差があると思いますが、
私の場合は、
・声だけでの指示は覚えたと思ってもその後忘れやすい、という事。
・感情的な大きな声や威圧的に話されると理解出来ない事。
・マルチタスクが苦手だという事。
1番実感した事は、
・曖昧な表現で伝えられた言葉を(内容関係なく)理解出来ない、という事と、
・相手の口から発せられた言葉がすべてだと受け取る。何でも言葉通りの意味に受け取る、という事でした。


ずっと、私は、「人とじょうずに話せない」と思っていましたが、
それは、自然に会話をしている時、やりとりがストレートな時は、相手の話す言葉、それに対する私の返答が頭の中に文字や映像でスムーズに浮かび、言葉に出来るのに対して、
やりとりにエラーが生じる時は、
相手の言葉が曖昧だった時や、言葉の裏に意図が含まれるような時でした。
曖昧な言葉は理解出来ず、言葉の裏の意図はどういうことなのか、相手の言った事がわからない為、聞いた直後、何も言えない。その次の言葉が出ない。
頭の中は思考が停止して、何も思い浮かばないまま考えてしまっているため、沈黙してしまう。そういう様子になりました。
私には、理解出来ない言葉を聞いた時、何も話す事が出来なかったから、だから、人とじょうずに話せない、と感じていたんだ...と思いました。
学校でも、職場でも、思えば今までの人間関係の中で1番辛く感じてきた事でした。


HSP気質の繊細さ、
生育環境の影響からのアダルトチルドレンの特性により、まわりを観察して過剰適応する力や、相手の気持ちをある程度察したり共感する部分は育っていた。そこで生きる為に必要だったから身に着け、育てた自分。
それなのに、ASDの特性部分はどうしても(どう考え思考しても)わからない、理解が出来ない部分。
この、アンバランスさで苦しかった。
ASDの脳の機能の特性を合わせ持っている事を自覚出来なくて、他者とのコミニュケーション時の訳のわからないつまずきになり、生きづらさへの繋がりになっていた事にずっと気づかなかった。
単純な自分と、時々こだわりが強い部分が混在する複雑な自分。
すべてではないにせよ、やっと、理由がわかったと、またひとつ、自分を知る事が出来たと思いました。

私が子供の頃は、どうだったんだろう...と純粋に疑問に思いました。
思い出すと、私は小学校高学年の頃に友人とのコミニュケーションに悩んだ事がありました。
そして、中学生の頃の担任の先生の、私への気遣いの言葉や対応を思い出し、気になりました。
自分の記憶では足りない情報を知りたいと思い、母親に聞いてみたいと思いました。数日間躊躇いましたが、以前よりは迷う事なく、母親に連絡を入れました。
幼少期、小学生から中学生時代に、学校の先生から、私は発達障害やその傾向があるという指摘を受けた事はなかったのだろうか?
どんな答えでも、今の私は冷静に受け入れられるから、正直に教えてほしい、と言いました。


母親からは、どの年代の学校の先生、医療関係者からもそういう指摘を受けたことはなかったと。私は落ち着いていて、しっかりした、何でもよく考えて行動する子供だった、という返事でした。
私の事はそういうふうに見ていてくれた事が知れました。
ただ、母親が見ていたのは、頑張って、環境状況に適応していた私の姿だった気がします。
つまり、コミニュケーションの困難さを感じても、当時、それが自分が持つ特性による為と気づいていないから、自覚もなく、単に自分の努力が足らないからだと捉えて、不足を補おうと自分なりに努力をしていたと思われる事。
まわりから見て目立つ程には困る事もなく、診察や診断には到らないレベルだったのだろうと、グレーゾーンなのだろうと自覚の域ですがそう思いました。
今になって、私は幼い頃からまたそれ以降、生まれつきの特性を抱えて生きてきて、それが合わさり合って、積み重なって生きづらさに繋がっていたのかもしれないと思いました。
生きづらさを感じる方は、私と同じではなくても、もしかしたら、それぞれ、複数の要因が重なったり、絡みあっているかもしれないという点は、共通する部分があるのかもしれない...と思いました。


自分の事は、自分が1番よくわかっている、とずっとそう思っていましたが、灯台もと暗しと言うように、実は、自分の事は、自分が1番わからないのかもしれません。
灯台の真下は見えにくいですし、灯台の内側は更に見えにくいのかもしれません。


大人になってからも、ASDの特性に気づかず、ずっと必死に努力して、カバーしていたように思います。
あの頃、頑張り過ぎがデフォルトで、無理をし続けていたから、日々、心身が疲れてしまっていたんだと思いました。
一生懸命だったけれど、気づいていなかったので、努力が、少し違う方向へ向いてしまっていたのかな...と思いました。
心を病み、頑張る事が出来なくなって、その結果力を抜いて、自然体の自分で生きるようになった事で、本当の自分の姿に戻っていき、ASDグレー特性を持っている事に気づけました。
私は、ホッとしました。持っている特性がわかったら、適切に対応したらいいと思いました。



努力する事は、とても素晴らしい事だと思います。
無駄な事なんてひとつもなくて、その時必要だと思う努力をしてきた今までがあったから、今があると思います。
それはすごい事です。出来ない事を出来るようにしようと、出来るようになろうと、本当によく頑張ってきた...と思いました。
自分で自分に声をかけて労いました。
そしてもう、今は、無理をしての努力のし過ぎはやめて、適正な努力、自然体で努力する私でいます。
出来ない事は出来ない私でいいと思えて、受け入れられたと思います。
そして、そうしっかり深く受け入れる為に、忘れていた視点を、5月中、取りに戻っていました。




②に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。






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