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[報われない]過小評価され過ぎなアーティストたち

過小評価されているとされるアーティストは、主に二パターンある。一つはマス(一般層)に知られておらず、音楽好きは大抵知っている系のもの。アンディイモリとかカネコアヤノとか、お笑いだったらランジャタイとか。もう一つは、十分売れているが評価が難しいアーティストだ。マイケルジャクソンやクイーンは人気こそ絶大だが、ロックの方面の評論家からはあまり芳しくない傾向にある。

今回取り上げるのはこれらのアーティストではない。なぜならこの二つは、マス層またはマニア層の片方で十分な評価を得ているからだ。今回はそのどちらにも無視されている、どう考えてもクオリティと(日本での)評価が釣り合っていない(または当時売れていたが現在完全に忘れ去られている)過小評価気味アーティストを紹介する。

KAT-TUN

3人体制となった現在のKAT-TUNではない。赤西仁がいた6人体制のKATーTUNだ。最近は脱退した3人の諸々のスキャンダルのせいでちょっと、まぁ、アレな感じだが。。。

2006年に満を辞してREAL FACEでデビューしてすぐに、KAT-TUNはオリコンシングル、アルバム両方で年間1位という快挙を成し遂げた。そのため、”過小評価”は”過大評価”なのでは?と思うかもしれない。しかしだ。

断言しよう。この頃のKAT-TUNは少なくとも私見では”歴史上最強”のアイドルである。昔人気だったとかそんな言葉では全く済まないのだ。アイドルだからと言って当時の奴らを知らずに死ぬのは明らか人生損してる。

あんまり比較するのは良くないが、BTSの3倍カッコいい。と言ったら少し凄さが伝わるだろうか?

赤西(黒の帽子)が本当にカッコいい。間違いなくキムタクと並びジャニーズ最高傑作の一人だ。信じられないことに、この動画のメンバーの年齢は21、2歳である。

大体アイドルというのは異性の熱狂的ファンによって成り立つものだが、彼らは何より男に支持されていた。今で言うローランド的な立ち位置だったのだ。

彼らが今のアイドルグループと決定的に違うのは、ダンスが全く揃っていないことだ。彼らの最大の魅力は、彼ら自身の強力な個性に他ならない。ハイトーンボイスのカリスマ赤西、圧倒的正統派主人公の亀梨のダブルエースを軸に、ガチのラッパー田中、真面目系ボイパ担当中丸と音楽性の高いメンバーが脇を固める鉄壁の布陣。カッコいい奴らがカッコいい曲を歌う。振り付けが揃ってなくても、むしろそれがカッコいいという無双状態。

それでも彼らはアイドルの枠組みに押し込められており、(赤西がライブで中指突き立てる程度で済んでいた)芸能界を席巻したにも関わらず、個人的にはむしろ不完全燃焼に終わっていた。仮に彼らにもっと裁量を与えていたならば、、恐ろしいグループになったはずだ。

正直最近のジャニーズは、事務所の力を盾にテレビの仕事を奪い、他の共演者に気を遣わせるだけでウザくて仕方ないが、昔はジャニーズにもこんなガチの奴らがいたことを忘れないでほしい。

R.E.M.

みのミュージックっていう音楽ユーチューバーさんが、好きな洋楽アーティストランキングをやっていたのだが..


まさかのR.E.M.ランク外!!(そしてWeezerが40位だと!?)

まずこのチャンネルの視聴者は、20、30代の男性がメインであり、90年代以降のロックが好きな傾向がある。

で、このアーティスト、日本の今時の音楽好きが好むような、90年以降のロック的なコンテンポラリー(現代的)でエナジー溢れる空気感を持っていない。

世界的には十分すぎるほど評価されている。Spotifyの月間リスナーも1500万人(藤井風か1000万ぐらい)を越え全アーティスト中で300位台。彼らの代表曲であるLosing my religionはリリースから30年経った現在でもyoutube上で10億回以上再生されている。

評論家からの支持も非常に厚い。83年にローリングストーン誌が発表したベストアルバムでは、彼らのファーストアルバムが一位になっている。これの何がスゴイかっていうと、あのマイケルジャクソンのスリラーを抑えての一位だということだ。

しかし、日本では全く黙殺されている。いやホントに、音楽好きの中でも彼らが議題に上がることはほとんどない。90年代オルタナを語る際に多少の言及がなされる程度だ。

リリース当時、この曲は米国ビルボード4位。彼らはオルタナティブロックの代表的存在となったのだが...そんなことを吹き飛ばすぐらいの大事件がロックシーンに巻き起こる。

そう。ニルヴァーナだ。

91年、92年のロックシーンは完全に彼らの独壇場だった。このSmells like teen spiritは全世界のロックファンのアンセムとなり、これを冒頭に据えたアルバムNevermindはロックの歴史上10本の指に入るほどの名盤だ。彼らによってR.E.M.は完全に押しやられたのである。

に、してもだ。なぜ彼らはそこまで日本のロックファンから黙殺されているのか?それはおそらく、日本人が”オルタナティブロック”といったものが一体なんだったのかを理解していないからだ。

オルタナティブロックとは、80年代に流行した享楽的なポップミュージックに抗う形で生まれたロックの総称である

という理解をしている人が多いのではないだろうか?もちろんこれは正しい。しかし僕が言っているのはどちらかというと、感覚的なものである。

彼らは一体何がしたかったのか?

彼らの音楽(90年代ロック全般)の本質は何か?それは、

永遠に今ここで生きなければならないという絶望との戦い

である。


Chage and aska

まず、時代錯誤である。景気が良くない今の日本でチャゲアスを聴く気が起きないのはわかる。そして飛鳥自身の責任ももちろんある。

バブル崩壊以前以後(厳密に言えばオウム以前以後というべき。93、94年はまだ浮かれた時代だった)といった区分が使われるように、個人的に邦楽の歴史はミスチル以前と以後に分けることができると思う。

チャゲアスはまさしく”まだ日本が元気だった頃”の音楽であり、今の時代の波から根本的に外れた時代錯誤のアーティストだ。

しかしだ、それでも飛鳥が邦楽界の至宝であるという事実は全く揺るがない。ドラマチックなメロディ、人間の心理を鋭く抉る詩、そしてあの天性の声、全てが完璧だ。

正直、平成生まれの僕ら世代は、彼のことを時代錯誤の残念な薬物中毒者としか思っていないかもしれない。そんな人は彼の声を聴いてほしい。僕の言いたいことがわかるはずだ。


ラルク

ラルクと言ってもハニーの頃のみんなが知っているラルクではない。94年から96年、ドラマーのsakuraが覚醒剤で逮捕され活動休止を余儀なくされる前のラルクだ。

知らない人が多いのだが、ラルクの真の全盛期はこの頃なのだ。特に初期の集大成となった96年のラルクは、芸術性を極めた邦楽の奇跡と言ってもいいほどの完成度だ。

ただ、売れなかったのも納得がいく。当時リリースされた音源、とにかく音が悪い。技術的な問題もあろうが、アンティーク路線がすぎるのだ。

だから大衆に受けなかったのは仕方ない部分がある。問題は、音楽好きの中でも、彼らの本当の魅力が無視され、V系の烙印を押され食わず嫌いされていることだ。

今回はとりあえずこんなとこ。他にも取り上げて欲しいアーティストがいたら是非とも。

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