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小説 ちんちん短歌 第19話『無能のための短歌教室』

「ハァ、水は飲ますな、オイ川の水をョ馬にィ」
「水は寒くて、馬の骨もサ、カンカチボウよォ」
「ヤンマー、ヤンマー、ホーリンリン、リンリン三千里」

 月が一段と大きくなるころだった。秋になり、川の水が人を殺す冷たさになってきた。
 ちんちん丸出しの男たちは、ウタを歌いながら川渡しを続けている。
 彼らを監督している太夫も、ウタを歌うのをやめろ、とは言わない。歌っていないと死ぬからだ、寒くて。

 夏の暑い盛りを過ぎ、秋の風が吹いても、オオノウラのオヤカタは男たちに服を返さなかった。服を返すと、彼らは逃散してしまうから。ちんちん丸出しだと逃げるのに困る。少なくとも人里には帰れない。それだけ服は貴重品だった。布切れ一枚でも、税になり、それは黄金や稲と変らない価値がある。
 ここで川渡しの仕事さえすれば、飯にはありつける。
 なので男たちは逃げようともせず、働きながら大きく体を動かし、寄せ合って体を温め合い、ウタを歌いながら作業をした。ミヤコガタの岸からエビスガタの岸へ。水に浸かりながらの物を運ぶ仕事は、歌ってないと寒くて死ぬ。歌があると死なない。
 それでも、日に日に風が鋭さを増してくると、一人。小柄で、痩せている者が倒れた。動けなくなった。ちんちん丸出しの男たち、太夫にせかされて、動かなくなった者を冷たい川に投げた。
 これで、正気を取り戻し、息を吹き返す者もいた。だが、そのまま流される者もいる。その男はそうだった。死んだのだった。
 ちんちん丸出しの男たち、元仲間を助ける事もなく、ただじっと見つめ、それを見送る。助ける力はなかった。全員無能で、ばかで、おろかで、何もできないからだ。建もそうだった。元仲間に、元生者に、何もできない。
 太夫が棒で威圧する。葬送のやり方を持たないちんちん丸出しの男たち、気持ちの整理もつかないまま、仕事に戻る。

「カンサクぁ、声出すよォ、がぁーゆうーせん」
「男子はァ、まさにィ、トンガッセン」
「ヤンマー、ヤンマー、ホーリンリン、リンリン三千里」

 意味の分からない歌詞だと建は思う。
 皆が合唱しているから、詳しい歌詞は不明瞭で分からない。なんとなく「馬も死ぬ寒さだけど頑張ろう」的なストーリーなのかもと思いながら、作業に参加する。
 建は男たちの中でも若干背が低く、そして病でしおれていたので、脂肪のない体だった。水辺に吹く秋風が骨の芯まで染みる。
 だが、ムシオーー例の、セックスさせてくれる女の話ばかりする大男が、なんとなく建の風よけになってくれたり、凍える手に息を揉み、息を吹きかけてくれるようになっていた。
 おかげで建は死ななかった。代わりに別の男がまた死んだ。小柄で、痩せていて、無能だった。足に障害があったのか歩き方がぎこちない男。足手まといで仕事も2往復くらいしかできず、気も弱く、飯を貰い損ねても声を上げる事が出来ない。夏、どこかの飢饉の村から逃散してきたらしい、ネズミのようにびくびくしていた男。
 それが、今日死んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「お前の言うウタを歌えば、本当にタマナとセックスできるのか?」
 もう何日も同じ質問をムシオはする。
「できるよ」
「どういうウタなんだ」
「だから、それを君が作るんだよ」
 今日は雨だ。雷雨だ。激しい雨が降り、一段と寒さが厳しい。
 川渡し男たちの、洞穴のような土壁と笹の小屋に、30人ほど、ぎゅうぎゅうにすし詰めになり、皆、体と体をくっつけ合って寝ている。中央に囲炉裏があるが、火種は心細く、その周囲には古参で図々しく、しかし仕事はたくさんする肉壁のような男たちが独占している。
 ムシオと建は、その外れたところにいる。ムシオは建の凍える足の指を揉んであげている。ムシオの足の指も、誰かが揉んであげている。助けあいだ。その輪に入れなければ死ぬ。布団などない。莚もない。枯れ葉を敷き詰めているが、地面に体温が吸われていくのがわかる。掛ける布一枚もない中で、男たちはお互いを肉布団として暖を取り合っている。
「だから、ムシオの話を、5音と7音で、繰り返すんだ」
「その、5と7がわからねえんだよ」
「指を折って数えればいいよ」
「わからねえ。話を、声を、5にするだの、7にするだのが、わからねえよ……」
 ムシオは、自分の言葉が「1音1音の組み合わせである」という事がわからない。
「だってよぉう、声ってよぉう、分けられないだろおう」
 声が分けられない、というのは、建にとっても新鮮な心地がした。たしかにそうかもしれない。本当はそうなのかも。だが、建はそんな素朴さを無視して、
「だから、タマナは3音。わかるか。タ、マ、ナ、3音、分かるか?」
「タマナはタマナだろおうよう」
 ムシオはタマナと口にするたびに、顔を赤らめる。そしてちんちんが立つ。ムシオのちんちんは赤く、毛の中から飛び出てくるように立つ。
 ムシオの近くに居た10歳くらいの子供。寒さに歯を鳴らしていたが、ムシオのちんちんを見、凍える手をムシオのちんちんに触れ、暖を取る。触られて、ムシオ、子供に目をやるが、気にせず建に向く。
「口に出してみるんだよ。タ、マ、ナ」
「タァマナァ……」
「だから、タ、で止めるんだって」
「タでとめたら、タマナじゃなくなるだろうがよ」
「今は音の話をしてるんだって」

 ムシオはいままで、教育を受けたことがない。それはこの川渡しの男たちも8割がたはそう。生まれて、気がつけば腹が減り、気がつけば周囲には何もなく、耕す口分田もなく、父に殴られ、母に捨てられ、土を噛み、水を飲み、森に分け入って虫を食い、川に分け入って魚を食い、鳥を食い、人を殺し、穀物を奪い、奪われ、服を取られ、働かされ、ずっと働かされ、働かされ、ずっと何も変わらず、働かされて生きていた。
 だから、暴力を伴わず何かを教わるという事が、ムシオにとって、はじめての経験だった。建は間違えても、ムシオをぶったりしない。ムシオが分かろうとするたび、何度でも、何度でも、同じ説明をしてくれる。
 ムシオは人生で初めて、教わることで何かが変わるかもしれない予感がしていた。
「ほんとに、俺の話を、5と7にして、うたえば、本当にタマナとセックスできるんだな?」
 ムシオは念を押す。ちんちんに血が通う。ムシオのちんちんを触る子供が、強く握りしめる。
「ああ、できるよ」
 嘘である。そんなことはあるはずがない。そう思う一方、しかし「うたはあめつちを動かす」。その片言を、建はどこかで信じている。
「わからなくてもいいから、とにかくやってみな。話してみな。タマナの話。5音と7音にして……」
 ムシオは天を仰いで、声を出す。
「タ、マ、ナ、は……」
「それじゃ4だ」
「4……」
「『は』って入れると、4だ。タマナで3。助詞を入れて1。ムシオ、定型を守るんだ。助詞は省かずに」
 こんなこと言っても分からないだろうなと思いながら、建。足を揉んでくれているムシオの手をとり、トトトトト、トトトトトトト、トトトトト……とリズムを刻んでやる。5・7・5のリズム。
「定型を守るんだ。余白に甘えない……音を意識して……」
 建は知ったように短歌について教える。しかし、建の覚えている歌の中でも、古いものはこの定型から悠々と外れていた気もする。「こもよ、みこもち、ふくしもよ、みぶくしもち」 ……これも確かに歌だった。定型ってなんなんだ。なぜ、5音と7音なのか。

 建はたしかにアフリカで、あのリズムの中で、あるタイミング(2の連続の3回繰り返しの中で1休符――「5」)で死が、つまり空白が生まれた時、なにかしっくりと来るものがあった。ただ、そのしっくりが、説明がつかない。説明がつかないものを、さも、あるものとして語るのは、信があることなのか。学ばざるを伝うるような行為ではないか。
 
 そもそも、建はいままで自分で短歌を作った事がない。
 作ろうとしたこともない。自分で作ると、短歌の記憶の邪魔になる、と、先輩短歌奴隷から聞いた。建は短歌奴隷だ。奴隷は短歌を作らない。ただ、他人の作った短歌を記憶し、それを主君の前で披露する。述べて作らず。ただ短歌を聞き、それを声に出し、体に出すだけ。それが建の仕事だった。それが天命だと、諦めていた。
 そんな俺が、短歌の、歌の、何を教えることがあるのか。

「タマナいた、スヱの郡(こほり)に、タマナ、いた」
 建、ムシオを見る。
 ムシオも、建を見る。
「……これは歌か? タンカか?」
「……まだ。上の句だけだけど……」
「カミノク?」
「7、7が足りない」
「でも、俺は今、う、うたったのか、5、7、……5を」
「ああ。ムシオ、うたえたな。上の句を」
 いまだに音というものの理解に怪しいムシオにしてみれば、大した成長だと思った。
「この調子で、7、7を付けるんだよ」
 ムシオは顔を赤らめながら、指を折る。
 ムシオは興奮していた。
「えと……タ、マ、ナ、い、た、スヱのこおりにタマナいた……家にいくとセックス……セックス……セックスしたいセックス、セックス、セックス……ちんちん……おれのちんちん……タマナ、おっぱい、おっぱいおおきい、おっぱい? ん、何文字だ? なあ、「おっぱい」って何文字だ?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌日も小雨が降っていたが、太夫は男たちをたたき起こした。
「無能どもが」
 太夫は仕事をさせた。両岸には、雨で足止めされていた税を納める旅人たちがぼんやりと立っている。その他に、貴族が乗っているらしい輿もきていた。雅な意匠がこらされた輿で、そうとうな貴人の、それも女だろう。それらを運ぶよう、太夫は申しつける。
「お前ら無能は働かないで申し訳ないと思わないのか」

 風が吹くたび、ちんちん丸出しの全裸の男たちは、凍える。旅人たちの荷物を頭に載せる建。水は、腰のところまであり、ちんちんが冷える。
 男たちが、寒さをしのがんと、声を出して川を渡る。

「ハァ、水は飲ますな、オイ川の水よぉ馬にィ……」

 建の横に、旅人を肩車したムシオが寄ってくる。
「なあ、建……。皆の歌ってるうたは、ウタじゃないのか」
「……ああ。57577じゃないね」
「じゃ、こんなのうたってもだめだな。タンカじゃないとな。あいつらはばかだな。タンカじゃないのにうたってな」
 ムシオが笑う。建も少し笑う。
「下の句はできた? 7、7は」
「当てはめたんだけどよおう。足んないんだよお。タマナがおっぱい大きいこととか、タマナが、きらきらし、きらきらしている事とか、家にさえ行けば、セックスさせてくれることとか、きらきらしていることとか……」
「本当に、大事な事だけを歌えばいいんだ」
「全部大事だあ!」
「ムシオ、目を閉じて、よく見ろ。……本当に大事な事だけ、歌にすればいいんだよ」
「……目を閉じたら見えねえだろうよう」
「うたは聞こえるよ」
 建はそう答えながら、これは、誰に教わった事だろう、と思った。
 目を閉じて、よく見ろ、だなんて、そんな気の利いた教え。主君の家持だったか。先輩の短歌奴隷だったか。それとも、歌を詠み、歌を知った者は、誰もがそう思うものだったか。
「建よおう……あとでよおう、建よおう、お前の知ってる歌、聴かせてくれよおう」
 ムシオはそういうと、ぶつぶつ言いながら、さっさと建を追い越して、対岸に旅人を送り届ける。

・・・・・・・・・・・・・・・・
 火が焚かれていた。
 太夫は器用に火を起こした。防人の経験が生きたのだろう。雨の中でも火を起こせるのは、彼の能力だった。
 裸の川渡したちは震えながら火の回りに集まる。それを、太夫が目ざとく見つけては棒を振るい、仕事せよと追い立てる。
 ムシオは既に4往復し、火の近くに座る。そして、指を折り、言葉を発している。
 建もようやく川から出、火に当たることを許され、ムシオの近くに座る。
 ムシオは集中し、ぶつぶつと音を発している。
「おっ、ぱ、い、お、お、き、い……違う。お、っ、ぱ、い、お、お、き、な、タ、マ、ナ、タ、マ、ナ……き、ら、き、ら、し、タ、マ、ナ……」
 陽が少しづつ暮れていく。
 川岸を見れば、雅な輿がミヤコガタから神輿のように担がれ、こちらに渡ってくる。受け渡しに、エミシガタの男たちも数名岸に立つ。
 建とムシオだけが、火の近くに居た。太夫がこちらをにらみつけているが、ムシオが今日、何往復も仕事したのを見ていたので、何も言わない。
 ふと、建。
 ムシオの火の対側に廻った。
 ムシオが、火の向こう側からこちらを見た。
 建、ちんちん丸出しのまま蹲踞し、ムシオに正対する。
 息を吐く。そして、吸い、

「ともしびの かげにかがよう(燈之 陰尓蚊蛾欲布)」

 歌を吐く。
 歌により、場が、ムシオと、火と、建だけの空間になる。
 ムシオは、目を見開く。

「うつせみの (虚蝉之)
 
 蹲踞から手を揺らめかせ、少しづつ体を浮き上がらせる。
 アフリカで見た、蹲踞から始まったあの踊りを、建の中に取り入れて、その踊りの影になるよう――影と言っても、現世で言う影ではなく、陰陽の陰。アフリカの雨ごいの踊りの、対になるような、陰になるような、縦ではなく、横に、体の揺らぎを意識しつつ、体を揺らして「燈火の」「影にかがよふ」を表す。

 それを、「うつせみの」で翻す。

「いもがえまいし (妹蛾咲状思)」

 残像で、「妹が笑まひし」を出現させた。
 好きな女の幻影――そのシニフィエに、かすかに、山間の村に残したキイコの裸を込めた。伝わるだろうか。キイコを、後ろから犯した、その背中の曲がり方、揺らめき方、犯されながら体をひねりこちらに顔を向け、笑ったこと。美しい女だった。今は残像でしか会えない。

「――おもかげにみゆ(面影尓所見)」

 そしてその残像の傍らに立ち、「面影に見ゆ」と、声を、言葉を、その場と、その火の影の上に、ふっ、と、置いた。

 燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ。

 ――歌が終わると、場が元に戻った。あめつちが元に戻り、寒さが世界に戻る。
 ひさびさに、歌った。建。喉が本調子であろうがなかろうが、出た。声に釣られて体も、動いた。
 悪くないと思った。今まで練習したものに、即興的に、あのアフリカの踊りで受けた印象を入れた。何か、掴んだものがある。もっと、繰り返したい、この歌を、練習したい、と思った、建。
 建はぼんやりと火のそばにぼんやりと立っている。座ったまま、ムシオは建をただ見ていた。

「それが、うた、なのか。……「たんか」なのか?」

 ムシオが問う。
 わからない。だが、建はそう信じている。
「旅をしていたんだ、こういう歌を探して……」
 ムシオはそのまま火を見、地面を見、その後、天を仰いだ。
「ぜんぜんちがう」
「何が」
「おれがうただと思っていたものは、ぜんぜん違う!」
 そんなことはないと思う。というか、ムシオはまだ作ってもない。
 それに、建もそうだ。ただ短歌を聞いて、短歌を知って、歌を何度も口にして、ふりを付けて練習して、今、出しただけだ。
 ムシオは天を仰いだまま。その目に、雨が落ちていく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 雅な輿が、建たちのいるエミシガタに着いた。
 輿に付随する荷物もすべて運び終え、輿に付いている仲人の老人がオヤカタと交渉し、路銀を渡している。無文銀銭。――銘もなく随分古い貨幣、というか、オヤカタは見たことがないコインを見て、苦笑している。仲人が必死に「これは価値のあるものだ」「新羅から来た人が貴人に献上したものだ」と説得するが、オヤカタは受け取っていい物か、価値を測りかねている。交渉は長くなりそうだ。

 日も暮れ、川渡し男たちはねぐらに帰ろうとしていると、太夫が並べと言い出す。いい加減寒くて凍えてかなわないが、(あの燃料をケチる)太夫がふたたび火を炊くと、その火の近くに整列させた。
 輿から、嬌声がきこえる。女の声だ。あの小さな輿に、どうやら年の若い女性が二人ほど詰められている。
「ちゃんと並べい」
 太夫が棒を地にうち、火の近くに並べさせる。
 寒いので火を囲もうとするが、太夫が無理やり引きはがし、輿に向けて男たちを見えるように整列させた。輿を担当しているらしい仲人が、太夫に耳打ちする。太夫は男たちに向き直る。

「もっとちんちんが見えるように並べ」
「ちんちんを手で隠すな」
「あの輿に、ちんちんをもっとよく見えるよう、並ぶのだ」

 男たち、訳が分からないまま、手を後ろ手に組まされ、並ばされる。
 輿からは、キャッキャッキャと声が上がる。
 輿から、男たちのちんちんを眺めているのだ。貴族の娘か何かなのだろう。
 笑い合うような声。
 心の底から、馬鹿にするような声。
 男たちは、寒さと、いつ終わるのかわからないこの状況に苛立ち、輿をにらみつける。
 仲人が太夫に何か告げると、太夫は男たちに向き、

「輿の中におわす方がいうには……お前たちのちんちんは豆のようだ、と」 
 輿の中から、さらに笑い声。
「お前たちのちんちんは、一度も使われたことがないのか、と」
 さらに笑い声。
「ばかのようなちんちんだと。ばかちんちんだと。」
 さらに激しい笑い声。
「そんなちんちんではこの世では何もできないだろうと。去ねと。汚しと。お前たちの住居や食事に糞尿をまき散らし、そのちんちんにも糞尿をひっかけたいと。」
 もはや笑い声なのか、分からないほどの奇妙な声。
 太夫が、無表情で男たちに告げる。
「頭をさげよ」
 太夫が、仲人に言われたままを男たちに向けて指示する。
 だが、だれも頭をさげない。
 太夫、もう一度「頭をさげよ」というが、男たちは無能だった。誰も指示に従わない。やらない。一度では理解ではない。
 その様を見て、輿から出た声が、すんと止んだ。
 飽きたのか。冷めたのか。興が削がれたのか。
 男たち、ただ見ている。凍えながら見ている。
 と、また仲人が輿からの声を聴き、太夫に伝言する。
「死ね、とのことだ」
 太夫が言った。
 それを聞き、弾かれたように飛び出した者がいた。
 例の子供だ。10歳くらいの、昨日、ムシオのちんちんを触って暖を取っていた、よく太夫に無意味に殴られている、痩せている子供の男だ。
 子供は一直線に輿に駆け寄る。仲人が制止しようとするが、振り切り、輿に飛び蹴りした。
 揺れて、輿の簾がめくりあがり、中にいた二人の女の姿が見えた。
 若い女。年齢は、12、3歳を過ぎたくらいか。髪上げもしていない。何重にも着た服でずんぐりと、しかし、狭い輿に体が挟まっているよう。長い時間、長い距離、この箱の中に押し込められていたのか。女という物体が、輿という、四角い小さな空間に埋め尽くされているようだった。
 女たちは、簾がめくれ上がった瞬間、悲鳴をあげる。
 仲人はすぐに子供の男を取り押さえた。太夫も青ざめ、棒で子供を打擲する。
 オヤカタと交渉していた仲人や、他の輿や、持ち物を守っていた仲人数名も集まって来て、事情を聴くと、押さえつけた子供を次々と殴りだした。

 その間、川渡しの、ちんちん丸出しの男たちは、ちんちんを丸出しにしたままだった。子供を助けるわけでもなく、何もせず、ただ、その状況を見つめていた。無能だったからだ。無能で、何もできず、ただ、寒さに震えて、ちんちんを出していただけだった。

・・・・・・・・・・・・・

 川渡しの子供は貴族の仲人たちに殴られ続けて死んだ。
 男たちは、それを太夫から聞かされた。ねぐらで、皆、眠る前に。
「なぜ、あのガキは貴人の輿を蹴ったのか。そそのかしたものがこの中に居るか」
 太夫が問う。
 みな、分からない、という顔をする。建もぼんやりと太夫を見る。
「じゃあ、あのガキが、独断で、一人でやったというわけだな」
 赤の韓服を着た太夫がにらみつける。裸の男たちは怯える。
「……お前たちはクズだな。無能ですらない。最低だな。貴人の女が言う通り、死んだほうが良いな」
 太夫が苛立ちながら言う。
「あのガキの方がまだ気骨がある。女に侮辱されて、歯向かったのだ。死なすには惜しかったな。……お前たちは死ねと言われても、悔しくないのか。無能だからか。この世に生まれてきて、なんの意味もない。お前たちは、居てもいなくても同じだ。誰もお前たちの事など覚えてない。生きようが死のうが同じだ。ならばさっさと死んだらどうだ。なぜだ……なぜ死なないんだ。くそが!」
 太夫が、なにかイライラを込めて、棒で地面を打ちつける。
 何度も、何度も打ちつける。
 まるで自分が侮辱されたように、打ちつける。
 それを、不思議そうな目で、男たちは見た。
「――高橋様は、この罪のつぐないとしてガキの死だけでは足りぬと申している。子供は半人前だからな。……あと一人、誰か、責任を取って、死ねと仰せだ」
 ざわつく男たち。
 高橋様、というのが、あの貴族たちの名前なのだろう。
 罪ってなんですか、と誰かが、ぼんやりと問いを空中に放る。
「高橋様の娘を、お前たちの汚い眼で見た罪だ。高橋様の娘は、汚れてしまった。今、みそいでいる。この件は郡司にも伝達が行っている。公的な法にも基づく判断として、もう一人分の死のつぐないは妥当という判断も下されるだろう。その死をもって、この罪は帳消しになる」
 ざわつきが、ぼんやりと収まる。

「明日朝までに決めておけ、この中で誰が死んだほうがいいか。いいな」

 太夫は去った。
 残された男たち。ざわつきが、次第に静まり返るが、ふと、その静かになったところから、声が聞こえる。
「お、っ、ぱ、い、を、い、え、に、い、け、ば、タ、マ、ナの、お、っ、ぱい、を……」
 ムシオの声だった。
 ムシオが、短歌を作っている。
「き、ら、き、ら、し……タマナは、き、ら、き、ら、し……」
 指を折りながら、ぶつぶつ、小さな声で。何回も何回も推敲して、57577を作っていた。
 ずっと、作っていた。
 その声、その音。
 ムシオの言葉が、切り刻まれて、5と7に分けられた、その音が、重く押し黙るちんちん丸出しの男たちの中に、ふつふつと漂うのであった。

(つづく)

定型をまもれ。
助詞を抜くな。
余白に甘えるな。
目を閉じて、よく見ろ。
音を意識しろ。

(木下龍也)

『天才による凡人のための短歌教室』・目次より抜粋(ナナロク社・2020)


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