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小説 ちんちん短歌 第18話『きらきらし』

 葦があちこちに茂っていて、背の高いものだと胸のあたりまで生えている。だから、葦の群れるところに立っていると、ちょうどちんちんは隠れる。
 建はまた、ちんちん丸出しだった。赤の韓服も、下半身のアフリカパンツも着ていない。ここのところずっとそれで生活している。建のまわりにいる男たちも、全員そうだった。同じだった。ちんちん丸出しだった。
 朝。まもなく、一番鶏が鳴く。
 鳴いたら、建や、他の全裸の男たちも、川べりに整列するのが習わしだった。
 建は大勢の全裸の男たちと共に、川にいた。川と言っても、荒れた川だ。ごうごうと、音を立てて、水は流れていく。

 流されてきたという。建。気がつけば、この川の岸に倒れていた。
 この地の名はオオノウラと言った。要するに「大の浦」であり、なんだかそれ、地名とは言えない。ただ大きい浦だ。ふと日の出る方を見ると、海。そして目の前の川は「オオイカワ」という。「大偉川」――く大きく広く、水量があって流れのはやい川が大海につながっており、このオオノウラを分断している。そしてその両岸に、葦の群れ。

 今日の建は、岸の「エミシガタ」の方にいた。対岸は「ミヤコガタ」。あちらの岸にも、全裸の男性たちが並び出した。エミシガタの男たちも、並ばなくてはならない。
 鶏鳴。
 裸の男たちがちんちんが丸出しのまま並ぶ。30人くらいいるだろうか。ミヤコガタにいる数の方が、少しだけ多い。
 オヤカタ補佐の、太夫と呼ばれている男が肩をいからせながら現れた。建から取り上げた赤の韓服と、誰かから取り上げたのだろう、艶やかな都風の意匠のある下衣を穿いている。太夫はきっと、その下衣が女物であることを知らない。

「お前らクズをこうして朝並べてみてもお前たちがクズであることは変わりないし、こうして並べれば並べるほどお前たちに生きる価値がないことが一瞬で分かある」
 大声で怒鳴り、なんとなくで手にした木の棒で、近くにたまたま整列していた男の子を棒で殴りつけた。9歳か10歳くらいだろうか。殴られてよろけたが、泣くとさらに殴られるので、男の子はじっと耐え、すぐに体勢を整えて列に戻る
「俺は防人として9年間、大宰府にいた。大宰府ではこんなものでは済まなかった。大宰府では俺は歯向かってきたハヤト(異民族)を殺した。俺は12人殺したことがある。お前らは今まで人を殺したことがない。お前らは俺より12人分下なのだ。わかったか」
 この話は何回目だろう。最初こそ、建はこの話を聞くたびに、尻を犯そうとした武士の事を思い出してしまっていたが、なんかもう、慣れた。
「わかったならオウと言え」
 太夫がそういうと、皆はばらばらに「オウ」という。
 太夫は声が揃わないのが不満だったが、あまり朝礼をしすぎていると、太夫はオヤカタに怒られる。別にこんなことせず、ただ今日立っているの人数を数えればいいだけの話だから。
 朝礼の間、男たちはただ立っていた。不満な顔はするが、従う。太夫には殺人の権利が認められていたので、気に食わなかったら殺される。だからなんか面倒くさいのと、あと、しかし太夫の言う通り、無能なのだ。ここにいる男たちは、全員。
 だから、いう事をとりあえず聞く。言われたことをする。それがいちばん、どうでもいい。どうでもいいまま、生きていられる。

 流されてきた建は、オオノウラのオヤカタなる人物に助けられた。髷を結い、おそらく官職にあった人物なのだろう。今ではどうなのか知らないが。

「一応、助けてみたが、あんた、生きたいか?」
 建はオヤカタからそう問われた。
 ややあって、建。そういえばあのアフリカで、「いのちと死」「祝福とのろい」の二択を置かれて、いのちを選んだことを思い出す。
「そうか」
 建が答えるのを待たず、オヤカタは建が生きる事を選んだことにした。
「じゃあ、生きるってことで、俺はお前を助けた。だから、お前にも俺に恩を返してもらう」
 そうオヤカタは建に告げると、洗濯し干されていた建の韓服とアフリカンパンツを没収した。建はその日のうちに、全裸で川の岸へ立たされた。
「仕事をしてもらう。お前は、今からこちらの荷物や人を担ぎ、あちらに渡す。あちらに渡したら、あちらの荷物や人を担ぎ、こちらに戻る。これを繰り返す」
 意味が解らなかった。意味が解らない顔をする。
「ああ、……いい。ちょうどいい。いまお前、無能の顔をしている。大丈夫だ。今言ったことが理解できないくらいで、ちょうどいい」
 オヤカタは笑うと、部下の太夫に後をゆだねた。全裸の建はしばらく太夫に好きに殴られながら、ここでの仕事――「川渡し」をする事となったのだった。

 仕事が始まる。
 建はもう、慣れた。
 租庸調の、中央へ税を運ぶ運脚の運んできた籠を頭に載せ、対岸に持っていく。
 運脚は、別の川渡しの男に肩車にされ、このオオイガワを越えていく。
 そういう仕事だった。東国から都へ、人は税を運ぶため川を渡る。そして、都から東国へ、帰るために、人は川を渡る。
 川は、泳ぐには浅く、しかし、歩くには深い。大きな荷物を持っていては流されるし、何より、一人で川を越えてしまうような横着をするような奴は、仕事にありつけなかった川渡し人夫たちに恨まれ、殴られ、沈められ、荷物を奪われかねない。仕方なく、旅人たちや運脚は、川渡しを頼むのだった。
 橋はない。流れが速すぎるうえ、川の形が一定ではないからだ。毎年氾濫し、浦を犯す。船がないこともないが、流れが速く船だと流されたり、転覆する。いままで何度も舟での運搬はトライされてきたが、上手くいかなかった。
 それよりも、無能な川渡しが、素朴に、無能に、何も考えず、荷物を頭に載せて対岸まで運んだ方が、安定していたし、とにかく面倒くさくなくなかった。

 建はひたすらここで、川渡しの仕事をした。
 何も考えなかった。逃げたり逆らえば、建の服はオヤカタの物になってしまう。服が人質に取られている感じ。
 最初こそは、ここに流されてからの日数を数えていたが、30日が過ぎ、月の形が一周する頃、面倒くさくなってやめた。やめてから、さらに月が、3週くらいしたと思う。

 川を3往復して、昼の休憩になった。太夫と、太夫に命じられた女や手足に障害のある者が、炊煙をあげ、川渡したちに飯を配る。雑穀(稗とアワの混合物)を蒸したものを、椎の葉で丸めたものに、塩と、少量の魚醤。ごくまれに、うなぎを蒸して切り刻んだものが供されることもあり、そういう時、川渡し男たちは喜び、踊りを踊った。アフリカで見たものとは、雲泥の差のクオリティだったが。

 両岸合わせて70人ほど、川渡しの男たちはいた。オヤカタの言う通り、全員無能だった。知能に欠けている。建もそう思った。まず、自分の名前が名乗れない。うんこをよく漏らす。字が書けない。数字も数えられない。体をあらうという慣習が無く、臭い。やる気がない。飯だけは食う。忘れる。何もかも忘れる。仕事の効率が悪い。じっとしていられない。静かにしろと太夫に何回言われても声を出して震えて変な事を口走っちゃう。会話が成り立たない。皆、自分の思ったままを突然口に出す。
 建はその中にいて、誰とも口をきかなかった。黙っていた。名前も名乗らず、ただ中に居て、一緒に働いた。

 川渡しは、日が暮れ、山の奥に陽が沈むとおしまいになる。時々、急使であったり貴人が川を渡る時だけはたたき起こされたが、そんな事は稀だった。
 全員、川の辺の近くに穴が掘られて、土壁と笹の葉で囲った簡易的なねぐらに雑魚寝した。全裸だった。これから寒くなったらどうするのかと思ったが、そんなときは身体を寄せ合って過ごすらしい。
 嫌だな、と現時点では思う。
 でも、慣れたら、どうでもよくなるんだろうな。

 やる気はなかった。どうでもよかった。建は雑魚部屋で寝転びながら思う。隣の大男のいびきがうるさく、体臭も臭い。でも、慣れた。寝ようと思えば寝られる。
 建は生きる事を選んだ。だが、何の力も出なかった。
 まだ体が本調子ではない。喉と胸に広がる疱瘡の粒は、まだ熱を持っている。全身もだるい。
 声を出す気になれない。だから、短歌も発する気になれない。
 ここに来てから、短歌の事を想わなくなっていた。そもそも、周囲に短歌がわかるような人間はいなかった。
 大伴家持に「市井の短歌を集めよ」と命じられたが、この川渡し達が歌を知っているとは全く思えなかった。
 短歌のない生活。短歌を捨てた生活。
 これが、普通の生活なのかもしれない。

 建は、それなりに器用な方だ。記憶力もある、機転も効く、と思っていた。だから、大伴家持に見初められ、短歌奴隷になり、千の短歌を頭に入れ、家持に気に入られるように短歌を舞いながら出力した。
 才能はあった方だと思う。
 短歌を覚え、それを家持のために表現する才能は、俺は確かにあった。
 でもここでは、そんなもの、まるで役に立たなかった。これが普通なのだ。「大伴家持のための短歌蒐集の旅」なんて、異常だったのだ。そもそも、旅のせいで2回は死にかけている。建がただ生きるだけなら、こうして、普通に、無能に、やる気なく、一言も発さず、短歌を想うことなく、こうしていればいい。いいんだ。これでいいんだ。起きて、仕事さえすれば、飯が食える。時々、うなぎすら食える。大伴家持のところで奴隷をしていた時ですら、うなぎなんて食べたことがなかったし。

 短歌を辞めたら、こんなに楽に生きられるんだな、と思った、建。
 やる気が無くても生きられる。侮辱され、屈辱的な言葉を吐かれ、服を奪われ、秋の寒さに怯えても、生きられる。

 俺は、いのちを選んだ。俺は、いのちを選んでしまったのだ。
 俺は死を賭して踊る人を、ただ見てる側の人間だったのだから。

「……タマナって女がいてえ、セックスさせてくれるかもしれないからあ、何の用事もないのにタマナの家に行ってさあー」
 ムシオという、体の大きい男がずっとしゃべっている。
 もうみんな寝ようとしているし、そもそも、誰もムシオの話など聞いていない。ムシオはずっと同じ話をする。
 スヱのコホリ(周淮郡)という地に、タマナという女がいる。おっぱいがでかい。みんなセックスしたくて家を訪ねた。合鍵を渡した。女はどんな男にでも抱かれた。そんな話を延々とする。
「タマナのおっぱいは大きくて、蜂みたいにいいスタイルで、とてもとても、きらきらし、とてもとても、きらきらしている。きらきらしていて……」
 ムシオは上体だけ起きて、夢中で話しかける。
 朝、太夫に殴られた10歳の男の子がターゲットになったのか、ムシオはその男の子に向けて話す。男の子はそっぽを向いて寝ているが、きっと寝られない。
 誰も、ムシオに注意しない。かつてはムシオを皆で袋叩きにして首を絞めて黙らせようとしたが、ムシオの体は頑丈でまったく効果がなかった。それ以来、ずっとムシオは無視されている。
きらきらしていて、きらきらしていて、タマナは、とても、きらきらしきらきらしていて……」
 建、今夜はふと、ムシオの話を聞いている。

 見れば、ムシオは泣いていた。
 タマナが「きらきらし」ている事を語る時、泣いていたんだ。

「なあ」
 建は、ムシオに声をかけた。
 ムシオは無視して語りを続けようとしていたが、しかし、その聞きなれない声が気になり、顔を向けた。
 新参の建の顔。ムシオは無能なので人の顔を覚える事はなかった。
 ムシオは、はじめて誰かの顔を見るように、建の目をのぞき込んだ。
「その話、聞いた話なのか。見た話なのか」
 建が尋ねる。
「……しらねえ。わからねえ」
「わからないって事、ないでしょ」
「おまえ、だれだ」
「……建。姓は公孫、春日の井戸の守、造は赤染の……、あ、いいや。ケンです。ケン」
「おれは、ムシマル」
 あ、ムシオじゃなくてムシマルなんだ、本名。
「その、タマナって子は」
「いたんだ。セックスさせてくれる女。いるんだよ」
 ムシオは、建のところに這い寄ってくる。
きらきらしているんだ。きらきらし。……きらきらしている」
「わかった。わかったよ。……で、見たことは」
「見たことなんてないよぉ」
 ムシオは身体をくねらせて恥ずかしがる。
「でも、いたんだ。いたんだ。スヱのコホリに」
「行ったことあんの? あんたの故郷とか?」
「おれに故郷なんてねえよおう」
 ムシオは笑う。へらへら笑う。よくみればその顔、左目に光がない。よく見れば鼻もおかしな方向に曲がっている。容姿が悪く見えるというより、痛々しく、グロテスクにも見える。
「……セックスしたくてさぁ」
 ムシオは顔を覆いながら告白する。
「したことないの?」
「ねえよおう」
「何歳? 今」
「数なんか数えらんねえよぉう」
 ムシオは声を小さく恥ずかしがる。
「でもよぉう……。タマナは、どんな人でもセックスさせてくれるって。タマナの家にいけばさあ……」
 そしてムシオはまた繰り返す。何度も何度も語ってきたタマナという女について。同じ言葉。同じストーリーを、何度も。使う言葉はほぼ決まっているのだろう。

 タマナは、「きらきらし」ている。
 ムシオがそう口にするたび、ムシオのまだ生きている眼から、光るものが出てきた。

「それ、歌にしないか」
 建は、ふとムシオに言った。
 ムシオはふと、語りを止める。
「……ウタ?」
「5、7、5、……77」
「おれは、だから、数はさあ……」
 建はムシオの手を取る。
 その手のひらに、指で、リズムを刻む。
 トト トト ト、トト トト トト ト、トト トト ト。
 トト トト トト ト、トト トト トト ト……。
 2のリズムの、3回繰り返しの時に、一つの死、「5」。
 2のリズムの、4回繰り返しの時に、一つの死、「7」。

「これに合わせて、言葉を乗せるんだ」
「なんでそんな事――」
「これが、歌なんだ。歌を詠えたら、ムシオ……セックスできるぞ」
 建は嘘をついた。
 だが、ムシオはそれを聞いて、大きく目を開いた。

「ウタ……?」

 ムシオは口を閉じた。
 ムシオの頭の中で、何かが始まりだしていた。

水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃……
しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の……
(高橋虫麻呂)

万葉集 巻9-1738(抄)


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