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小説 ちんちん短歌 第20話『誰が死んだほうがいいか話し合う会』

 川渡しの男たちのねぐらで、誰が死んだほうがいいか話し合う会が行われようとしていた。していたが、しようとしていただけで、誰もしていない。全員、黙っている。

 30人の痩せた男たち。ちんちん丸出しの、裸の男たち。なんらかの欠損がある男たち。肌に纏わる汗やよだれやうんこをちゃんと拭かないので汚い男たち。火が灯る囲炉裏を中心に、黙り、何か言おうとしているが、何か言うのが怖くて、どうしたものか、ただそこに居る男たち。

 建も、その中にいる。
 その中に居て、何もしていない。隣にいるムシオが、ぶつぶつと短歌を作っている声を聴いている。

「おい、やめないか、それ」
 囲炉裏の近くに居た大男がムシオに注意する。
 この大男はヌテと言い、この川渡しの中で古参だ。元防人だという。防人崩れだという。別に防人だったわけじゃない。東国から防人として招集され、途中で逃げ、帰ろうとして川に阻まれ、なし崩し的に川渡しをしている。行くことも帰ることも死ぬこともできなかった男。五体満足であるが、五体満足なだけの男。人より大きな体をしているので、いつも余計にご飯を貰らおうとする男。
 ムシオは別にやめない、短歌作るのを。ヌテの事を心の底で馬鹿にしているからだ。ヌテは身体が大きいが、現場監督で権力者である太夫によく頭を下げている。
 だからやめない。軽蔑しているからだ。
「うるせえんだよ、ムシオ」
 ヌテはもう一度大きな声で注意をするが、ムシオは反応しない。
「……もうこいつでいいんじゃないか」
 誰かがつぶやく。するとその声に続いて、
「ムシオはばかだからな」
「……くせえ」
「こいつこの間、荷を水に漬けてたんだ」
「ムシオって前は罪人だったらしい」
「ムシオはうんこみたいな匂いがする」
「ムシオはだめな奴だ」
「荷を水に漬けるやつはだめだ」
「ムシオが死ぬでいいんじゃないか」
 と、ヌテの近くに居る男たちがざわざわする。
 ムシオは無視して指を折って言葉を並べていたが、ふと、強めに咳払いする。
 ざわめきが止む。
 皆、ムシオがこの中でもっとも頑丈で、殴り合いでは勝てないことを知っている。陰口しか言えない。
 ムシオは皆をちらと見る。
 皆、目をそらす。ヌテも目をそらした。

「ちょっとみんな……。みんなちょっともっとちゃんと……話し合いを……しようよ……」
 静寂の中、か細い声で、肌の異様に白いオクワという男が呼びかけた。
 しかしその声は空間全体に響き渡らず、手前で落ちていた。声が、ぼたぼたと落ちる。だから、独り言のようにも聞こえる。
「太夫さまが決めろとおっしゃったのだから。みんなちゃんと話し合いを……。太夫さまがやれとおっしゃったのだがら……怒られてしまうでしょう……このままでは……」
 オクワは座りながら、だんだん顔が地面に向いていく。話しているうちに、自分の声が誰にも届かない、誰も聴かないという事を分かってしまうから。いつもそうだ。オクワの言葉は、いつも誰にも届かないし、オクワ自身、いつも途中であきらめる。眼の光が、いつも消える。届けようという気持ちが、いつだって足りない。

 オクワも含めて、「誰かとちゃんとした事を話す・話し合う」という経験が、ほぼなかった、全員。
 日常会話だって、いつだってなんとなくパワーがある感のある者が一方的に大きな声を出して今思いついたことをただぶつけているだけで、ここにいる全員、一度だって「対話」をしたことがない。会話すら、まともにできていない。全くかみ合わない独語の集合を、なんとなく、コミュニケーションだと思っているだけだった。
 この男たちは、今まで一度も、自分たちに関わる何かを言葉で決めたり、考えたことがなかった。誰か、場で強い人間のいう事を聞き、あるいは聞かず、周りの動くのを見て、ただ真似て動いているだけだった。
 だから、全員、無能だった。

「だったらお前が死ねばいいじゃねえかよ」
 声を上げたオクワに対し、誰かがそう口する。
「そうだそうだ」の声が上がる。
「俺もそう思った」
「おれも同じ気持ちだ」
「オクワはよく荷を水に漬ける」
「お前でええ」
「オクワが死ね」と声がさわさわ広がり、誰かが誰かに追従する。

 その声は、次第に安心感の入った攻撃的なものになっていった。
 ここの男たちが一番恐れていてことは、議論(らしきもの)の口火を切る事だった。口火を切るものが、大抵損なことを押し付けられる。だから、我慢して黙る。そして、こうして誰かが意見の口火を切ったら、面倒事はすべてその者に押し付ける展開になる。押し付けて、多数派の中にまぎれて、浮いた一人を攻撃すればいい。
 いつもそうだった。
 いつも、そうだった。いつもそう。

 オクワを責める声に励まされて、禿げ頭で唇がいつもただれているマサリがオクワをふざけながら強く蹴った。
 オクワが激しく倒れると、場が静まった。
 あっ、と思った。
「おい、マサリ……」
 誰かの咎める声。皆がマサリを見る。

「……やめろよ、そういうの」
「太夫は話し合いをしろと言った」
「オクワも仲間だろうが」
「蹴るなんてひどいやつだ」

 と、今度はマサリを責める声がじわじわ出てきた。
 マサリは、やりすぎたと悟った。
「ちょっと待って、待て! ……ちがう、俺は蹴ってない」
 マサリは慌てて否定するが、オクワはゆっくり起き上がり、やや過剰に、蹴られたところを擦る。

「……蹴ったじゃないか」
「蹴ったり蹴ったり、マサリ蹴ったり」
「嘘つき」
「マサリは嘘つきだ」
「嘘つきめが」
「嘘つきは死んだほうがいいんじゃないか」。

 オクワはさらに、今蹴られたところを強く手で押さえる。周囲から「大丈夫か」の声を貰おうと頑張るが、ただ大げさすぎて、誰も優しくしなかった。
 一方、マサリへの非難の声は大きくなる。

「マサリは調子に乗って荷を沢山持とうとする」
「そういえば今日お前は荷を水に漬けて台無しにした」
「たいして力がないくせに」
「マサリはいつも荷を水に漬けてしまう」
「3年前マサリのせいで太夫に怒られた」
「マサリはあやまらない」
「マサリは自分がチビでだめだという自覚がない」
「マサリの荷の持ち方では荷に水が浸かっちゃうから本当止めた方がいいといつも思ってるのに直そうともしない」
「あやまれ」
「お前は迷惑だ」
「荷を水に漬けるような奴はだめだ」
「死んだほうがいい」
 マサリに言葉が集中する。
 もういい歳のはずのマサリはしだいに声がしどろもどろになり「違う」「違うんだ」「違う」をただ連呼し、普段兄貴と慕うヌテをちらりと見るが、ヌテはそっぽを向く。
 大勢が、「マサリが死んだほうがいい」という空気に傾いていく。しかしそれを直接はマサリに言う人はいない。皆、ただ聞こえるような独りごとを、誰かに向けて垂れ流すだけだ。
 安心感を持ったざわめきが、空間を支配していく。

「……どうして俺が死ななきゃなんないんだ」
 マサリは喚く。だが、誰も答えない。向き合わない。その言葉を拾うものは居ない。
 
 どうして死ななければいけないのか。
 この問いを、建、ふと思う。
 いや、そもそも、この川渡しの男たちは、なぜ生きたいと思うのだろう。

 ここで頑張っても、飯しか食わせてもらえない。ただ生をつなぐことしかできない。これから何かが良くなることはない。
 休みなく働かされ、体を冷やされ続け、やがて死ぬ。ろくな弔いもされずいつか死ぬのだ。希望なんてものはない。いっさい無い。そんな事は、日々の生活で体にも心にもしっかりと刻まれているはずだ。

 いいことと言えば……たまに、うなぎが食わせてもらえることくらいだろうか。

 まさか、それだけのために、こんなに人は生きたいのか。誰かに死を押し付けてまで、殺してでも生きたいか。
 しかし、そういう俺はどうだろう。短歌を蒐集し、主君の家持のもとに生きて帰る、それまでは死ねない、と、思っていた。それをなすまでは生きたい、と。
 なんでだ。そんなの。うなぎと何が違うのか。
 短歌なんかより、うなぎのほうが美味しい。短歌なんて、体を温めたりもしなければ、何の味もしないじゃないか。

「……やすやすも、いけらばあらむを(痩々母 生有者将在乎)」

 ふと、歌を口にしていた、建。
 地声とは違う声。その異様な声が場に通り、皆ざわめきをやめ、振りむいた。ムシオも、短歌を作る手を止め、建を見る。
 シン、とする空間を建の声が包む。
 本来、短歌は立って発声させなければならない。が、そんな事は本当はどうでもいい。自分の発する言が、声が、体で地と天をしっかり繋ぐように出すことができれば、本来は姿勢なんてどうでも。
 建は胡坐をかき、尻を地にしっかりとつけ、背骨で天と地を連結させるイメージで、その中心をとおる言を、声とし、頭の上へ通していった。

「はたやはた(波多也波多)」

 はたやはた――意味としては「それはまあそれ」とか「だからといってまあ」「万が一にもなあ」とか、いろいろ取れる。囃子言葉に近い。建は詠いながら、そこにシニフィエは込めなかった。「はたやはた」というシニフィアンは浮遊し、遊んだ。

「……むなぎをとると、かはにながるな(武奈伎乎漁取跡 河尓流勿)
 
 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると川に流るな。

 ひどい歌である。
 たいして意味もないし、つまらない。
 これは、主君の大伴家持の作の歌である。前段があり、いつもからかっているイシマロという人にむかって「イシマロは夏痩せしすぎだからお前はウナギでも食ってろよ」という歌を一首作る。わざわざ、短歌を使っての体形イジリをしただけの歌。それに続けて、この歌である。

「痩せようが生きてりゃいいか、“はたやはた”、ウナギ取ろうとして川流れすな」

 と、この通り、たいして意味もなければ、面白くもない。いじられキャラのイシマロを知っていることありきの、身内で笑ってろって感じの、短歌にする必要も何もない、内輪ウケ短歌だ。
 家持のこんなつまらない短歌すら、建は短歌奴隷として覚えさせられていた、建。
 それが、ふと口に出た。ちゃんとした歌の体勢でもなく振り付けもなく、ただ言だけ、基礎的な音の発し方で、ただ出しただけだ。
 うなぎの事を考えていたからだろうか。

 建の歌が響き、皆、きょとんとしていたが、ムシオが吹き出した顔で声をかける。
「おい、それェ……短歌か、ケン」
「あ? ああ」
 なんかシンとさせてしまったなあ、と建。まーたオレ何かやっちゃいました? 感をムシオに向けていると、
「……う、な、ぎ、を、取、る、と、川、に、流、る、な。……おお、7、7か、フハハッ」
 ムシオが指を折りつつ、臭い息を吐きながら笑った。
 誰かがふと、「うなぎ食いたいな」とつぶやく。
「おれもだ」と、声。
「……前にうなぎが出たの、いつだったか?」
「けっこう前じゃねえか」
「ふかふかのウナギ、また食いてえなあ……」
「おれもだ」
「おれも俺も――」

 誰が死んだほうがいいか決める話し合いが、建の歌のせいで、ウナギ食べたい話をする会にすり替わってしまった。
 無能な男たちだが、ウナギが美味しかったという話をする。彼らなりの語彙と表現力で語り合う。
 ――ウナギが昼食に出されて、どれだけ自分はうれしかったか、よろこんたが。どういう状況で供されたか。口にいれ、広がっていく油の味と匂いはどのようだったか。誰かの発言に誰かが触発され、その意見に上乗せし、また、平行移動し、いかにウナギが素晴らしかったかを、男たちは話し合い、共有した。

「ムナギヲトルト、カワニナガルナ」

 誰かが建の口にした7・7の結句を口にする。
 少し笑いが起きる。なんとなく数人が建を見る。
 その顔にせがまれて、建はもう一度、短歌を口にした。
「やすやすも、いけらばあらむを……」
 するとムシオがその声を真似て続く。
「ヤスヤスモォ、イケラヴァアランウォ」
 何人か笑う。
「ハタヤハタ!」
 何人かもムシオの声に合わせて口にする。
「ムナギヲトルト、カワニナガルナ!」

 何回か建は短歌を発し、それにつられて男たち、復唱しだす。
 次第に建が発さなくても、勝手に歌が放たれるようになった。57577のリズムが心地いいのか、あるいは、ウナギというワードが出てくる歌が楽しかったのか。それとも、深いところで「痩せに痩せてようが、生きてさえあればそれでいいじゃないか」という部分が、いま、ここの男たちに、シンクロしたのか。
 家持の、つまらない、くだらない、文学的価値のまったくない歌は、川渡しの男たちに伝染した。
 男たちはウナギを思い浮かべつつ、自分たちの境遇を思いながら、仲間たちとニヤニヤ笑って今聞いたばかりの歌を、もう自分の歌であるかのように口ずさんでいく。
 それを、建はぼんやり見ている。
 こんなことなら、ちゃんと振り付けて、ちゃんとした立ち方で短歌を歌えばよかった、と建。
 建にしてみれば、これだって男たちと同じように、ただの独り言だった。何の思いも感情も込めてなかった。
 そもそも、この短歌を作った家持にしても、この歌が千年残るとは思っていないだろう。建だって思っていない。
 つまらない、価値のない短歌だったが、建が奴隷だから仕事だから仕方なく覚えているだけだ。いずれ、建が奴隷として老いて、誰かに歌の記憶を継承させるにしても、優先順位は極めて下だ。

 だから、なんか意外だった。
 こんな価値のない歌でも、人を笑顔にしたということが。

「短歌にすると、願いが叶うんだよ」
 ムシオが、先ほど蹴られたオクワに楽しそうに話している。
「……ケンに教えてもらったんだ。短歌にして、声をな、ことばを、5、7、5、7、7にすると、……あめつちを動かすんだって。おれもな、あめつちをな、動かそうと思ってな、セックス。……タマナとセックスしたくてな、作ってんだ」
「それで出来たの、短歌ってやつは」
 オクワが尋ねる。ムシオは照れながら答える。
「さっきな……コレ! って感じの、7、7がよお。……思いついたんだ。だからもう少しなんだ。いいと思ったんだけど、もう少し、もう少しで、短歌、できるんだ……」
 ムシオ、はずかしいのか、手で顔を隠す。
 建、ムシオに近づく。ムシオの、うんこの体臭がする。それがなんだか愛おしい。
「きかせてよ、ムシオ。出来たところまで」
 建が声をかける。
「まだだよお! ……もう少しなんだよお。今俺、推、敲、してんだよぉ」
 推敲なんて雅な言葉に、なんか笑っちゃう建。

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「吾が死ぬさ」

 部屋の奥にいた、ウマカイ老人が、通る声で告げた。
 皆、絶句した。
 ウマカイ老人は、右腕が全く動かない。顔に黥(罰としての入れ墨)があり、頭の大きい小さな小人のような姿。
 寒さ冷たさの感覚がもうないのか、率先して浅い川の中に入り、その名前の通り馬のクツワを取るのは得意だったが、その他の仕事は、力も背もなくてほぼできない。

「よく考えたら当たり前だと思ってな。……この中で一番年寄りは、吾よ。吾が死ぬのが、自然な順番さね」
 わずかに都訛がある。元貴族か、その仲人だったのかもしれない。
「いや……」
 男たちは静かになる。
 ウマカイはなんか迫力があった。確かに、不具者であるし、老人でもある。生きる価値は、他の男たちとおんなじくらい、何もない。
 だが、あえて死ぬ優先順位が高いかっていうと、そんな感じでもなかった。
 それでも、ウマカイ本人が言う通り、この中ではもっとも年長ではある。顔はしわしわで髭は白くモジャモジャである。歯もない。
「死に時だ。……というか、生きていて、吾に、もういいことはないだろうし」
 老人は笑う。
「死ぬよ」
 覚悟を決めたのか。穏やかで、可愛らしく老人は笑った。
 男たちは皆、うなだれだ。別に何の異論もない。だが、別に死ななくてもいいんじゃないか、という気も、なんかある。

 でも、男たち――建も含めて、なんだか、ホッとした感覚があった。少なくとも、死ぬのは自分ではない。

 納得感はなかった。話し合って決めた、という実感もなかった。
 そして、今後もこうやって、何か重要な事が、誰か自分より人のいい人の、善意と犠牲と我慢で決まっていくのかもなあ、と思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日が昇るやや前に、一番鶏が鳴いた。皆、なんとなく一睡もしなかった。
 ぼんやり覚醒しながら、ごろごろと床に転がったり、すわったり、寒さをしのぐために体を抱き寄せていた。
 そこに、太夫が部下を引き連れやってきた。

「死ぬのは誰か決めたか」

 太夫は建の赤い韓服をいからせ、男たちのねぐらの簾をめくる。
 男たち、全員起きていて、一斉に太夫を見る。
「誰だ、死ぬのは」
 太夫の問いに答えず。しかし、目は、皆奥のウマカイ老人を、ちらりちらりと見る。
「……おい、答えろ。誰に決めたんだ、お前たちは」

 だが、ウマカイ老人は返事をしない。

 男たち、ざわめきはじめる。
「決めたんじゃないのか、お前たちは!」

 太夫、腹立たし気に一番手前にいた男(オクワだった)を蹴る。オクワはまた痛そうに転げる。
 だが、死ぬ、と立候補したはずのウマカイ老人は、顔をうなだれて返事をしない。
 よく見れば、小さく震えている。
 近くに居た男が声をかけようとするが、ウマカイは手で制し、壁に向かってそっぽを向いてしまった。

 はぁ? 

 という溜息が、もろもろから流れた。老人、おじけづいたのか。……おじけづいたのだろう。ウマカイは、あんな啖呵切っておいて、あんないい人感出しておいて、やっばり冷静になって、命が惜しくなってしまった。で、しれっとしている。震えている。知らんぷりしている。

「お前たちは何も決められないんだな」
 太夫、嘆息したのち、曰く。
「じゃあ、お前でいい」
 太夫、指をさす。
 太夫のさした指の先。
 ちょうどねぐらに、朝の日の光が太夫の肩越しに差し込んできた。
 その光は、背を丸めて、まだ短歌をつくっていたムシオの背中に当たっていた。

「ムシオ、お前だ。前々から反抗的だったし。お前が死ね」

 太夫はそう告げると、ようやくムシオは太夫の方に振り向く。
 日の光が目に入り、まぶしい。目を細める。その隙に、太夫の部下の屈強な男二人が、丸腰でちんちん丸出しのムシオを拘束する。
「何すんだ、お!」
 ムシオは暴れ、抵抗する。頑丈なムシオは抵抗を続けるが、一晩中寝ておらず、空腹でぼんやりしていたのもあって、力が出ない。ついにムシオは就縛されてしまった。
「連れて行け」
 太夫が命じると、ムシオは男二人に引きずられて、ねぐらから引き出される。
「ムシオ!」
 建、叫ぶ。
 だがムシオ、いまだに何かよくわからないという顔で、体を縄で巻かれながら引きずられていく。
 太夫が建をちらりと見るが、ぺっと口に入った砂を吐き出すと、建の方など一顧だにせず、打擲棒を肩に担いで、オヤカタの居る小屋の方へと行ってしまった。

 その光景を、建はただ見ていた。何もできず、ただただ、見ていた。

(つづく)

痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
痩す痩すも生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると川に流るな
(大伴家持)

万葉集 巻16-3854


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