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エンちゃんが行くわよ 2024年5月

映画祭に行く

3月の映画祭は入団前でございましたので、私の持ち場は裏方仕事(それをもって現場審査となっていたそうです。)だけでございましたが、5月の映画祭では、録音のアシスタントをさせて頂いたり、カメラの死角から血糊を役者さんに塗る重要な任務をやらせて頂いたり、劇伴でアコーディオンを弾かせて頂いた作品が上映されて、本格的に関わった初の映画祭となりました。
当日の会場でのお仕事は、記録撮影(カメラ)と影アナウンスを担当させて頂きました。記録撮影は、ド素人の私が撮ったものですから、心霊写真疑惑のものや、芸術と言って差し支えないぐらい美しくブレたものを大量に生み出してしまいました。ちなみに後からカメラのお値段を伺って「ひぃーΣ(゚ロ゚ノ)ノ」となってしまいました。壊さなくて良かったです。影アナウンスは何度も経験はございますが、憧れの宝塚劇場のように、トップスターになった気分でノリノリでご案内させて頂きました。
そのうち映画祭で上映される作品で皆様とお会いできたらと思います。
(あ、YouTubeのショート動画の方には出演しておりますので、是非ご覧になって下さいませ。)

中島みゆき展に行く

素晴らしかったです。言葉で言い表せない程に。
私の人生に大きな影響をもたらし、私を音楽の道へ進むきっかけ、そして演技の道へも進むきっかけになったのは、私が最も尊敬する中島みゆきさんです。
子ども時代の私が初めて自分のお小遣いで買ったCDは勿論、私の歌のレパートリーの大部分も中島みゆきさん。私は何の取り柄もない子どもでした。おまけに大抵の物事が、人並みにこなせない子どもでした。おまけにおまけにミテクレも大変良くありませんでしたが、そんな私が唯一、本当に唯一、人様から褒めて頂けたものが歌でした。楽譜も読めない、ピアノを習うことも叶わなかった私にとって、歌は私の個性を表現できるすべてでした。
言葉の実験劇場「夜会」今の今までチケットが取れたことはありません。(次回こそは…次回こそは…!) なけなしのお金で少しずつ集めている夜会のDVDを、擦りきれるんじゃないかというぐらい繰り返し観て、歌で紡がれていく舞台の上で、ヒロインを演じるみゆきさん、役者さん、元タカラジェンヌの女優さん、色々な人の立ち振舞いがとても美しく、私は、いつかあの舞台に立てたら…なんて秘密な想いを心の奥底に抱き抱えながらおよそ四半世紀、今に至る次第でございます。演技の道は何度も門戸を叩きかけて、まごついて、たじろいで、片足だけちょんとつけたり、へっぴり腰で入って、おっかなびっくり活動して、フェードアウトしてみたり、最近やっと、またご縁で短編映画の世界で頑張れることになりまして、遠回りしたのかも知れませんが、きっと憧れが私の情熱の炎を消さずに守ってくださったのだと思います。私が主に活動している音楽のジャンルは、気付けば憧れの中島みゆきさんからは、かなり遠い立ち位置になってしまいましたが、今の私はもう自由の身ですから、少しずつ軌道修正しようかな…なんて。いや、それよりも汀艷名義でそれも目指してしまった方がきっと幸せですね。そうします。
(本名名義の活動は、棄てるには勿体無いらしいので、そのままにして、気が向いた時にだけ活動することにしています。)
憧れの中島みゆきさんの話は尽きないですが、今日のところはこのへんで。



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