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【短編小説】愛子との交換日記

「あ、このノート…」


 1年ぶりに実家に帰省した私は、自分の部屋の片付けをしていた。高校生の頃まで使っていた勉強机には、小さい頃に使っていた文房具やメモ帳、大切にしていた食玩のおもちゃなど、懐かしい物の数々が眠っていた。こんなところまともに開けたの何年ぶりだろう、そんなことを考えながら、片付けを進めた。というのも、去年結婚した実家に住む姉に子供ができ、私の使っていた部屋をその子の部屋にするから片付けてほしいと催促されていたのだ。何年も机の中に放置されていた文房具やキーホルダーなど、なんとなく勿体無い気はするが、仕方ないので断捨離を続けた。すると机のかなり奥の方から、ピンク色の1冊のノートが見つかった。表紙には「友梨と愛子の交換日記」と書かれている。


「こんなところにあったんだ…」懐かしい気持ちに浸りながらも、私はなかなかそのノートを開けずにいた。


 10年ほど前の記憶が甦る。小学5年生のとき、私は同じクラスの愛子と仲が良かった。私は愛子を親友だと思っていたし、きっと愛子だってそう思っていただろう。
 ある日、愛子が突然こんな提案をしてきた。「ねえ友梨、私たちも『交換日記』つけてみない?」
 その当時、友達同士でする交換日記が流行っていた。仲のいい女友達同士で交換日記をつけるのは珍しいことでもなかったので、私は賛成した。それから私たちはすぐに、1冊のノートを買い、「友梨と愛子の交換日記」と表紙に書き、交換日記を始めた。
 ルールは毎週金曜日、その週にあったことや相手に伝えたいこと、来週2人でやりたいことなど自由に1ページ分書いて相手に渡す、というものだった。受け取った方は相手の日記を読み、また次の週の金曜日に1ページ分を埋めて相手に渡す、ということを繰り返す。1人が日記を書くのは2週間に1回のペースだから、ゆったりと続けていた。

 私はおそるおそるノートを開いた。1ページ目は、愛子がはじめに書いたものだった。
【2013年11月14日 今日から友梨と交換日記!楽しみ!大切な思い出にしようね!】
カラフルなペンで、これから始める交換日記に胸を躍らせる気持ちや、他愛もない話などが綴られていた。その裏には翌週に私が書いたページも。
【2013年11月21日 愛子、最初から気合い入ってるね!ずっと最高の友達でいようね】
そんなことが書いてあった。その先も、毎週今となってはどうでもいいような話をお互い書き合っていた。ただ、そんな交換日記があの頃は本当に楽しかったのだろう。


 日記をつけはじめて1年以上経ち、私たちは中学生になった。2人とも同じ中学校に入学し、交換日記はこれまで通り続けていたのだが、ある問題が起きた。愛子が学校に馴染めず、クラスでいじめられるようになったのだ。私と愛子は違うクラスだったので、はじめは詳しいことはわからなかったのだが、すぐにクラスの女子の中心となったお嬢様の麗華に目をつけられたらしい。愛子は眼鏡をかけていて、本が好きで休み時間はいつも本を読んでいた。勉強もできる子だった。目をつけられた理由はそんなところが気に入らなかった、というだけらしい。
 麗美はクラスの中で絶対的な力を持っていた。麗美の父親は起業家らしく、絵に描いたようなお金持ちの家庭で育ったお嬢様という麗美に周りの女子は逆らえなかった。
 ある日の放課後、私と愛子は私のクラスで他愛もない話をしていた。愛子がトイレに行くといって席を外すと、私の前に麗美が現れた。
「アンタ、愛子と仲良いらしいね?このまま愛子と仲良くするなら、アンタも”標的”にするから」これまで一度も話したこともない私に対してきつい目つきと口調でそう言いつけると、すぐに去っていった。すごいオーラだった。クラスの女子たちが逆らえない理由がわかった気がした。
 そんな頃も、私たちの交換日記は続いていた。


【2015年5月15日 昨日のドラマ、面白かったな〜主演のたっくんはかっこいいし、これからどんな展開になるんだろう。来週まで待てない!】
私の日記にはいつも通り、そんなくだらないことが書いてあった。
 一方、翌週の愛子の日記。
【2015年5月22日 最近よく寝れない。そういえばこの前、体育館履きの中に画鋲が入ってた。画鋲って、踏むととっても痛いんだよ。】
手が震える。当時、私はこのページを読んでいなかった。


 日に日に、麗美と取り巻きの女子たちの、愛子へのイジメはエスカレートしていった。最初は無視されるだけ、というくらいだったのだが、黒板消しを顔に押し付けられたり、トイレで水をかけられたり、あいこの机にはびっしりと悪口が彫刻刀で彫られていた。私は、自分も標的とされることへの恐怖から、イジメはについては知らないふりをしていた。愛子と顔を合わせることもどんどん減っていったが、日記の交換だけはこれまで通り続けていた。本当はやめたくて仕方なかったのだが、せめてもの愛子への罪滅ぼしの思いで交換日記を続けていたのだと思う。しかしそれも長くは続かなかった。


【2015年9月4日 愛子へ、最近は部活も忙しくなってきて、なかなか時間もなくってさ。提案なんだけど、学校も2学期に入ったし、そろそろ交換日記はこの辺でやめにしたいかな、って。愛子も勉強とか色々忙しいだろうし。どうかな。】
今までとは違って、黒いボールペンだけで書いてあった。ページをめくる。
【2015年9月11日 友梨、なんでそんなこと言うの?私たちずっと交換日記続けるって決めたよね?私は絶対やめないよ。来週もちゃんと書いて来てね?待ってるから。】
こちらも全ての文字が真っ黒なポールペンで書いてあった。愛子の書き殴った文字には、気迫というか怒りというか、色々な感情が溢れていてゾッとした。


 2015年9月11日、私は愛子から受け取った日記を持ち帰り、開くことはなく勉強机の奥の方に仕舞った。愛子の返事とは関係なく、交換日記はもうこれで終わり。私はそう決めたのだった。愛子には本当に悪いけど、交換日記のことはもう忘れる、愛子とも関わらないようにしよう。そう思っていた。


 はじめて開いた2015年9月11日、愛子の書いたページ。すると私はある違和感に気づいた。
 これっきりこのノートは私の机の奥に仕舞い、一度も取り出したことはない。…はずなのに、この9月11日から後ろのページの後にも、何か書いてあるのだ。ページをめくる。私はゾッとした。
【2015年9月25日 友梨、先週何も書いてくれてないじゃん。どうしたの、体調でも悪いのかな?私は最近とっても具合が悪いの。どうすればいいのかな、助けて。】
【2015年10月9日 今日は給食のカレーの中に掃除の時間に集めた埃を入れられた。全部食べろって脅されて、食べるしかなかった。気持ち悪い。給食の後がんばって吐いたんだけど、病気になったりしないかな?】
【2015年10月23日 麗美たちに無理矢理前髪を切られた。「可愛くしてあげるから感謝しなさい」なんて言って、めちゃくちゃにされた。もう誰にも会いたくない、学校にも行きたくないよ…どうすればいいんだろう…】
【2015年11月6日 今日も何度も何度も殴られた。友梨お願い。たすけて、たすけて、たすけて、たすけて。】
 私は抑え切れないほどの吐き気に襲われた。愛子の受けたイジメの描写があれこれと書いてある。一体どんな思いで愛子はこれを書いたのだろう。
 しかし本当の問題はそこではない。この日記は9月11日以降、この机の中にしまっていたはずだ。どうして、それよりも後の日記が書いてあるの⁈
 次のページが目に入った。
【2015年11月20日 もう限界、本当に限界。結局、愛子は助けてくれないんだね。この日記だって机の奥にしまったまま、もう開く気もないんでしょ?もうわかったよ。ほんとのほんとに、親友だと思ってたのに。私はお前が殺してやりたいほど憎い。今もこうしてすやすやと気持ちよさそうに眠っているお前が本当に憎い。】
 私は本当にとんでもない恐怖に押しつぶされた。愛子はこの部屋に入り、私の机から日記を取り出して毎回日記を書いていた?私が寝ている時に部屋に侵入して⁈…
 そして次がこのノートの最後のページだった。
【2015年12月4日 このノートもページが無くなっちゃったね。交換日記はこれでほんとに終わりだね。この前は酷いこと書いてごめんね。友梨は、ずっとずっと、私の大切な親友です。】


 2015年12月5日、愛子は電車に飛び込んで自ら命を絶った。


 私は涙が止まらなかった。私が愛子を見放したから。私があの時この日記を読んで、愛子の苦しみに心から向き合うことができていたら、あんなことにはならなかったかもしれない。私は日記を握りしめ、泣き続けた。

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