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11月27日 step by step ◼️使命について◼️

 幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。箴言29章18節

 力があるから使命を与えられるのはなく、使命を引き受けるから力が与えられるのです。

 問題は、“どれが神様から与えられた使命なのか”ということです。それはある意味、非常に個人的なものなので、とやかく言いにくいものがあります。しかし、僕なりに「使命」について文章を綴ってみたいと思います。

 「使命」と聞くと、“他の誰もできない特別なドデカい仕事”とか“後世に名を残すような仕事”というイメージがあります。そうなると、使命は非常に特別感のある言葉のように聞こえます。しかし、使命とは書いて字のごとく「命を使う」ことなのですから、使命もいくつかの段階に分かれているのかも知れません。

 先ず使命とは、「人生を自分勝手に途中下車することなく、最後まで生き抜く」ことではないでしょうか。人生には“嫌になってしまこと…”“早く死んでしまいたいと思ってしまうこと”があります。でも命は自分のものではなく、天(神)からの預かりものですから、自分勝手に途中下車してしまってはならないのです。何があっても、最後まで生き抜くことが、天(神)から求められている最初の使命です。最後まで生き抜く覚悟を持つなら、必ずその力が与えられます。

 次の使命は「幸せになる」ことです。天(神)は、私達が不幸になるために命を授けられたのではありません。私達が幸せになるために、神は私達に命を授けられたのです。また親は子どもが不幸になることを一番悲しみます。子どもも親が不幸になることを悲しみます。ですから、幸せになることは、天(神)の心に適うことであり、親孝行であり、子どもを喜ばせる事なのです。私達には幸せになる義務があり責任があります。ですから幸せに繋がること以外を選んではいけないのです。そのように幸せに向かっていると、必ず幸せになる力が天(神)から与えられます。「幸せに繋がることとは何か」については、今までのエッセイに綴ってきたことなのでここでは割愛します。

 3番目の使命は「縁ある人々や社会の祝福のために貢献」することです。私達は自分ひとりで生きているのではありません。自分ひとりが幸せになっても、縁ある人々が悲しみ、社会が苦しんでいるなら、それでは真の幸せにはなれません。自分の周りに笑顔を増やしていくことが、私達の使命だということができるでしょう。家庭、学校、職場、教会、地域社会、私達はこういうところで生活しています。そこで繋がっている人々の幸せ、笑顔、成功に貢献していくことが私達の使命です。子育ては立派な使命です。仕事を通して家族を守ることも立派な使命です。仕事を通して社会に貢献することも立派な使命です。教会で神と人につかえるのも立派な使命です。地域社会を暮らしやすい所にしていくことも立派な使命です。そうして社会全体の幸せ度を底上げしていくのです。神はこのように生きている人に力を与えられます。

 最後、4番目の使命は天(神)から託された使命です。天(神)はある人に、ことの大小に関わらず、ある働きのために特別な情熱を与えられます。それは勿論人々の幸せ、日本の幸せ、世界の幸せに貢献するものです。反社会的なもの、家族や身近な人々を苦しめるようなものではありません。神はそのような働きに情熱のある人を呼び出し、用いられます。更にそういう働きをしている人の使命に共鳴する人々を起こしてくださるのです。そのようにして使命共同体が組織され、その働きを更に充実させていきます。

 あなたの中に、ある事のために消えないで燃え続けている情熱はありますか?その情熱を深掘りしてみましょう。その情熱の深いところに神の使命が隠されているのかも知れません。


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