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小さな点だから意味がある。「BLM運動」に思うこと。

今日の小学生新聞の一面は「Black Lives Matter」、世界で起こっている人種差別の問題についてだった。

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日本在住の外国人が、日本で受けた人種差別の事例がいくつか紹介されていた。

日本人だらけの日本人にとって、日本にいて、人種差別の問題を身を通して理解することは難しいだろうな、と思う。SNSやメディアを通して、情報としては分かっていても。

どんなことでもそうだけど、自分が体験したことのない立場に身をおいて、どう感じるかを想像することは難しい。私自身ずっとそうだった。

しかし、約1年半を過ごしたザンビア(アフリカの国)での体験で、人種差別は、急に自分事になってふりかかってきた。

ザンビアは日本と違って、黒人社会。日本にいて、黒人が目立ってしまうように、ザンビアにいて、私は非常に目立った。肌の色だけではない。欧米人ではなく、アジア人だという要素も大きかったと思う。

歩いているだけなのに、知らない人から罵倒された。

バスの中で読んでいた本を取り上げられた。

すれ違いざま、汚い言葉をあびせられた。

私、あなたになにもしてないよね?

もちろん、毎日24時間ずっとというわけではないけど、こういう経験は一度や二度ではない。少なくとも「またか」とうんざりする頻度では経験した。

それまで、日本で生活していて、一方的に理不尽に、自分に非がないところで、傷つけられる体験はしたことがなかったので、これはかなりこたえた。今でも思い出すと、胸の奥が苦しくなるほどだ。

話は変わるが、ショートショートの神様と称される星新一の作品の中に、「ことのおこり」という作品がある。

貧乏な絵描きの学生が、デートのために、画廊に絵を売りにいくのだが、冷たくあしらわれたことで激高し、店主をうらむというストーリーだ。実は、この貧乏な学生はアドルフ・ヒトラーで、画廊の店主はユダヤ人。これが、のちの大事件につながった…という、あくまでフィクションの話である。

しかし、たった一つの小さな感情のわだかまりが、徐々に大きなうねりを持って、やがては止められないほど巨大なものになる、というのは、自分のアフリカでの体験を通して、「あり得るかもしれない」と思う。

少なくとも、私はザンビアに対して、いまでも苦い気持ちを持っている。悲しいことだが、この先、消えることはないだろう。親切にしてくれた優しいザンビア人もたくさんたくさんいたはずなのに、人を傷つける言葉や行為は、それらを一瞬で消し去ってしまうほど、強力な力を持っているのだ。

自分に大きな力はなくても、自分が出会う人々には、自分がされたようなことはしたくないと切に思う。たとえ個人レベルという、小さな小さな点であっても、そこから負の感情を生み出さないようにしたい。大きな流れを生み出さないように。

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