やりたい、をお守りにして/『太陽のパスタ、豆のスープ』
やりたいことリストを作ろう、と思い立った。
やりたいことリストというのはその名の通り自分がやりたいと思うことを100個書き出し、叶うたびにチェックを入れていくというもの。
『願い事は形にすると叶う』という考えに基づいており、書いていく先からするするとチェックがついていく人もいる…らしいのだ。
欲深いわたしのことだから100なんてあっという間に埋まるだろう、そう考えて書き出しては見たもののその作業は30にも満たないうちに息詰まり、悩んだ末にすっかり更新が止まり、早1ヶ月が経とうとしている。
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今回読んだ『太陽のパスタ、豆のスープ』は、結婚目前にして婚約破棄されてしまったあすわが、叔母から唐突にドリフターズ・リスト(やりたいことリストのことである)を作るように言われ、それを指針にしたりしなかったりしてゆっくりと前を向いていく物語である。
あすわは投げやりに書いたリストがきっかけで一人暮らしを始めることになり、ちょっと頑張りすぎて倒れてしまう。仕事を休んで実家に帰って心の底から落ち着いてしまい、もう仕事も辞めたいとついこぼす。一旦ダメになると全部投げ出したくなってしまうのだ。「どうでもいいかなあ」と。ここのあたりむちゃくちゃわかる。
このままで正解なの?目標もやり甲斐もなくたらたら働いていていいの?誰も答えてはくれない。わかっている。誰にも答えようがないのだ。わたしが自分で決めて自分で考えるしかない。
「綺麗になったらあたしは救われるか、鍋があたしを助けてくれるのか」
酔ってぐだぐだと兄に絡むあすわに母が告げる。
「あすわ、毎日のごはんがあなたを助ける。それは間違いのないことよ」
母はそう言ってにっこりと笑った。
一人暮らしを始めたときにわたしが感じたのは、思っていた以上の家事の大変さと母親というものの偉大さだった。ご飯を作るのも、洗濯をするのも、掃除をするのも何をするのも面倒臭いときがある。まあいいか、と明日の自分に期待して放置して、朝を迎え、昨日の自分に怒るのだ。
リストに「毎日鍋を使う」と書いたあすわは縛られるつもりはなくても毎日何かしら料理をし、母の言う通り、毎日のごはんによって確かにちょっぴりずつ元気になっていく。
そうだ、おいしければよかったのだ。ほんとの恋でもほんとでなくても、おいしかったら譲さんだって手放さなかった。
そう、それはもう恋ではなかった。おいしく食べるためにいろんな味付けをしなくちゃならないような恋なら、いつか終わったろう。
この小説は失恋の立ち直りまでをゆるりと描いているけれど、恋愛がベースの話ではない。かと言って、料理によって救われていく主人公を描いているが、「丁寧な暮らし」を推奨しているわけでもない。
やりたいことリストを早く埋めなくては、と必死になっていたけれど、心の中で「〇〇したいな」とぽつりと思ったあれやそれやを捕まえて、小さなお守りのようにして大切にして日々を過ごしてみるのでも良いのかもしれないな、と思った。
自分のことをほんの少しすきになりたいときに読んでほしい一冊。
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